団結ひろば 投稿コーナー
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革共同声明の『前進』 江戸川区役所に500部 東京東部 酒井慎一
1月29日、「イスラム国」による日本人人質事件に対する革共同の声明が載った『前進』2666号を江戸川区役所の労働者に配布しました。「日本人2人の拘束・殺害事件/一切の責任は安倍にある」と大書したビラを配る区職の仲間とともに『前進』を配ると、区職労働者が次々と受け取っていきます。事件の渦中、この見解が出ているだろうと思って積極的に手を出す人が多く、若い労働者は「ありがとうございます」と大事そうに受け取り、見出しに見入って歩いていきます。持っていった500部が全部なくなりました。
安倍が「罰を与える」と中東侵略戦争に参戦し、国会は安倍批判自粛(じしゅく)の総翼賛。共産党が「安倍を批判するな」と反革命の本性をあらわにしています。しかし、現場労働者はその正体を見抜いています。ある職場では、昼食時に安倍がテレビに映った瞬間、仲間が「こいつのせいだよね」と吐き捨てるように言いました。
この労働者たちに、ほかのどの勢力にも出せない革共同の鮮明な見解が示されることは決定的な力になります。何よりも動労千葉を先頭につくってきた階級的労働運動と労働者国際連帯の実践が、圧倒的な説得力を持っています。日米韓欧そして中東の労働者がすべて民営化と闘っているからです。戦争をとめる力はここにある。『前進』を武器に拠点建設に打って出るかつてない好機の到来です。
NAZEN品川を軸にふくしま診療所報告会 東京南部 大井重雄
NAZEN品川を先頭とする東京南部地区で闘う諸団体は、「ふくしま共同診療所報告会集会実行委員会」を結成し、「福島の子供の現状を知り共に考え・闘おう」の立場で1月25日、杉井吉彦先生を招いて「ふくしま共同診療所報告会」を開催しました。30人が結集しました。
杉井先生から熱のこもった報告を受けました。とりわけ、NHKスペシャル「甲状腺検査の実状」を映し出しながらの報告では、福島医大のデタラメ・インチキな医師らに向かって何度も「怒りの突っ込み」を入れる杉井先生に呼応し、参加者の怒りが噴出。
一方で福島医大の山下俊一医師らのエコー検査のあまりのデタラメなやり方に「失笑」も漏れました。杉井先生から「ここは笑うとこではない。福島の人はみんな怒るとこです」と言われ、あらためて福島の人たちの怒りを共有しなければならないと強烈に感じた場面もありました。
福島の子どもたちへの思いを替え歌を歌った仲間や保養活動の先頭で闘っている仲間からの報告もありました。
今後の具体的な闘争課題として、①被災地・被曝の現実と訴えから学び・応え、ともに避難・保養をすすめ健康増進をかちとっていくために闘っていく、②福島の人たちの怒りを共有し、地域・職場で周りの労働者・市民に訴え、怒り・行動を組織していく、③東京南部地域で生活している避難者の人と交流しともに闘っていく、④特に、南部地域の労働組合に分け入り連帯をつくり出し、原発再稼働攻撃を根底からひっくり返していくことを確認しました。
参加者一人ひとりが「被曝と日々対決し闘う福島の思い・怒りを自らのものとして3・11反原発福島行動へ総結集しよう」と固く誓い合うことができたと思います。
後藤健二氏の「死」と小林多喜二忌に思う 東京・JP労組組合員 本郷四郎
2月20日は「小林多喜二忌」。多喜二は「蟹工船」「不在地主」など労働者や農民の悲惨な現状を赤裸々に発表・告発したプロレタリア作家。1925年に施行された治安維持法下、天皇制国家が推し進める侵略戦争に猛烈な反対の論陣を張っていた。1933年2月20日、特高警察に逮捕・拷問され殺された。
日本帝国主義は、1931年9月18日の柳条湖事件と翌年の「満州国」デッチあげ以降、戦争に突入し、ついには33年3月国際連盟を脱退し、国際的な孤立化と無謀な侵略戦争の拡大へと突き進んでいく転機だった。
2015年初頭、「イスラム国」による日本人2人の拉致・殺害が大きく報道されている。安倍政権は「テロに屈するな」を声高に繰り返し叫び、対する全野党も同調し、2月後藤健二氏の殺害がはっきりする中、その世論が世界を席巻(せっけん)している。
止まれ。この事件――シリア・イラク、中東で起きている事態の原因、戦争放火者は、米国を始めとした日・独・英・仏の帝国主義の領土・資源略奪、侵略戦争にある。
あまりの悲惨さを受けとめきれず、激情にかられて「イスラム国を支持するのか」と殴りかからんばかりの同僚がいる。そうではない。怒りの矛先を間違えるな。そしてだまされるな。
1917年4月、レーニンは「強盗的帝国主義戦争は全ヨーロッパにおける内乱の始まり」だと演説した。本当の階級敵は帝国主義にある。後藤健二氏が訴えてきた「戦争と貧困」はそれを示している。
小林多喜二が生きてきた「1930年代の闘い」に思いをはせる時、私たちの時代が1930年代的様相に入っていることを痛感せざるを得ない。私たちの「革共同50年史」にあるように、時代認識と路線の正しさがいよいよ証明され、世界を獲得していくことを確信している。
都心で星野絵画展 100万署名展開へ 東京・なんぶ星野さんを救う会 宮里勝博
1月23、24日、千代田区九段生涯学習館2階のギャラリーで「星野文昭絵画展」を開きました。東京・なんぶ星野文昭さんを救う会と中部準備会が共催し、全証拠開示100万人署名を中部・南部地区で本格的に展開していく契機にしようと企画しました。参加者は2日間で90人でした。
絵画展の参加を呼びかけるビラを労組・街宣・集会・反原発首相官邸前などで積極的にまいた結果、そのビラを見て来た人が何人もいました。当日会場前でビラを受け取って参加する人も多数いました。「獄中40年、無実の政治犯、星野文昭絵画展をしています」という声かけは、通りすがりの人にも「心に響く」と実感しました。
23日夜に参加者20人で集会を開き、全国再審連絡会議の金山克巳さんに「全証拠開示・再審開始、100万署名」のカラーパンフを活用した提起を受けました。
金山さんは、①星野さんの闘い、②星野さんは無実、③星野さんを取り戻す闘い、という3点にまとめて提起し、「無実の証拠は検察庁の倉庫にある。これを開示させて星野さんを取り戻すために、一人ひとりが星野全証拠開示署名集めのオルガナイザーとなろう」と訴えました。
沖縄民権の会代表の座覇光子さんが「沖縄と一体の闘いとして星野闘争はある。自分自身の問題として沖縄問題をとらえてほしい。星野さんのことを世界中にある沖縄県人会に訴えたい」と提起しました。司会の私は、川崎沖縄県人会が呼びかける「辺野古新基地建設に反対する署名」への取り組みを訴えました。
集会冒頭に「国際的兼業ミュージシャン」Tさんが自作曲と「あの坂を登って」を歌い、みんなで星野解放歌「ソリダリティ」を歌いました。
この成功を踏まえ、誰でもできる「星野救援活動」として、地域や職場で星野署名をガンガン集めたいと思います。