東北新幹線が全線でストップ 架線切断 検査は年に1回だけ

週刊『前進』06頁(2681号03面01)(2015/05/18)


東北新幹線が全線でストップ
 架線切断 検査は年に1回だけ

(写真 線路脇を歩いて避難する乗客   )

 JR東日本はまたしても大事故を起こした。大型連休初日の4月29日、東北・秋田・山形新幹線は電気を送る架線の断線で5時間近くもストップした。3・14ダイヤ改定以降、JRは立て続けに大事故を起こしている。民営化と外注化のもとでのJRの安全崩壊は、もはや取り戻しがきかない段階に入った。東京を始め全国に動労総連合を建設し、職場から反合・運転保安闘争に立つことだけが、労働者と乗客の命を守る道だ。全島ゼネストへの怒りの決起を開始した沖縄や、6月再度のゼネストに向かう韓国・民主労総と結び、国鉄闘争全国運動の6・7全国集会に大結集してJR体制を倒そう。

開業時のまま交換もされず

 4月29日午前11時30分ころ、東北新幹線の新白河―福島駅間で停電が起き、東京行きの「やまびこ・つばさ136号」が郡山駅を出発した直後、同駅から約500㍍の地点で停車した。車内の照明もエアコンも切れ、車内の温度は30度以上になり、体調不良を訴える乗客が続出した。
 乗客約550人は0時50分ころ、JR社員の誘導で列車を降り、線路脇を歩いて郡山駅まで移動した。全員が移動し終わったのは、午後2時25分だった。
 東北・秋田・山形新幹線は午後4時ころまで全線で運転がストップした。新幹線58本が運休し、66本に最大約4時間半の遅れが生じ、約6万1千人に影響が出た。
 停車した「やまびこ・つばさ136号」の4個のパンタグラフのうち、2個が折れて地面に落ちていた。また、郡山駅から東京方向に約400㍍離れた場所で、架線が切れていた。
 「やまびこ・つばさ136号」が停車する約25分前、「やまびこ134号」が同じ場所を通った際にも停電が起きて停車したが、約5分後に復旧した。「やまびこ134号」のパンタグラフも変形しており、この列車が通過した時点で架線が切れたと見られている。
 切れた架線は、下り線と上り線をつなぐ「渡り線」と言われる線路の上にあった。「渡り線」が使われるのは、折り返しの始発など1日5本程度のため、架線の検査も年に1回ほどしか行われず、切れた架線は東北新幹線が1982年に開業して以来33年間、一度も交換されていなかった。本線の架線の検査は10日に1回の頻度で専用の検測車を使って行われるが、「渡り線」については、明らかに検査はなおざりにされていた。
 4月12日の山手線支柱倒壊事故をめぐっても、JRの安全崩壊の恐るべき現実があらためて突き出されている。5月8日、JR東日本副社長の柳下尚道は記者会見で以下のような事実を明らかにした。

安全は神頼みのJR東社長

 ①今回、倒壊した支柱にワイヤをかける工事が11年7月に行われた時、それに支柱が耐えられるかどうかの構造計算はまともに行われず、今年3月25日に別の支柱との間にあった梁(はり)を撤去する工事が行われた際も、安全性の検討はまったくなされなかった。
 ②支柱が倒壊する約1時間前には、担当者が現場で状況を確認し、約10・5度も傾いた支柱の写真を撮っていたが、「すぐには倒れない」と判断し、列車を停止させる措置はとらなかった。
 JRは、「情報伝達の遅れ」や「列車停止の判断基準がなかったこと」に問題があったという。しかし、安全手順が守られず、明らかに危険とわかっていながら列車を停止できないような状況は、JRが強行してきた業務の全面外注化によってもたらされたのだ。
 同事故後の4月14日にJR東日本社長の冨田哲郎名で出された「グループ会社の皆さんへ」と題する文書には、「昨年2月に発生した京浜東北線川崎駅構内での回送列車の脱線事故、そして今回の事象でもお客さまの死傷がなかったことは、安全の神様が見ていてくださっているのかも知れません」と書かれている。安全は「神頼み」でしかないということだ。
 JRはこの文書で、グループ会社(外注先)の労働者に「全員が与えられた職責を果たし」「基本動作を丁寧かつ誠実に実施(せよ)」と説教している。すべての責任を外注先に押し付けて、JR自身は安全を「神様」にゆだね、何の責任も取らないということだ。

