星野ビデオ国賠控訴審判決批判 証拠利用の権利を否定 違法認めた一審判決を覆す
星野ビデオ国賠控訴審判決批判
証拠利用の権利を否定
違法認めた一審判決を覆す
東京高裁第9民事部(奥田正昭裁判長)は5月13日、ビデオ国賠控訴審判決で、星野文昭同志の証拠へのアクセス権を認めた一審判決を覆す不当判決を下した。星野同志と弁護団は満身の怒りで上告した。証拠に対するアクセス権は、星野同志にとって、獄中40年を強いている「殺人罪」デッチあげを粉砕するために不可欠の権利である。最高裁で、奥田裁判長の極悪で脆弱(ぜいじゃく)な判決を打ち砕こう。
ビデオテープ「紛失」(「証拠隠滅」だ!)の事実は、被告の国(裁判所)・都(警視庁公安部)といえども否定できない。そこで国と都は卑劣にも、星野同志には再審のために証拠(ビデオテープ)を閲覧し利用する権利はない、「紛失」しても権利を侵害したわけではなく違法性は生じないなどと、許しがたい主張をしてきた。
驚くべきへ理屈
第一審の東京地裁は、1975年の最高裁・白鳥決定にもとづき、星野同志には「新証拠と関連する旧証拠を検討評価する前提として、旧証拠を利用する利益ないし期待権」があることを不十分ながら認めた。そして、裁判所・警視庁による証拠の「紛失」は、これを違法に侵害したと判断した。
これに対して奥田裁判長は、ビデオテープが「紛失」されても星野同志の証拠の保管・利用を期待する権利への侵害はないとするために驚くべき理屈を持ち出した。
「本件ビデオテープについて、押収物の保管機関である裁判所職員又は裁判所から保管を委託された公安総務課長において、重要な証拠として利用される蓋然性(がいぜんせい=可能性が高いこと)があることを知り、あるいは容易にこれを予見することができた場合には、再審請求人である被控訴人(星野同志)は、その限りにおいて本件ビデオテープを再審請求の審理において利用しうる利益を有するものというべきである」というのである。
結論として、ビデオテープ「紛失」が判明したのが08年4月で、その後、星野同志の着衣が「きつね色」ではなく「薄青色」であったことが同年7月の第1次再審請求の最高裁特別抗告棄却で言及されたことで、「服の色」が重要な争点として浮上したのであるから、それ以前にビデオテープのような映像証拠が重要な証拠となるかどうかについて裁判所職員・警視庁公安総務課長とも知り得なかった、ゆえに星野同志の「証拠に対するアクセス権」は保障されない、としたのである。こんなへ理屈は絶対に打ち破らなければならない。
証拠隠滅を容認
高裁・奥田判決の最大の不当性は、保管の責任を負っている裁判所や警視庁が「これは将来重要な証拠になる」と予想できなければ、紛失したとしても違法性は発生しないとした点にある。
証拠が将来どのような価値・意味合いを持つか誰も分からない。後で決定的な証拠となることは珍しくない。証拠は「すべて」適切に管理されなければならない。
高裁・奥田判決は、星野同志の証拠に対する権利が保障されるかどうかは、「紛失」した加害者である裁判所職員や警視庁公安総務課長が、「このビデオテープは将来、再審で重要な証拠になるかも知れない」と予測できたかどうかにかかっていると言う。デッチあげの張本人が「たいした証拠ではない」と思っていたと言い張れば、星野同志には将来の再審で使う権利や利益は保障されない、また警視庁公安部は「紛失」の責任を問われないというのだ。
こんなことは被告の国や都も主張していない。奥田は「証拠隠滅」を容認し、そそのかしているのだ。満身の怒りを込めて粉砕しよう。
上告審で粉砕を
日帝・安倍政権の危機に駆られた改憲と戦争攻撃のもとで、奥田は最高裁・寺田体制の先兵として、結論ありきの判決を下した。しかし、その論理は破綻しており、脆弱極まりない。安倍は体制崩壊のふちにある。ゼネスト情勢の中で、絵画展が切り開く全人民的怒りと結合して、上告審で必ず奥田判決を打ち砕こう。星野同志を絶対に奪還しよう。9・6徳島刑務所包囲デモへ総力で決起しよう。
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▼白鳥決定 白鳥事件で、1975年に最高裁が出した決定。「疑わしきは被告人の利益に」という原則を再審にも適用し、再審を開始するかどうかは、新証拠と確定審で取り調べられたすべての証拠を総合的に評価して決めるというもの。