4学生の「無期停学」撤回を 朝鮮核戦争を絶対とめよう! 10・3京大1万人集会へ
4学生の「無期停学」撤回を
朝鮮核戦争を絶対とめよう!
10・3京大1万人集会へ
10・3京大本部時計台前大集会は、昨秋反戦バリストへの「報復」としての京大4学友の「無期停学」処分を京大生と労働者人民の力で撤回させる闘いであるとともに、迫りくる戦争を阻止するために立ち上がる民主労総のゼネストと連帯し、改憲・戦争にのめり込む安倍政権を打倒する闘いだ。10・3集会の大爆発で、京大第2波スト―全国大学反戦ストの展望を押し開こう。
民主労総ゼネストに連帯して立とう
日米帝国主義による朝鮮侵略戦争が急切迫し、10月10日からは核空母ロナルド・レーガンを動員した米韓海上軍事演習が行われるという一触即発情勢のただ中で、10・3京大本部時計台前大集会が開催される。朝鮮侵略戦争を絶対に阻止しよう。朝鮮半島こそが「戦争か革命か」の大激突点となっている。
9月21日、米軍の超音速戦略爆撃機B1Bが朝鮮半島に出撃し、史上初めて韓国・烏山(オサン)空軍基地に着陸した。米帝は大規模海上演習を前に、〝いつでも戦争を発動できる態勢〟を整えている。
韓国・民主労総はこれと対決し、9月27日から渾身(こんしん)のゼネスト闘争に決起している。パククネ政権の狙う労働法制大改悪を粉砕するとともに、眼前での戦争発動をストライキで止める闘いだ。
民主労総の闘いは、すべての労働者人民の怒りを糾合しながら、パククネ打倒―プロレタリア権力樹立へと上りつめようとしている。11月12日には、13日の民主労総労働者大会に先立って民衆総決起闘争が開催される。9月20日の闘争本部記者会見では、「パククネ退陣、労働改悪阻止、成果退出制廃棄、構造調整中断、朝鮮半島サード配置反対」などの要求が掲げられ、10月1日の汎国民大会を皮切りに総力で闘いに立ち上がる宣言がなされた。また21日には民主労総・韓国労総と62の市民社会団体が記者会見し、労働法制改悪攻撃への怒りをたたきつけた。韓国労総傘下の金融労組は、9月23日にワールドカップ競技場に4万人が結集し、2年ぶりのストライキに突入している。
「生きさせろ!」の憤激が沸騰している。朝鮮革命―東アジア革命へのうねりにどこまでも連帯し、自らのキャンパスから闘いを開始しよう。「始まる前に戦争を止める」とは、自国政府を労働者・学生のストライキの嵐で打倒することであり、革命そのものだ。10・3京大集会がその突破口だ。
時代の先端で闘ってきた京大同学会
2012年6月の全学自治会同学会再建を出発点に、14年11月の「京大ポポロ事件」(キャンパスに潜入した京都府警公安刑事を摘発・追放)を経て、京大学生運動は、昨年10月27日の反戦バリケードストライキをもって本格的に日本学生運動の最前面に躍り出た。学生・労働者を貧困に突き落とし、団結と共同性を破壊し、ついには軍事協力と戦争にまで駆り立てようとする腐り果てた新自由主義大学を、学生の実力闘争=ストライキで根底的にひっくり返し、労働者民衆の手に教育を取り戻していく闘いが始まった。日帝国家権力と京大当局・山極寿一総長体制はこの同学会の決起に恐怖し、今年7月に同学会指導部の4学友に「無期停学」処分を下したが、それは逆に全国学生と労働者人民のさらなる怒りを引き起こす。10・3京大集会を基点に、京大学生運動は日本階級闘争の牽引(けんいん)車としてさらに飛躍し発展していくだろう。
100年を超える歴史を持つ誇り高き京大学生運動は、つねに時代の最先端で支配階級ブルジョアジーの戦争・搾取・暴虐と体を張って闘い続け、そのすべてが「階級の記憶」として刻み込まれている。それは京大生のみならず、資本主義社会の根本的変革と人間解放をめざす労働者階級の財産だ。ここで京大学生運動における「京都学連事件」と「総合原爆展開催」を紹介したい。
