3・14上告棄却を弾劾する 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判被告団
週刊『前進』04頁(2735号04面02)(2016/03/28)
3・14上告棄却を弾劾する
迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判被告団
私たちは無実だ。
私たちは激怒している。
私たちは最高裁による3・14上告棄却決定を絶対に許さない。
最高裁判所第3小法廷(山﨑敏充裁判長)は、3月14日、私たち3人を被告とする「迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判」で私たちの上告を棄却した。私たちの「有罪」を確定させようとする断じて許せない決定だ。私たちは、1986年4月の「横田事件」にも、同年5月の「迎賓館事件」にも一切関与していない。私たちは直ちに異議を申し立てた。
決定は、私たちに新たに重刑を科そうとしている。私たちはすでに87年10月から15年2カ月に及ぶ類のない長期の未決勾留を強制された。決定はそれに加えてさらに、須賀を8年と3カ月、十亀、板垣を4年と7カ月獄中に閉じ込めようとしている。未決勾留と合わせれば、須賀は23年5カ月、2人は19年9カ月だ。革命家を抹殺することで、階級闘争を圧殺しようとする攻撃そのものだ。
しかし今、私たちに敗北感はまったくない。逆に、勝利の確信をいっそう深めている。私たちは、革命の前進と体制の危機が3・14決定の基底にあることを見抜いているからだ。
あらためて、30年間の闘いを振り返ってみる。86年5月4日の「迎賓館事件」は、中曽根・レーガン・サッチャーら、新自由主義の頭目を直撃した。直後の5月7日、中曽根と警察庁長官が「中核派を必ずつぶす」と宣言した。私たちがデッチあげで逮捕・起訴された翌87年は、国鉄分割・民営化の年だ。私たちの獄中闘争・裁判闘争は、最初から新自由主義と真っ向に対決する闘いだった。
15年を越える東京拘置所での闘いは、獄壁の外との団結を広げた。被告団の家族と全国の同志によるデッチあげ弾劾、保釈要求の必死の闘いは、かつてない幅の広さと分厚さをもった支援運動をつくりあげ、02年の保釈奪還を実現した。一方被告団は、公判において、検察官のあらゆる攻撃の一つひとつを徹底して打ち砕く、攻勢的な裁判闘争を貫いた。もちろん有罪の証拠は存在しない。しかし、闘い抜かなければ、真実がつぶされる。私たちと弁護団は死力を尽くした。04年の無罪判決は、裁判という意味では、そこで私たちが完全に勝利の決着をつけたということだ。
この一審無罪判決に驚愕(きょうがく)した国家権力の「サミット砲撃事件の中核派被告への無罪判決など絶対に許さない」とする、総力を挙げた反動が始まった。17年かけた無罪判決を、証拠をまったく調べず、たった1回の手続き公判で破棄した異様な控訴審判決、その反動的意図を引き継いだ差し戻し裁判における2度の有罪判決、それらはすでに裁判ではなく、司法権力による直接の政治弾圧そのものだ。3・14決定はその一連のデッチあげ判決の最後の集大成である。裁判所は、そこまでしなければ弾圧を続けられず、私たちがそこまで権力を追い詰めたのだ。
私たちは勝利的に闘いきった。私たちの勝利は、攻防の全過程にはっきりと表れている。私たちは、完全黙秘・非転向を貫いた。私たちは、一度も守勢に立つことなく攻勢を貫いた。私たちは、生涯をかけた実践で団結を広げた。私たちは、あらゆる闘いの現場に立ち続けた。なによりも国鉄闘争を基軸とする階級的労働運動と一体で前進した。労働者階級とともに進む被告団に敗北はあり得ない。
いま、日本帝国主義による朝鮮侵略戦争の危機が迫っている。帝国主義の命脈が尽きたからこその戦争への踏み込みだ。戦争と治安弾圧は一体である。革命は、必ず弾圧を受け、その弾圧を打ち破って前進する。私たちはこれからも、弾圧との闘いの最前線に立ち続ける。
法大弾圧に勝利を重ね、いま京大弾圧を鮮やかに打ち返した全学連の闘いに、労働運動へのあらゆる弾圧を現場で見事にはね返し続けている労働者の闘いに、私たちは熱く連帯する。弾圧にけっして怯(ひる)まず躍動的に進撃する韓国・民主労総の闘いと腕(かいな)を結びたい。府中刑務所で再審闘争を闘う最も身近な同志・福嶋昌男さんと、そして、徳島刑務所で41年を不屈に闘い階級闘争の全体を領導している星野文昭同志と、私たちはさらにともに生き、ともに闘い抜く。
被告団の闘いを長く支えて下さっている皆様に心よりお礼を申し上げる。私たちは、新しい決意をもって、次の闘いに踏み出す。必ず革命をやり遂げ、戦争も原発も監獄も存在しない、真に人間的な社会をともに実現しよう。
2016年3月18日
須賀武敏
十亀弘史
板垣 宏