動労総連合の圧倒的拡大へ

 JR体制はもはや崩壊している。この中で権力中枢とJR資本は、動労千葉・動労水戸―動労総連合の解体にすべてをかけて突っ込んできた。
 『選択』5月号は動労千葉を「JR東の鬼っ子」「JR東の癌(がん)」と口汚くののしる反動キャンペーンを開始した。「組合員のサボタージュによる遅延や運休が日常茶飯事」などという、国鉄分割・民営化時の「ヤミ・カラ」キャンペーンに匹敵するデマさえ振りまいて、動労千葉への攻撃に躍起(やっき)になっている。
 これは、反合・運転保安闘争路線を貫く動労千葉・動労水戸―動労総連合の闘いが、外注化と安全崩壊に怒りを燃やすJRと関連企業のすべての労働者と結びつこうとしていることへの、権力と資本の恐怖の表れにほかならない。第2の分割・民営化攻撃の核心は、動労総連合の解体だ。
 これと真っ向から対決し、東京を始め全国で動労総連合の本格的組織拡大を実現しよう。国鉄(JR)という敵との最も激しい攻防点で、階級的労働運動が組織拡大をかちとった時、日本におけるゼネストは現実のものになる。全島ゼネストに向かう沖縄の怒りや、6月ゼネストに突き進む韓国・民主労総と固く連帯し、安保・戦争国会粉砕、安倍打倒の5―8月決戦に立とう。国鉄闘争全国運動6・7集会への3000人結集を実現し、動労総連合の拡大でJR体制を打倒しよう。

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どこが「世界一安全」なのか! 乗客の声

 私は3号車(自由席)に乗車していました。11時30分ころ、郡山駅を発車して300㍍ほど進んだ時に、天井から「パキッ」という音が聞こえました。木の枝が折れるような音でした。その後、電灯が消え、「ブーン」とモーターの落ちる音がして停車しました。
 アナウンスが流れず、何が起きたのかわからず、不安がどんどん高まっていきました。この日は夏日だったので、車内湿度もどんどん上がっていきました。
 40分ほどたった時でしょうか。車掌さんが汗をダラダラ流しながら「電源が落ちました。空調は止まり、窓も開きません」と報告。車掌さんが1人ですべての車両を歩いて回り、メガホンも持たずに地声で説明。「世界一安全な鉄道」と言われている新幹線でバックアップ電源も積んでいないのか⁉ 事故や避難に備えてメガホンも積んでいないのか⁉ と驚きました。
 その後「10号車から降りる」と説明されました。その際、私は「高い湿度・温度の中で過ごし、疲弊(ひへい)している。線路を歩くのも体力が大変なので、みんなに水を配布してほしい」と要求しました。別の乗客は「私の上でパキッという音がした」と報告していました。
 10号車に移動するまで、私がすべての非常口を開けて風を入れました。「本当は乗務員がやるべきだろ」と思いながら。ゴールデンウィーク中で満員の指定席は、ものすごい湿度でした。トイレの水も流れず、臭いもすごかったです。
 新幹線から線路までは高さがあるので、お年寄りや赤ちゃん連れは、降りるのに大変でした。事故から3時間後の午後2時5分に郡山駅に到着。
 このような体験から、ぎりぎりの最小人数で新幹線が動かされていること、そのため事故への初動対応がまったくとれないことを実感しました。
(福島市・50歳・男性)
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