知る・考える 用語解説 人民戦線/「慰安婦問題」
週刊『前進』08頁(2702号05面03)(2015/10/19)
知る・考える 用語解説
人民戦線/「慰安婦問題」
人民戦線-革命を血の海に沈めた戦術
日本共産党が打ち出した「国民連合政府」構想は、1930年代の人民戦線の現代版である。人民戦線とは、「反ファシズム」を掲げた、ブルジョア政党と社共などの統一戦線だが、プロレタリア世界革命へと向かっていた当時の闘いをスターリン主義が内部から破壊し圧殺した反革命戦術である。1929年の世界大恐慌と大失業の嵐の中で、各国の労働者階級はストライキや工場占拠など「生きさせろ!」の闘いに続々と決起した。ドイツ、フランス、スペインなどヨーロッパ各地は革命情勢のるつぼと化した。とりわけフランスやスペインではゼネストが発展し、ソビエトの形成から労働者権力の樹立へと突き進む情勢が生まれていた。こうした中でスターリン指導下のコミンテルンが1935年に「ファシズムへの対抗」の名目で人民戦線を組織した。その狙いはソ連の一国社会主義を防衛するために英仏帝国主義と同盟することにあり、ブルジョアジーの一部とも結託してプロレタリア革命を圧殺することにあった。
実際にも、フランスで成立した人民戦線政府はその反労働者的本質ゆえに短期間で破産し崩壊した。スペインでは、人民戦線のスターリン主義者は、労働者階級の革命への決起を自らの手で血の海に沈める武装反革命として登場した。
「慰安婦問題」-日本国家が犯した戦争犯罪
ここで言う「慰安婦」とは、日本軍兵士の性の相手とするために日帝が国策として推進し、その犠牲者となった女性たちのことである。日帝が過去の戦争で犯した最大の国家犯罪が、1937年の南京大虐殺と軍隊慰安婦政策である。日本軍は近隣の農村から若い女性を狩り集めて監禁し、一日数十人の兵士の性的はけ口とした。慰安所の設置は組織的であり、沖縄、朝鮮、台湾、中国をはじめアジア全域に及んだ。特に朝鮮では、日本の植民地政策により土地や食糧を奪われ生活に困窮した農村の少女たちが、「工場で働ける」などの詐欺・甘言で連れて行かれ、あるいは拉致や人身売買により強制的に連行され、長期間にわたって慰安婦をさせられた。敗戦直後、この国家犯罪の暴露を恐れた日帝は、関係書類を焼却して証拠隠滅を図った。
1991年、日本の海外派兵再開に憤りを感じた金学順(キムハクスン)さんが初めて実名で告発に立った。続いて多くの被害者が決起し、日本政府に真相究明・責任者処罰・謝罪・補償を要求して闘っている。追い詰められた日本政府は93年河野談話、95年村山談話で「おわび」や「謝罪」に言及したが、問題は何も解決していない。逆に安倍政権は「国家犯罪などなかった」と公然と居直って新たな戦争への道を突き進んでいる。