戦争・改憲阻止―安倍打倒へ新しい労働者政党つくろう 許すな改憲!大行動代表呼びかけ人 鈴木達夫弁護士が大いに語る

週刊『前進』12頁(2712号02面01)(2016/01/01)


戦争・改憲阻止―安倍打倒へ新しい労働者政党つくろう
 許すな改憲!大行動代表呼びかけ人
 鈴木達夫弁護士が大いに語る


 「戦争絶対反対! 生きる権利を!」「新しい労働者の政党をつくろう」をスローガンに7月参院選への出馬を表明した弁護士の鈴木たつお氏(許すな改憲!大行動代表呼びかけ人)にインタビューし、立候補の決意と2016年の闘いの展望を大いに語っていただいた。(編集局)

世界戦争危機と対決する労働者の決起

 ――2016年の年頭を迎え、私たちを取り巻く情勢についてどのようにお考えでしょうか。
 全世界で資源、市場、勢力圏をめぐる帝国主義間・大国間の争いが激化し、それが軍事化して世界戦争に行き着きかねない状況です。特にアメリカ帝国主義の没落が非常に速いテンポで進みました。ベトナム戦争でたたき出され、さらにアフガン・イラク戦争で敗退したことの世界史的な意味の大きさを感じます。それが現在の大恐慌情勢とあいまって、ついにアメリカ帝国主義の戦後支配が崩壊しました。
 この空隙(くうげき)をついて、特にドイツ帝国主義とロシア・プーチンが際立った動きを見せています。シリア侵略戦争をめぐるドイツの転換は顕著で、フランスの原子力空母を防護する護衛艦や航空機、さらに1200人の部隊も派遣すると言っています。
 そして、最も顕著な動きを見せているのがロシア・プーチンです。許しがたいことに核戦争の恫喝をやっている。去年3月に、ウクライナをめぐって「核兵器使用の準備を軍に指示した」と公言し、その後「ロシアは偉大な核大国だ」とも言った。そして今、米主導の「有志連合」とは別個にシリア空爆を開始し、地中海やカスピ海から巡航ミサイルも撃ち込み、その弾頭には核を積めるとプーチンは言い放っています。核戦争の恫喝を世界の人民に加えながら帝国主義と覇を競い合うという、それこそ1930年代のナチス・ヒトラーにも匹敵するような戦争放火者として登場しています。
 そして、これらドイツやロシアに劣らず突出しているのが日本の安倍政権です。戦争法の制定、改憲、それに武器輸出の動きは重大です。第2次大戦で一敗地にまみれ、戦後に再出発した帝国主義の日本が、再び海外に軍事力を展開して勢力圏争いに加わろうと必死です。
 この世界史の転換点において、世界戦争の危機を労働者階級の勝利に転化するものとして韓国・民主労総のゼネストが闘われ、全世界で労働者人民が続々と立ち上がっています。

人民の底力を示した昨年の安保国会闘争

 ――昨年は日本でも、労働者人民の大きな闘いが巻き起こりました。
 昨年の闘いで決定的だったことは、ひとつには、11月労働者集会で新自由主義と闘う国際連帯が実体あるものとして形成されたことだと思います。
 韓国の民主労総は1995年結成です。有名なデヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義』という著書で、いろいろな国の労働組合の闘いに触れていますが、その中で唯一名前が登場するのは民主労総です。その民主労総から見て、80年代から国鉄分割・民営化と対決してきた動労千葉は、まさに自分たちと同じ攻撃に立ち向かい、同じ敵と闘っている労働組合として存在した――これが国際連帯の内容的な基軸になりました。
 加えてアメリカやトルコ、ドイツの労働者も期せずして「自分たちも同じ新自由主義と闘っている」という点で一致し、鋭く質の高い内容で国際連帯を形成しました。
 今ひとつは、戦争法反対の国会闘争の高揚です。これは全世界から注目され、戦後70年にわたる日本人民の闘いの底力を示しました。
 ここで重要なことは、日本共産党のようなスターリン主義をのりこえる革命的共産主義運動が、戦後の日本人民の闘いのひとつの核となってきたことです。それは60年闘争、70年闘争、そして三里塚闘争や国鉄分割・民営化粉砕闘争など多くの闘いを切り開いてきた。いずれも日本共産党のもとではあり得なかった闘いです。
 日本の労働者人民の革命性と戦闘性が、戦後70年間にわたって壊滅させられることなく生き続け、それが昨年の戦争法反対の全国2千万ともいわれる決起に集約されたと考えます。

