2・19徳島刑務所闘争へ 獄中41年、非転向貫く階級のリーダー星野同志奪還を

週刊『前進』04頁(2719号04面04)(2016/02/01)


2・19徳島刑務所闘争へ
 獄中41年、非転向貫く階級のリーダー星野同志奪還を 


 1975年8月6日の殺人罪デッチあげによる不当逮捕以来、獄中41年。87年の無期懲役刑確定と徳島刑務所移監から28年。星野文昭同志は、4月には70歳を迎える。沖縄闘争の戦士として革命家として、日帝国家権力によるデッチあげ弾圧への怒りを燃やして非転向を貫く星野同志を絶対に取り戻そう。

面会妨害許すな

 2・19徳島刑務所闘争は、われわれの不退転の覚悟を示す行動だ。その課題の一つは、刑務所が星野同志(と全国の支援者)に加えている面会妨害を打ち破ることだ。
 徳刑は、2006年6月から10年4月までの3年10カ月間、友人面会を認めた。この間に94人が面会を果たした。私は2回面会できた。
 「家族と弁護人以外の面会は原則として認めない」という攻撃をぶち破って面会を実現し、生身の星野同志と言葉を交わした人びとの感動と興奮は、ものすごかった。それが全国に広がり大きな力になった。とくに国鉄決戦と階級的労働運動に大きな力を生み出した。
 しかし、予定されていた3回目の面会が迫ってきたころに、徳刑は、友人面会を打ち切り、禁止した。絶対に許すわけにはいかない。
 友人面会停止は日帝中枢の意思だ。星野同志は70年安保・沖縄闘争と革命的共産主義運動の歴史を体現して闘っている。階級のリーダー星野同志が全国、全世界の革命を求める労働者階級人民と一つになることは、プロレタリア革命の前進そのものだからだ。星野同志と星野闘争の階級的意義を敵の側から明らかにしたこの面会妨害は、「もっと大きな力を!」という闘いの決定的なばねに転化した。ひとたび獄壁に開いた穴をふさぐことはできない。
 昨年9月6日の720人による徳刑包囲闘争=集団面会を引き継いで、「星野さんに会わせろ!」の怒りの声をたたきつけよう。

健康と権利守る

 もう一つの重大な課題は、星野同志の健康と権利を守ることだ。
 40年を超える投獄が健康(肉体と精神)に及ぼす影響は深刻だ。国家の暴力装置とはいえ、40年も人を閉じ込めておくことを想定して造られた監獄はない。獄中環境は、加齢による体力の衰えや疾病を何倍も加速し、耐え難い苦痛を強いる。
 冷暖房のない獄中での夏の暑さ、冬の寒さは本当に大変だ。真夏は蒸し風呂のような居室で過ごさなくてはならない。真冬には工場の中にストーブが入るが、室温が10〜12度になると火は消される。居室に暖房は一切入らない。食事時に配られるお茶が入ったやかんで身体を温めれば、「不正使用」で懲罰だ。
 山の中腹に建つ徳刑の冬は厳しい。星野同志は冬になると寒冷アレルギーに悩まされる。寒さで湿疹がひどくなり、かゆみで夜も眠れないことがある。不眠が続けば体は衰弱する。衝撃なのは徳刑で疥癬(かいせん)が流行していることだ。治安維持法違反で起訴された哲学者の三木清は、日本の敗戦1カ月後に中野刑務所で死んだ。原因は疥癬だった。星野同志を殺す気か!
 「夏は涼しく、冬は暖かく」という生きるために必要な当たり前の処遇を要求しよう。受刑者を監視と抑圧の対象とし、人間として扱わない刑務所を弾劾し、星野同志の権利を守ろう。
 新年冒頭から『前進』が週2回発行になり、月2回発行の『星野新聞』が創刊された。1月5日には全国31番目の星野救援会となる「無実の星野文昭さんを取り戻す会・岐阜」が結成された。2・19闘争を全力で成功させよう。
(鎌田雅志)

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徳島刑務所闘争
 2月19日(金)午前11時
 徳島刑務所正門集合

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