血債主義で5月テーゼに全面敵対必ずスパイ岸・水谷・岩本打倒する 『前進』編集局
週刊『前進』06頁(2684号02面03)(2015/06/08)
血債主義で5月テーゼに全面敵対必ずスパイ岸・水谷・岩本打倒する
『前進』編集局
闘いの前進に追い詰められて権力の懐へ
韓国・民主労総のゼネスト、沖縄の全島ゼネスト情勢をはじめ、全世界でゼネストとゼネスト情勢が日々成長している。そのただ中で革共同は、2010年代中期階級決戦を国鉄決戦を基軸に闘いぬいている。1〜5月の国鉄決戦や沖縄闘争をはじめ闘いの画期的な前進が、日本階級闘争の新しい地平を開き、動労総連合の全国的建設と労働組合の拠点建設へ驀進(ばくしん)している。この革共同の嵐のような前進が岸、水谷、岩本ら脱落転向分子に革命の恐怖を与え、追い詰められた彼らはついに権力の懐に飛び込み、極悪のスパイ本の発行に及んだ。
最大・最悪のスパイと化した岸は、スパイ本で「革命は……現実的には可能性は薄いと実感」などと本音を漏らし、自らが革命運動にまぎれ込んだ投機分子だったことを告白し、水谷は別の転向本で、党を除名されて以降「党を離れて共産主義者でいられるのか」などと「悩ん」で、「それでもやれる道をみつけた」と言う。その「道」こそ権力の最大のスパイになることだったのだ。
彼らが「自己批判」と称しつつ書きなぐったものは、清水丈夫議長と動労千葉の故中野洋同志への悪罵と憎悪、革共同政治局員として知りえた党の「内情」を暴露するかのようなデッチあげの数々だった。国家権力中枢が最も知りたがっているものを、うそと推測と脚色を交えてデッチあげ、権力に差し出したのである。これは世界の革命運動でもかつてない最大・最悪の犯罪行為、スパイ行為だ。革共同の壊滅を狙う権力にくみする、恥ずべき行為だ。革共同と労働者階級は断じて許さない。
岸や水谷は、06〜08年の「党の革命」で与田らとともに労働者によって打倒され、革共同からたたき出された。マルクス主義に敵対し、除名後に彼らに残ったものは、革共同と動労千葉への憎悪と敵意だけだった。
そして『現代革命への挑戦』上下巻が発刊されたことが彼らに追い討ちをかけた。その革命的な歴史と総括と新たな挑戦の中身が、岸や水谷らに突き刺さり、打ちのめした。脱落転向分子はこれで再度、粉砕・打倒され、ついに権力の恥ずべき最大のスパイになり果てた。徹底的な粉砕と打倒あるのみだ。
中野同志と動労千葉への一貫した憎悪
岸、水谷、岩本らは、革共同の5月テーゼに、一貫して反対し敵対してきた。91年の革共同の5月テーゼは、20年間に及ぶ対カクマル戦争の勝利と、動労千葉の闘いの歴史的地平の上に提起された。それは「労働者の中へ」の実践と階級的労働運動を柱とする党のあり方への大転換を打ち出した。
この党の転換を清水議長に提起し、その後も主導したのが中野同志であった。動労千葉は、権力・資本とカクマル・松崎の動労千葉解体攻撃をはね返し、国鉄分割・民営化に反撃して85〜86年に2波のストライキを打ちぬき、労働組合の団結を守りぬいた。そして階級的労働運動の原型をつくりあげた。この闘いを抜きにして5月テーゼはなかった。
中野同志は5月テーゼと一体のものとして、与田や岸や水谷らの血債主義を打倒・止揚することを訴え、またマルクス主義青年労働者同盟の創成を提案してきた。この実践が今日の革共同の骨格をつくったのだ。だから極悪のスパイ分子どもは、動労千葉と動労千葉を指導する中野同志を忌み嫌い、憎しみをつのらせた。そこには労働運動と革命運動についての根本的な対立があった。
中野同志は、自らの政治生命をかけ階級的労働運動路線を提起した。労働者の自己解放的決起であり、プロレタリア独裁への要求であり、マルクス主義をよみがえらせよという提起だった。日本革命に勝利する党、真の労働者党への飛躍をかけた決起であった。
