3・27三里塚全国集会(成田市赤坂公園)へ 朝鮮戦争阻止、軍事空港粉砕、市東さんの農地を守りぬこう
3・27三里塚全国集会(成田市赤坂公園)へ
朝鮮戦争阻止、軍事空港粉砕、市東さんの農地を守りぬこう
朝鮮侵略戦争の超切迫情勢のもと、今こそ「戦争絶対反対」で50年闘い抜いている三里塚の真価が発揮される時だ。3・11反原発福島行動の成功を引き継ぎ、動労総連合を先頭に16春闘ストライキに突き進む階級的労働運動の力を総結集して、3・27集会の大高揚をかちとろう。
原則貫く50年の闘いにこそ戦争阻む力がある
北朝鮮の核・ミサイル施設への先制攻撃、キムジョンウン暗殺を含む作戦計画「5015」を適用する史上最大規模の米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」が行われている。北朝鮮スターリン主義・キムジョンウン政権は対抗的なミサイル発射を繰り返している。安倍政権はこの朝鮮侵略戦争に参戦するために、3月から戦争法を施行し、7月参院選をテコに改憲を狙っている。
自衛隊が参戦するかどうかの問題だけでなく、戦争に協力し動員されるのか、その道を拒否するのかが日本の労働者人民自身に問われているのだ。
現代の戦争は総力戦である。大量の兵員投入が必要になる。兵站(へいたん)基地を抜きにして戦争は語れない。
実際に1950年からの朝鮮戦争に際しては、日本全土が巨大な補給倉庫とされた。しかし、これに抗する労働者階級の闘いも巻き起こった。
「昭和20年(1945年)年9月、伊丹飛行場を接収した占領軍は、朝鮮戦争の激化にともなって、26年10月、突如、飛行場拡張のための現地調査を開始した。それは従来の1800㍍滑走路を3000㍍に延長するためで、拡張面積は伊丹市域で約6万坪、そのために農地を失って転業を余儀なくされるもの、87戸、立ちのき2戸、かんがい用水路の取壊しによって影響を受ける農家は約2000戸にも及ぶと推定された」(1972年3月発行『伊丹市史』より抜粋)
伊丹空軍基地は朝鮮に対する爆撃基地となったが、伊丹、豊中、池田の3市連合の強力な拡張反対運動が展開され、結局計画は中止された。
内灘村(現石川県内灘町)の漁民と連帯した北陸鉄道の米軍物資輸送拒否のストライキも闘われた。しかし、日本共産党は最後まで闘うことを放棄して労働者の闘いを解体し、その結果、国鉄は朝鮮戦争に出撃する米軍部隊や弾薬、軍需品の輸送、戦傷病者の搬送を担わされるなど、あらゆる職場で戦争協力が強制された。
侵略戦争に労働者が動員されようとする時に、「中立」などありえない。絶対反対の闘い、職場・生産点や大学キャンパスからの戦争協力拒否で、戦争政治は打ち破ることができるのだ。
1980年代、中曽根政権は「5・7宣言」と称する弾圧体制で革共同の絶滅を狙い、さらに国鉄分割・民営化、総評解体で労働運動をつぶそうとした。しかし、革共同はこの弾圧を打ち破った。動労千葉は2波のストで大反撃し、さらにその後、1047名解雇撤回闘争を貫き、今日最高裁で分割・民営化が不当労働行為であったことを確定させ、「JRに採用せよ」の新たな闘いを開始している。
動労千葉との労農連帯を守り、「農地死守・実力闘争」の原則を貫き、戦争に反対し国策と対決してきたのが三里塚だ。金や暴力による切り崩し、組織破壊攻撃をはね返して今日まで闘いぬいている。韓国・民主労総との国際連帯に発展した「朝鮮侵略阻止」の力がここにある。
住民の怒りと結びつき第3滑走路計画粉砕を
成田空港では今、第3滑走路建設と暫定B'滑走路1千㍍延長計画が進められようとしている。現在の発着枠を満たすこともできないのに新たな滑走路を造ろうとするのは、まさに軍事空港建設という国策である。
2月16日、成田空港会社(NAA)元社長・黒野匡彦の講演会が芝山町で開かれた。黒野は1978年の開港から02年暫定B'滑走路運用開始までの24年間を「日本の空港発展が凍結された期間」とし、「これを繰り返していいのか」「成田だけ運用時間はタブーだとはいかない」と、国やNAAの本音を代弁した。
05年の「今後二度とみなさんの尊厳を踏みにじるようなことは致しません」という黒野(当時社長)自身の東峰地区への〝謝罪〟は、やはり口先で空疎な言葉を並べたにすぎなかった。黒野よ、恥を知れ!
焦りに駆られるNAAと地元利権団体は、ますます第3滑走路建設策動に血道を上げるだろう。だが大量の強制移転・農地強奪と騒音地獄をもたらすこの計画に対し、「もう我慢ならない!」という怒りの声が住民から日ごとに高まり、広がっている。
3・27集会会場の赤坂公園がある成田ニュータウンは、多くの空港労働者が暮らす街だ。地域住民、さらに数万人の空港労働者と連帯して、「第3滑走路反対、軍事空港づくりを許すな!」の声を上げよう。
農地法裁判(最高裁第3小法廷)と耕作権裁判(千葉地裁民事第2部)を中心に、複数同時に進む三里塚裁判を、顧問弁護団とともに闘って絶対に勝ちぬこう。農地法裁判の上告審闘争は、安倍政権と最高裁・寺田体制との激突の最先端の攻防である。
市東さんへの攻撃許すな 農地守る陣形つくろう
第3誘導路裁判で、被告の国とNAAは新たに「原告・市東の宅地は空港敷地内であり、本来土地収用されるべきもの」「それを承知で自由意思で帰ってきて住み続けているのだから、騒音被害を受忍すべき」と主張し出した。市東孝雄さんの闘志に圧倒され、ついに攻撃の矛先を市東さん個人に集中してきたのだ。絶対に許せない!
国とNAAは、マスコミを使って「三里塚は終わった」とキャンペーンしてきた。しかし市東さんの闘いは、今や安倍政権に怒る多くの人びとの知るところとなった。一審段階からの農地取り上げに反対する署名は延べ5万筆を超え、労働者人民に手渡されたビラやリーフレットは10万枚を超える。往年の闘う人びとの記憶から三里塚が呼び覚まされ、若い世代には「日本にもこういう闘いがあるのか」と新鮮な共感を生んでいる。安保国会決戦で決起した若者が全学連に結集し、三里塚を闘っている。青年労働者が援農・現地調査に駆けつけている。
市東さんの農地を守る会運動も昨年、被曝労働拒否を闘う動労水戸を中心とした「守る会・茨城」の結成から、岡山、江戸川と続き、3月13日には新潟で結成された。福島でも4月結成に向けて準備が進んでいる。
賛同署名の数は500団体・個人に届こうとしている。この陣形を4桁にまで増やし、国鉄闘争新署名運動とともに5万人署名を達成しよう。「戦争のための農地強制収用は許さない」の声を全国からつくり出し、最高裁を包囲しよう。3・27集会はそのための総決起集会だ。
「この地で農業を続ける」という市東さんの決意、農地強奪への怒りをわがものとして、3・27集会に結集しよう。
7・3三里塚50周年集会を、動労総連合建設、7月選挙と一体で闘い取り、階級的団結の力で安倍を打倒しよう。
〔幸崎淳志〕