緊急事態条項こそ改憲の最大の攻防点

 ――まさにそうした闘いを弾圧するために、安倍政権は改憲攻撃で「緊急事態条項」の新設を狙っていますね。
 そうです。この緊急事態条項の新設こそ、安倍が狙う明文改憲の核心中の核心です。自民党は今、「この条項なら野党の多くも賛成する。国民も憲法を変えることに慣れる」などと言っていますが、これはとんでもない条項です。
 そもそも、なぜ現在の憲法に緊急事態条項がないのか。明治憲法やドイツのワイマール憲法下で緊急権が乱用された歴史の反省や、第9条「戦争の放棄」と言論の自由など憲法上の諸権利の保障は不可分であるとされるからです。だからこれまでの改憲案でも、これはなかなか提案されなかった。
 ところが、自民党は2012年の改憲草案でこれを出してきました。「緊急事態の宣言が発せられたときは、......内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」(第99条)
 これは戦前の天皇の名による「緊急勅令」と同じで、戒厳体制の確立、憲法停止です。また「地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」「何人も、......国その他公の機関の指示に従わなければならない」と。つまり公務員が戒厳体制の担い手になり、たとえば通行人に「荷物をあけろ」と指示し検査することまでできるようになる。
 さらに、緊急事態宣言が効力を有する期間は「衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期およびその選挙期日の特例を設けることができる」としています。国会が閉会しない、いわゆる「通年国会」になります。最近では、盗聴拡大・司法取引の導入を狙った刑事訴訟法改悪案、「現代の治安維持法」ですが、昨年の国会では会期の期限切れで成立しなかった。通年国会であれば通っていました。
 「ナチスの手口を学べ」と麻生大臣が言いましたが、緊急事態条項はナチスの悪名高い「授権法」に勝るとも劣らないものです。あの授権法でヒトラーの命令が法律に代わるものとされ、ワイマール憲法は紙に書かれた空文になってしまいました。
 だから、これは改憲の「入り口」ではなく、この条項をめぐる攻防こそが本丸であり、最大の決戦です。絶対にここで勝利しましょう。

安保・戦争を認める共産党は労働者の敵

 ――7月参院選はまさに改憲をめぐる決戦になります。立候補にかける決意と思いを聞かせて下さい。
 安保国会決戦で示された日本人民の底力、危機感、怒り......人民が勝利に到達するにはさらに何が必要か。それが問われています。
 早速打ち出されたのが日本共産党の「国民連合政府」構想であり、「急迫不正の主権侵害に対しては、安保条約第5条に基づき日米共同で対処する」という路線です。
 この共産党の主張は「自衛」の名で戦争をやるということ。「主権侵害」といいますが、主権の及ぶ範囲というのは非常に広く、軍隊はいうまでもなく、日本国籍の航空機や船舶にも及ぶ。それらが攻撃されたら「主権侵害だ」とされ、「自衛のために戦う」となる。
 日本の中国侵略戦争の発端となった「満州事変」や「盧溝橋事件」、アメリカのベトナム侵略戦争の発端となった1964年の「トンキン湾事件」を思い出して下さい。共産党の主張は、こういう戦争を米軍と共同でやるということです。
 これを聞いて、私は7月参院選に出馬する決意を固めました。共産党の一体どこが「戦争反対」ですか。戦争は絶対に許さないと不退転の思いで立ち上がった労働者人民にとって、「話が違うぞ!」ということです。
 かつて第1次大戦を革命でやめさせたロシアの労働者たちは、「祖国防衛」と称して戦争に賛成した社会排外主義の源流は階級協調主義にあると見破りました。資本と闘わず、資本と協力しながら戦争反対を貫けるはずがない。資本主義が危機になったら「一緒に守ろう」ということに必ずなる。これはロシア革命の中で発見された真理だと思います。
 「新しい労働者の政党をつくろう」というスローガンの意味は、労働者人民の全体の利益を代表して、資本家階級や階級協調主義の勢力と闘う政党をつくろうということです。政党とは何か。「政策を確立し、それを訴え、多数の支持を得て政権に到達する」のが政党だと説明されます。安倍政権を打倒し、労働者人民の政治権力の樹立をめざす。闘う労働運動の拠点を建設し、学生運動を爆発させていくことがその土台です。そして国際連帯とゼネストで戦争をとめる。そういう力をもった政治勢力・政党を生み出すことが急がれます。
 私を参院選へ決意させたもう一つの問題は、極限的ともいえる貧困の深まりです。1400万人の労働者の平均月収が20万円以下、生活保護世帯が過去最多の163万、子どもの6人に1人が給食費を払えない。また家族介護に行き詰まった悲惨があとを絶たない。工場法ができる前の19世紀初頭のイギリスをもこえるような、社会の崩壊が進行しています。
 その最大の原因は非正規職のまん延にあります。だから私たちは非正規職撤廃・一律大幅賃上げ、労働者派遣法廃止を掲げ、動労千葉・動労水戸を先頭に今春闘を闘い抜いて7月参院選へ攻め上ります。

