怒りは限界こえた。非正規職撤廃・全基地撤去―沖縄全島ゼネストへ
怒りは限界こえた。非正規職撤廃・全基地撤去―沖縄全島ゼネストへ
沖縄県民大会から新たな闘いへ
6月19日の「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」に6万5千人が結集し、沖縄階級闘争は世界大恐慌と世界戦争の時代の中でまったく新しい段階に突入した。大会では、遺族の父親の「全基地撤去」「辺野古新基地建設に反対」というメッセージが参加者全体の、そして140万県民の共同の決意となった。
県民大会は第一に、「怒りは限界を超えた」という不退転の根底的決起の中で、既成の全党派が沖縄の労働者階級の怒りに吹き飛ばされ、破産したことを示した。
自公は「純粋な追悼大会であるべき」「超党派の大会になっていない」と泣き言を繰り返し、逃亡した。その一方で「オール沖縄」を構成する全党派(基本は社民と共産)も、〝いったん掲げた海兵隊撤退要求の大会スローガンを自公が参加するために後退させたら自分たちがぶっ飛ばされる〟という危機感から、自公を含めた超党派による大会を断念した。
しかし140万県民は「超党派」であるかどうかを問題にしていたわけではない。いかにして「繰り返さない」のか、「全基地撤去」「辺野古新基地建設に反対」という遺族の思いを自らの決意として貫き通すのかを問題にしていたのである。この決定的な瞬間に、既成の全党派は綱領的路線的に破産して、なんの積極的な方針も提起できなかった。
第二に、こうした中で、勝利への不動の確信と路線・方針を提起する唯一の「党」として、われわれが『前進』1万部を配布し登場したことは歴史的な勝利だ。「沖縄全島ゼネストへ」の訴えが圧倒的な説得力をもって県民を獲得したのだ。
朝鮮侵略戦争を阻止する先頭に
第三に、「復帰」闘争とその総括を踏まえ、さらに1995年の10万人決起以来の20年間の激闘の中から、沖縄の労働者階級の闘いの新たな時代が6・19県民大会から開始された。
71年の2度のゼネストを闘い取りながら、72年の「5・15」には3度目のゼネストを闘えなかった限界性をいかに突破していくのかが、「復帰」以降40年余りの苦闘であった。95年の10万人決起も「超党派」という仮象をまとわされてきた。日帝とすべての体制内勢力は「超党派」を錦の御旗にして、沖縄の労働者階級の闘いと革命の間に万里の長城を築いてきた。しかし新自由主義は自らその壁を突き崩した。そしてついに、「復帰」闘争をのりこえ、非正規職撤廃・基地撤去=沖縄全島ゼネストからプロレタリア革命勝利への道が切り開かれたのである。
第四に、この沖縄労働者階級の不退転の闘いが朝鮮侵略戦争を阻止し、3度目の世界戦争=核戦争に立ちはだかる最先端に位置することがますます鮮明となった。5・15沖縄闘争では、韓国・民主労総も駆けつけた。この国際連帯闘争の発展こそが米日韓の朝鮮侵略戦争を阻止する力だ。
一切は沖縄全島ゼネストを牽引(けんいん)する労組拠点の建設にかかっている。闘う労組と学生自治会の建設に勝利しよう。鈴木たつおさんの参院選勝利へ闘おう!
(革共同沖縄県委員会)