●京都学連事件(1925〜26年)
1917年ロシア革命の影響下、全国の最先頭で発展してきた京大学生運動に襲いかかった国家権力の大弾圧が、治安維持法の「国内適用第1号」である25年12月からの「京都学連事件」だ。京大社会科学研究会メンバーの大量逮捕に全学的な怒りが巻き起こり、すぐさま1千人の学生大会が開催され、京大史上初めて学生自治会結成が決議される。それに対し、翌年1月には再びの全国的な社研弾圧で38人が逮捕・起訴される(うち京大生20人)。ここに京大学生運動と共産党組織は大打撃を受ける。国家権力は京大学生運動が革命運動と結合することに恐怖し、28年4月には社研を強制解散させた。33年には、戦前最大規模の大学人の抵抗運動である「京大滝川事件」が起きる。
戦前学生闘争の敗北の結果が学徒動員だ。1943年11月20日に京大農学部グラウンドで出陣学徒壮行会が行われ、京大からの出陣学徒数は2千人を超えた(戦死者総数はいまだ不明)。学生は戦場に駆り出され侵略の銃を握らされた。この歴史を絶対に繰り返してはならない。
●総合原爆展開催(1951年)
戦後革命期の同学会結成と全学連加盟、朝鮮戦争前夜の「反イールズ闘争(1950年)」を闘いぬいた京大生は、51年に京都市内で世界初の「総合原爆展」を開催し、「朝鮮戦争反対、再軍備反対、全面講和締結、核兵器廃絶」を強く訴えた。この原爆展はヒロシマ--ナガサキの原爆被害を初めて社会的に明らかにし、「同学会」の名を広く世に知らしめた。約3万人の市民が訪れて大成功し、54年のビキニ事件に端を発する原水爆禁止運動が全国的に拡大する基盤となった。
同学会はその後、京大当局の幾度もの解散命令を受けつつも不屈に再建を繰り返し、とりわけ北小路敏同志を先頭にした59年以降の再建同学会は60年安保国会闘争を最先頭で闘った。さらに、機動隊による山崎博昭君(京大文学部1回生)虐殺をのりこえてうちぬかれた67年10・8羽田闘争は、70年安保・沖縄闘争の突破口となった。
京大学生運動は、戦争絶対阻止の激しい戦闘精神、そして日本共産党スターリン主義との党派闘争に勝ちぬく高いイデオロギー性において、一貫して日本革命運動の先陣を切ってきた。10・3集会と今秋第2波ストへの挑戦は、京大同学会を21世紀革命の牽引車へとますます押し上げていく。
処分撤回署名1万集め第2波ストへ
臨時国会開会を弾劾し、民主労総ゼネストへの連帯を貫いて、9月26日の京都市内デモ、そして27日の山極総長自宅直撃デモが闘いぬかれた。学生の自由・権利をすべて奪い尽くそうとする京大当局への2万3千京大生の怒りは日に日に高まってきている。4学生処分撤回闘争を巨大な契機として全学を巻き込む闘いを爆発させ、京大第2波バリストを実現しよう。処分撤回署名1万筆貫徹と10・3集会への大結集をかちとろう。
世界革命の時代が来た。民主労総の闘いが展望であり、京大闘争と韓国階級闘争は一体だ。すべての京大生はマルクス主義学生同盟中核派に結集し、帝国主義とスターリン主義を打倒し、新たな人類社会を切り開く世界史的大事業に、ともに団結して決起しよう。
〔革共同中央学生組織委員会〕
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4学生への「無期停学」処分撤回
10・3京大集会
10月3日(月)午前11時50分
本部時計台前(クスノキ前)
正午/集会
午後0時45分/第2回署名提出行動
主催/京都大学全学自治会同学会中央執行委員会