各地で国際婦人デー行動

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週刊『前進』06頁(2672号06面04)(2015/03/09)


各地で国際婦人デー行動

(写真 深町加代子さんが元気で明快な講演。参加者に笑顔と勇気をもたらした【3月1日 仙台市】)


 3・8国際婦人デー行動が3月1日の札幌・宮城を皮切りに全国各地で闘いぬかれている。7日には東京と広島で、8日には関西でかちとられた。札幌と宮城からの報告です。(編集局)

札 幌
支部をつくろう
闘う女性の結集軸を!

 札幌では婦人民主クラブ全国協議会・関西ブロック代表の山本美知子さんを招き、婦民新聞の読者など17人が参加して講演会が開催されました。星野文昭さんの弟の修三さんが「もう獄中40年。一刻も早く奪還を!」とアピール。福島の椎名千恵子さんや動労千葉と同家族会からメッセージをいただきました。
 山本さんは、今日の女性が置かれた現実、非正規化と貧困、母性の危機的状況はどこから始まったのかと問い、30年前の国鉄分割・民営化と一体の男女雇用機会均等法が起点だったと指摘。これへの態度が分岐点となり婦民本部が均等法に賛成していく中で、婦民全国協が動労千葉のように絶対反対で闘ってきた歴史を明らかにしました。
 さらに、安倍の「女性の活躍促進法案」は日帝の破滅的な危機を示す一方、戦争に女性を動員するものだと弾劾。女性労働者・女性大衆が闘いの先頭に立ち軍隊まで獲得したロシア革命の教訓から、労組拠点建設、それを軸としたソビエト、世界単一の労働者党の建設の必要性を説きました。労組交流センター女性部の発展と並び婦人民主クラブの役割は決定的であり、北海道にも婦民の支部を!と訴えました。
 続いて活発な議論が行われました。戦争と貧困、社会保障の切り捨て、女性の労働条件の切り下げ、保育園をめぐる現実への怒りが次々に語られ、こうした流れを何とかしたいという意見が続きました。
 最後に集会を呼びかけた女性から、本日を第一歩として婦民全国協の支部を立ち上げようとの提案がありました。
 今、北海道でも戦争反対、反原発で膨大な数の女性が立ち上がっています。しかし既存の婦人運動、女性解放運動は総瓦解、総転向状態。新婦人や「ふぇみん」も権力や資本と闘う姿勢は見られません。労働運動では昨年、自治労全道庁労連で女性部が解散するなど、結集軸がなくなっているのが現状です。婦民の登場は絶対に必要です。
 山本さんが強調したように、女性は社会の半分を担うだけでなく、古今東西の革命運動で決定的な役割を果たしてきました。国鉄闘争、反原発闘争、星野闘争など、どの分野も女性が生き生きと闘えるようになった時に大きく発展すると確信し、男性も北海道に婦民全国協をつくることを最重要課題として取り組みます。
(札幌 J・S)

宮 城
3・11郡山へ熱気
福島支部から多数参加

 宮城行動は3月1日、仙台市で婦人民主クラブ全国協宮城支部とみやぎ労組交流センター女性部の共催で闘われました。冷たい雨を吹き飛ばして昼の繁華街での街宣後、50人の会場を満杯にして講演集会を行いました。
 仙台市職労の仲間が宮城の女性労働者で討論してつくり上げた主催者あいさつを自らの想いをこめて行いました。
 講演は婦民の大阪北支部の会員で豊中市職員組合の深町加代子さん。お話は終始、元気よく明快でした。まず、「安倍の戦争政治は労働組合をつぶせていない一点で破綻している」と断言。09年3月の市職女性部を先頭とした橋下打倒デモへの反動としてかけられた自身への解雇攻撃と闘う中で「保育所の民営化を許さない会」を結成し、民営化をとん挫させ、「非正規化を止めるためなら欠員やむなしと労働者が決起している」と報告しました。また「女性は幾重にも分断され、家族を食べさせ安全に暮らすために必死で普段は保守的に見えるが、生きるためには猛然と決起する」と、西郡や港合同の女性たちの闘いを紹介し、「革命のために拠点労組をとりまくソビエトの建設を。婦民が必要だ」「フクシマの怒り、中でも女性の怒りは根源的。福島支部の存在は決定的だ」と提起。笑顔と勇気をもたらしました。
 続いて、福島から3・11集会への訴えを椎名千恵子さんが行いました。「2月3日にデッチあげ逮捕されたA君が24日に不起訴奪還された。弾圧との闘いの過程で労働組合や青年、学生の中で議論をつくり出し、過激派キャンペーンに風穴をあけることができた。3・11を前に前倒しの勝利感がある」と報告。「3・11へ攻め上ろう」とアピールしました。昨年に続いて福島支部から多数の婦民会員がかけつけ、集会の成功のためにともに闘ってくれました。
 質疑では、福島のこと、「イスラム国」問題、子どもの貧困、国際連帯などが討論になりました。深町さんの「闘い方はもうあるで! 動労千葉の船橋事故闘争と動労水戸の被曝労働拒否闘争や!」ときっぱり答えたのが心に残りました。
 国際婦人デー闘争を宮城、福島の地区党の闘いとして取り組んだこと、準備過程で時代認識や労働組合をめぐって激論し団結をつくってきたことが大きなステップになりました。
(青柳葉子)

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