日本共産党員に訴える(上) 坂本晴幸 国会闘争で全学連に感動し原則を捨てた党と決別した

週刊『前進』04頁(2723号04面01)(2016/02/15)


日本共産党員に訴える(上)
 坂本晴幸
 国会闘争で全学連に感動し原則を捨てた党と決別した


 昨年、国会闘争で労働者階級の国際連帯を訴える全学連の演説を聴き、マルクス主義を学び直して革命の現実性を確信、日本共産党と決別し革共同に加盟した青年労働者の決意を紹介します。(編集局)

数年前に入党し

 私は数年前に日本共産党に入党、そして民主青年同盟に加盟しました。以後、日本共産党と民青にて街宣闘争などの政党活動を行っていました。
 今にして思えば、日本共産党や民青からさまざまな「抑圧」が加えられてはいましたが、そんな「抑圧」の中でも「若者が主人公の社会を創(つく)っていこう」と、必死で活動していました。
 そこで、最大の転機となったのが、自民党による戦争法と、それに対する闘争でありました。
 私は、以前より「戦争を打ち砕くには、自国だけの力では駄目。全世界で自分たちの解放と世界平和を渇望し、実践的に動いている人民がいる。彼らと結束し、戦争にひた走る各国政府と世界の根本を打ち砕かねば」と考えていました。
 しかし、日本共産党と民青は日本国内に閉じこもり、戦争反対のロジックも「立憲主義を守れ」「民主主義を守れ」とか「アメリカの戦争に巻き込まれる」だけでした。
 私は、そんな日本共産党と民主青年同盟に対して「憲法うんぬんではなく、そもそも戦争はいけないことだ。各国の人民が暴力的に分断される。どうして各国の人民が殺し合いをしなければいけないんだ!?」と憤りを募らせていきました。

戦争は絶対反対

 そして、7月15日の国会前闘争参加が、いよいよ決定打となりました。そこで全学連による闘争を垣間見て、「世界の労働者階級と団結し、戦争に向かう各国政府を粉砕しよう! 絶対反対を貫徹しよう!」と演説しているのを耳にしました。その時「わが意を得たり!」と、体中に太陽プロミネンス(紅炎)が鮮烈に吹き荒れました。
 その後は、国会前の学者やシールズのメンバー、志位和夫日本共産党委員長を筆頭とした国会議員のスピーチが、どこか「予定調和」的な感じを受け、空虚さを感じました。
 そして、全学連が掲げていた「『前進』を読もう」ののぼりを見て「『前衛』みたいな雑誌かな?」と思い、調べ、取扱書店に行き、並んでいた『前進』『国際労働運動』『共産主義者』をごっそり購入しました。
 以後、毎週木曜日、地区委員会での仕事が終わった後に当該取扱書店に行く習慣がつきました。
 『前進』『国際労働運動』にて『赤旗』や『民青新聞』が載せない(国鉄千葉動力車労働組合や全学連を筆頭とした)労働者階級と学生の闘争および韓国・民主労総を筆頭とした世界の労働者階級の闘争を、『共産主義者』からは『前衛』などの雑誌ではつかめなかった「革命」への展望を、それぞれ学びました。

革命の時代だ!

