「50年史」と私 『現代革命への挑戦』を読んで 地区党と私の歩んだ道筋 元江戸川区職労 前迫易子

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週刊『前進』08頁(2676号06面02)(2015/04/06)


「50年史」と私
 『現代革命への挑戦』を読んで
 地区党と私の歩んだ道筋
 元江戸川区職労 前迫易子

(写真 米軍タンク車の輸送阻止を闘った1968年10・21新宿闘争。駅東口には江戸川反戦の旗が翻った)

 「50年史」上下巻を、ともに歩んできた同志たち、若い闘う労働者と一緒に分かち合いたいと思います。

東京東部の地で

 私は60年安保闘争のとき都立大2年生でした。そこの学生運動は民青系でした。でも当時は、日本共産党の教授もデモに出て、「国文学の授業は国会前で」と言うそんな時代でした。ただし、60年安保は終わったが問題は何ひとつ解決していないというのが私の実感でした。
 卒業後、都の民生局に就職し、労働現場での闘いを始めました。革共同3全総はその直後です。まず婦人部をつくろうと、昼休みに全女性参加で職場内の集まりをもつことにし、実現しました。けれど、管理職側の先輩によって、係長が長になる「文化厚生部婦人部」にねじ曲げられてつぶされました。
 その後に都職労の青・婦部に学ぼうと、紹介された墨田区職の前迫勝士を訪ねました。当時すでに共産党を脱退していた前迫は、私にプロポーズしてきて、OKしました。そしてすぐに革共同に結集します。
 このなかで、江戸川区職労の3人の女性労働者が頸肩腕(けいけんわん)症候群の公務災害認定闘争に決起し、全国でも珍しく勝利しました。それは最初の3全総路線の実践だったと思います。職場闘争を基本とするのは当たり前、職場と無縁に革共同の運動があるわけではない、組合・職場の実権をとろうというのが3全総でした。
 私が入った当時の東部地区党は、墨田福祉事務所の前迫をはじめ、墨東病院、全逓本所、教労、東交、国鉄新小岩機関区、民間では石川島造船、精工舎などの労働者が結集していました。
 70年安保闘争の過程では武装した労働者が登場し、闘いは日共・民同の労働運動をのりこえて、職場・街頭に一気に発展します。68年10・21新宿騒乱闘争で新宿駅東口を制圧した労働者・学生部隊の中央に「江戸川反戦」の旗が鮮明に翻る写真があります。この旗は今も家にあります。

遺志を継ぎ闘う

 これらに対する激烈な反動は、日帝権力の手先に転落したカクマルの襲撃という形で降りかかってきました。74年5月13日、前迫勝士が法政大学での三里塚集会の後、カクマルによる襲撃で虐殺されました。60年以来の古参の同志であり、70年決戦を労働者軍団の先頭で闘って逮捕され、出獄後も直ちに最前線に復帰し、東京東部地区委員長として闘い抜いていた前迫の虐殺は、反革命カクマルへの全同志の根底的な怒りと決起を解き放ちました。
 直後の『共産主義者26号』の追悼文では、タイトルの「涙よりも復讐(ふくしゅう)の刃(やいば)を」は編集部がつけてくれたものですが、私は「もはや、帝国主義も、国家権力も、カクマルも、民衆のなかにがっちりと根をはった革命的英雄主義をどうすることもできません」と書きました。自己の置かれた現場で必要な任務をやり抜くことが、決定的に重要なことであると思ってのことです。当時の同志たちとの固い団結と信頼、友情は忘れません。
 鉄パイプに素手で立ち向かったことで、「前迫精神」という言葉が同志たちの口から呟(つぶや)かれるようになりました。どんな困難があろうと闘いに最後まで全責任を取りきるという彼の姿勢と魂に皆が学んで決起していったのです。必死でした。

党派闘争に勝利

 地区の党組織は前迫の死をのりこえて不屈の前進をしました。80年代、中曽根の「戦後政治の総決算」攻撃との闘いでは、大衆運動の路線をめぐる党派闘争が真正面から闘われました。
 一つは江戸川区職労の中で若い同志が闘いを開始します。職場で合理化に反対して繰り返し闘い、共産党支配を大いに揺るがしました。いま一つは江戸川区労協青年協の若い戦闘的労働者と出会い、副議長、事務局長を党に獲得しました。
 85年秋、三里塚と国鉄を焦点にそれまで築いたすべてをつぎ込んで、実力決起を闘いました。決戦への反動、弾圧でたいへん厳しい状況にもなりましたが、やって良かった。それで今の革共同があると思います。
 この中で、部落解放闘争などの戦線的闘いも地域の運動として発展しました。とくに、軍事独裁政権下の韓国で「北朝鮮のスパイ」にデッチあげられた在日韓国人政治犯の救援運動は、被告家族と固く連帯した闘いとして継続されました。ついに昨年末、ソウルの裁判所でカンウギュさんが37年ぶりに再審無罪をかちとりました。一審死刑判決後、二審判決直前に私自身も銀座数寄屋橋で48時間ハンストをしました。この闘いは在日の人たちとの連帯・結合の問題であり、今日の国際連帯につながっています。
 私は江戸川区職労のフラクションで、『共産党宣言』『賃労働と資本』など、マルクス主義の学習に精力的に取り組みました。階級的対立関係、労働者階級の自己解放の鉄則を考え方、生き方とすることの重要さを思うからです。マルクス主義の正しさが核心です。
 私自身は2001年に江戸川区役所を退職しましたが、区職労の同志は階級的労働運動の先頭で奮闘中です。動労千葉新小岩支部(現在地域班)との連帯は下町の地区労建設に、また地区労青年協指導部を獲得した闘いは今の東部ユニオン―合同・一般全国協につながっています。「50年史」には、党派闘争に勝ち抜き、党の革命を貫いて、地域の労働者細胞を建設してきた私の道筋が要約されていると感じます。
(まえさこ・やすこ)
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