スパイ本は5月テーゼに「クーデターだ」「動労千葉支援に党を利用する政治的利用主義だ」などと敵対している。彼らの革共同からの脱落・変質・転向は極まった。
労働者蔑視しマルクス主義と革命を否定
血債主義は「労働者蔑視の思想」であり、労働者階級への絶望を組織するものである。労働者は差別主義・排外主義にまみれ、それを克服しない限り革命の主体たりえないという、マルクス主義否定のイデオロギーだ。中野同志は、マルクス主義について語っている。「マルクスという人は、労働者という存在をみすぼらしい存在じゃなくて、素晴らしいものなのだと……初めて認めた」「今の資本主義社会で、世の中を動かしているのは企業じゃなくて、労働者が動かしている」「したがって世の中を変革する力を持っているのは労働者だけだ」「労働者は、常に搾取され、抑圧される労働過程の中にいる。だから実感としてわかる」(『甦る労働組合』)。
この労働者自己解放闘争の土台の上に動労千葉労働運動、階級的労働運動路線がある。労働者階級にとって資本と闘う基礎的な団結形態が労働組合である。労働組合で資本と非和解的に闘い階級的団結を固め、自己をプロレタリア革命を担う階級として形成していく。そしてプロレタリア革命のための党を、労働者階級の最高の団結形態として労働組合運動を通して建設していく。
中野同志は、革命に向け党と労働組合を一体的に建設していくことを実践した。党の時代認識と路線を真っ向から労働組合に提起し、一致をかちとり、実践していった。こうして労働組合はゼネスト、ソビエト形成、プロレタリア独裁の水路となり、土台となる。単なる戦闘的労働運動は、プロレタリア革命をめざして闘う階級的労働運動ではない。
だが血債主義は「党と労働組合の一体的建設」を「政治的利用主義」と一蹴した。体制内運動であると自認したのだ。
「党の革命」で労働者に打倒された水谷ら
差別との闘いについて中野同志は語っている。「『労働者は差別者だ』というところから問題を立てたら、何も解決しない」「労働者として団結するということを基本にすえて、そこから差別問題を解決していくという立場に立たなければならない」(同)そもそも血債主義は70年「7・7自己批判」とは縁もゆかりもない。「7・7自己批判」は日本と中国の労働者階級の国際主義とプロレタリア革命の路線としてある。日本の労働者階級を日本革命の主体として位置づけるものであった。また日韓米を柱とする国際連帯が動労千葉によって圧倒的に前進していることは誰もが認めている。血債主義は血債主義者によって、動労千葉への憎悪・敵対を組織するものに集約されていったのだ。
5月テーゼ路線の飛躍的前進をかちとるために03年に「新指導路線」が出された。スパイ本は「これもクーデターだった」と非難しているがまったく問題にならない。「新指導路線」で階級的労働運動と労働者細胞建設を基軸にすえること、マルクス主義青年労働者同盟の建設の闘いを開始することが決まった。これが「党の革命」の決定的な動力になった。
03年に結成されたマル青労同は、労働運動の実践とマルクス主義の学習を2本柱にして活動を開始した。そして06〜08年の「党の革命」で、5月テーゼ反対派、血債主義派に対する労働者の決起が始まった。それは「連合党」「戦線の党」ではなく、「労働者の党」「労働者階級の単一の党」「労働運動ができる党」を求めた闘いそのものだった。
「党の革命」から9年、革共同は動労千葉、動労水戸を先頭に国鉄決戦を基軸にして、あらゆる面で大前進している。さらに何よりも動労総連合の全国的建設の推進、労働組合の拠点建設に勝利し、ゼネストとプロレタリア革命を切り開くために闘いぬこう。