闘いの勝利へ教訓の書 『現代革命への挑戦』を読んで 村井 彰
闘いの勝利へ教訓の書
『現代革命への挑戦』を読んで 村井 彰
党の革命の意義を徹底的に確認
革共同の50年史をどういうものとして読むのかが問われるが、それは今日の階級的労働運動の前進=現代革命の実現のために、これまでの闘いから徹底して教訓を引き出すということに尽きる。
上巻においては91年の5月テーゼ転換の決断、階級的労働運動の再生、そして06年の党の革命の意義を徹底的に確認し、階級的労働運動論を深めている。だから5月テーゼ―党の革命以前の闘いを知らなくても、労働者が闘うべき今日的課題を理解できる。
(一) 5月テーゼ転換への反対派が存在していたが、労働者同志の自己解放的決起によって党の革命として生まれ変わった。
党の革命は、党と労働組合、革命運動と労働運動、職業革命家(常任)と労働者同志といった関係を「労働者階級の解放は労働者自身の事業である」との観点から変革・確立した。
そこから「党と労働組合の一体的建設」論に到達した。労働組合は労働者階級のかけがえのない団結形態であり、革命=自己解放の主体である。そして革命党は労働者階級の中に労働者自身によってつくられるものということだ。
(二) 新自由主義は労働組合・労働運動を破壊することを通して究極的搾取を目指すものだ。動労千葉の階級的労働運動は新自由主義攻撃を20年以上阻止・破綻させてきた。これによって階級的労働運動が新自由主義打倒=革命実現の確信をつかんだ。新自由主義はまさに「最末期帝国主義の絶望的延命形態」であり、帝国主義の最後の悪あがきだ。
荒川打倒と星野闘争の勝利性
(三) 革共同の50年の闘いに貫かれているのは「国家権力中枢との絶対非和解の死闘」である。その中でも「特筆すべき勝利」がスパイ荒川碩哉(ひろや)の摘発・打倒である。荒川には獄中闘争を何年も闘ったという誇りがあったはずだが、それを投げ捨てたばかりか、同志・仲間を権力に売り飛ばすことによって多額の金品を得ていた。それを党活動の原則を貫くことによって摘発したという闘いである。
荒川の対極に星野文昭同志の獄中闘争がある。獄中闘争が誰にとっても厳しいことは言うまでもないが、それが40年以上にわたるならば想像を絶するものがあるはずだ。しかし星野同志はそれを一身に引き受け獄壁で分断されながらもすべての同志・仲間とつながり、日々のささやかな勝利・できごとに喜びを見いだしつつ、労働者人民の未来をみすえている。
完黙・非転向は唯一最高の武器
(四) 日帝権力による逮捕・投獄攻撃を粉砕してきたのが完全黙秘・非転向の闘いである。これは「唯一最強の武器」であるが「自明の理」としてあったわけではなく、闘いの中でつかみとった武器であり、決意さえすれば誰にでもできる闘いだという点が重要だ。
(五) 下巻は50年の闘いを総括する内容であるが、年表といったものではない。大きな結節点となる闘いから、今に通じるものを引き出すというものだ。
戦後革命はブルジョアジーを追い詰めた。しかし決定的な時点で国家権力と米軍の暴力に屈服した「革命党」の裏切りで戦後革命が圧殺された。ここで労働者階級の勝利展望と、革命党の役割の重大さが示された。また蜂起はいったん開始したら最後まで貫徹すべきだという点が、階級の主体形成の面からも重要だ。
階級的労働運動進める動労千葉
(六) 60年、70年決戦においても労働者人民の爆発的決起が実現した。
3全総における「職場細胞を基礎とした地区党」建設を動労千葉を基軸に闘い、70年闘争を準備した。
80年代〜90年代の新自由主義攻撃との闘いでも、動労千葉は階級的労働運動を推し進め、組織を守り抜くことに成功した。動労千葉指導部が現場の思いと一体化し、階級的団結を守り組織建設・団結をかちとった。
本山闘争における「一人の首切りも許さない」という組合の闘いも団結を守るものだ。
(七) 二重対峙・対カクマル戦は「一個の内戦」であり、「新たな時代への突入」であった。カクマルを反革命ファシストと規定したことが重大であった。「殺すか殺されるか」という党の存在、革命の成否をかけて決断した内戦であった。先制的内戦戦略を打ち立て、これに勝ち抜いたことが党を大きく成長させた。非合法・非公然の思想と体制や、革命における軍事を学び、武装した政治闘争など、階級闘争を新たな地平に押し上げた。
動労千葉は対カクマル戦の主戦場でもあった。組合丸ごとでカクマルの白色テロを粉砕することを通して、当局と闘う力をも獲得した。
新自由主義と闘う階級的労働運動は、国鉄分割・民営化攻撃を破綻させ、鈴コン闘争に勝利してきた。階級的労働運動の勝利の核心には「階級的団結論」と「絶対反対論」が据わっている。階級的労働運動の団結とは国家権力との死闘を貫く武器である。