青年労働者・学生と団結し参院選勝利へ

 ――最後に、鈴木さんの闘いの経歴と、その中でつかんできた確信について教えて下さい。
 私は高校時代に初めて『共産党宣言』を読み、「これだ!」と思いました。それからマルクス主義を必死に勉強して、60年安保闘争の総括などをめぐって日本共産党と決別しました。
 そしてNHKの労働組合に入ってから3〜4年かかって、ディレクターも技術労働者も営業職の労働者も、同じ労働者だという団結を形成していきました。27歳で思い切って日放労長崎分会の執行部選挙に挑戦して勝利しました。スローガンは「愚痴はよそうぜ、力で示そう! すべての不満を組合へ!」でした。そして1968年の米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争に「全学連と連帯して闘おう」と分会決議をあげて決起しました。職場で反戦青年委員会をつくり、長崎地区労・県評の中心部隊を担いました。
 これを自民党機関紙『自由新報』が「NHK長崎、三派全学連に占拠される」と報じて、これは何か攻撃が来るなと思っていたら、私に東京配転が発令されました。NHKでは転勤・配転が組合つぶしの最大の攻撃で、それまでの組合左派活動家はみんなやられてきた。それで、われわれは徹底的に闘おうと身構えていた。連日職場集会を開き徹底討論をやり、他方、NHK当局も私の支持者を配転で入れ替えて元自衛官を送り込んだりしてきました。ところが、そういう人たちとも団結して、すでに配転が発令され長崎局の籍も席もない私が、前回の2倍の票差で再び分会長に選ばれ勝利しました。
 その時、私の人生はこれで決まったと思いました。闘いは続き、ついに放送局に警官隊が突入して私は逮捕・起訴され、以降15年間裁判闘争を闘いました。判決は罰金1万円でしたが、結局、NHKは私を懲戒免職にしました。
 それで、裁判闘争の経験も生かそうと思い弁護士になりました。労働・公安事件を多く引き受けていますが、可能な限り、法律を労働者の団結の立場から解釈して裁判所に突きつけていく。仲間の弁護士とともに国労5・27臨大闘争弾圧や動労千葉の裁判、東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会の解雇撤回を闘い、法大の暴処法弾圧事件でも全員無罪をかちとることができました。
 私がNHK時代に闘った佐世保闘争は、ベトナム反戦闘争であると同時に戦後最大の被爆者自己解放闘争でもあったと思います。また本土復帰前の沖縄にも何度も行って、全軍労闘争から71年11月の全島ゼネストに決起していく過程を学びました。
 広島・長崎、福島そして沖縄の闘いは、今日も日本人民の闘いの最先端です。その怒りと悔しさを私が全身で体現し、新自由主義のもとで苦闘している青年労働者・学生と団結して闘いたいと思います。

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