 「やはり、今こそ『革命』の時代だ!」という考えが深まり、「革命」の時をどこか遠い時代のことととらえる日本共産党、そして民主青年同盟の在り方に対する憤りが深まりました。
 『前進』などで「『赤旗』は民主労総の闘いを載せない」ということが書かれた後、ようやく『赤旗』に民主労総のことが数回程度掲載されましたが、どれもが「労働法改悪に反対するストライキ」という紹介でありました。たしかに、労働法改悪反対が引き金にはなりましたが、民主労総の闘争はパククネ政権を本気で打ち砕くための実力闘争であり、「民主警察」などという概念はなく、全力で警察当局らと闘い、警察当局を見事に無力化し、大勝利で打ち抜かれているわけです。そのことを無視抹殺して報道せず、民主労総を侮辱する日本共産党に対して憤りが怒りへと転化していきました。
 同時期、「この激動の時代。マルクスやレーニンをしっかり学ぼう」と考え、「古典」を学習することとなりました。当初は、不破哲三の『古典教室』や『古典への招待』、新日本出版の翻訳本での学習をしていましたが、どうにも「革命」への展望が遠ざかる「感覚」が体中を蠢(うごめ)いてしまいました。
 そんな釈然としない感覚にさいなまれていた時、『前進』や『国際労働運動』『共産主義者』で度々目にする「マルクス主義基本文献学習シリーズ」に興味をひかれ、前進社に注文のメールを送りました。
 そして、古典の学習の最中、日本共産党による「国民連合政府構想」が出されました。「基本文献学習シリーズ」の『ゴータ綱領批判』を読み進め、「原理原則」の重要性をつかんでいた中で、日本共産党に対する怒りが決定的になりました。

国鉄闘争に参加

 同時期に参加した動労水戸を講師とする集会にて、国鉄闘争において日本共産党が内部を無茶苦茶にかき回した揚げ句に「屈服」していた事実を知りました。その上で、動労千葉・動労水戸の「非妥協・非和解」の闘争に「これぞ本物のマルクス主義!」と、これまた体中に太陽プロミネンスが吹き荒れました。そして、「非妥協・非和解・非屈服」で闘わない連合や全労連など「体制内労働運動勢力」への怒りが生まれました。
 また、「反原発闘争」において、党全体として「脱被曝」を語らない日本共産党、そして民主青年同盟の「裏切り」が鮮明となりました。
 加えて『週刊三里塚』も購読し、三里塚闘争の歴史を独自で勉強し、日本共産党が、内部をズタズタにかき回すだけでは飽きたらず、住民や団体の誹謗(ひぼう)中傷や「デマ攻撃」をして闘争を分断し破壊。揚げ句の果てに体制側に「屈服」した事実を知りました。
 県委員会は、革命的共産主義者同盟のことを「市民の政治闘争を分断し妨害してきた集団」と言っていましたが、何を隠そう日本共産党こそが人民の政治闘争の分断と妨害の「先兵」であったのです。
 元党員である私でも、この事実にめまいを起こしたわけですから、これまで日本共産党によって政治闘争をグチャグチャに分断され、破壊された方々にとって、日本共産党に対する怒りは、天文学的という表現ですら言い足りないことだと思います。元党員である私としても、日本共産党は、断固として許せません。
 「日本共産党は、政治闘争を分断し、破壊し尽くして、どういう社会を創りたいのか⁉ 何をしたいのか!?」と言うほかありません。
 その後、日本共産党の青年支部や民青の活動の中で、「原理原則を貫く日本共産党は、どこに行った!?」と言う声が多くたたきつけられました。

私の「完全勝利」

 入党したてのころであれば、「国民連合政府構想」のビラの内容でねじ伏せることもできたでしょう。しかし、『ゴータ綱領批判』で「原理原則」の重要性、『帝国主義論』などで資本主義と戦争の不可分一体性を確認した現状では、最早ねじ伏せはできなくなってしまいました。また『国家と革命』を読み、「国民連合政府」があまりにも無邪気過ぎる構想であることも確認し、「国民連合政府」への展望は完全に死に絶えました。
 さらに、この間に参加したさまざまな集会で、多くの人びとが「革命」を渇望し「成長」してきていることを知り、その「成長」に全幅の信頼を置きたいと考えるに至りました。多くの人びとの「成長」に対する日本共産党と民青中央部の裏切りに耐えられなくなりました。
 離党届では、この間の支部会議や県下の民主青年同盟各班の劇的な成長と飛躍、対話状況、交流したさまざまな市民団体からの指摘、古典の学びから得たことなどを県委員会にぶつけました。
 ですが、それに対する具体的な反論は一切ありませんでした。それどころか私に対する人格批判やレッテル貼りなどに終始、最終的には「除名処分」と相なりました。
 しかしその「暴挙」は、すなわち、私の「完全勝利」を意味するものでした。
(続く)
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