荻野富士夫さんの講演 (要旨) 治安法は一度適用されれば拡張し自己増殖する

週刊『前進』06頁(2667号06面02)(2015/02/02)


荻野富士夫さんの講演 (要旨)
 治安法は一度適用されれば拡張し自己増殖する


 「戦後70年」は治安維持法施行から90年でもあります。治安維持法がどれほどの悪法であったのかをお話します。
 前史として、ロシア革命が波及するのを防ぐために過激社会運動取締法案が1922年に国会に上程された。だが、社会主義とか無政府主義という概念があいまいであることが問題になり、廃案になった。
 23年に関東大震災のどさくさにまぎれて治安維持令が緊急勅令でできたが、やはり本格的なものを作らなければだめだとなり、25年の治安維持法成立となっていく。その当時、「国体変革や私有財産制度の否認を目的とした結社を取り締まるだけで、一般の人びとに関わりのない法律だ」と説明された。大きな反対運動は起きたが、議会を通過していった。

「三・一五事件」

 最初の3年ぐらいは京都学連事件などの小手調べ的な運用であった。しかし、当時日本の植民地であった朝鮮ではただちに発動された。
 国内での本格的な適用は28年の「三・一五事件」(共産党に対する一斉検挙)であった。この事件が大きな衝撃となり治安体制が強化された。治安維持法もそれまで最高刑が10年であったものが死刑になると同時に、目的遂行罪が導入された。
 これは緊急勅令という形で行われた。その理由は一つはその年の秋に控えていた天皇の即位の大礼に間に合わせるためであり、もう一つは山東出兵に対する反戦反軍運動の高まりを抑えこむためであった。
 治安維持法は司法的な処罰を与えるだけでなく検挙し、アカというレッテルを張って運動から引き離すという行政警察的運用が重要視された。
 死刑判決は国内では出ていないが、小林多喜二のように特高警察の拷問で多くの人びとが殺された。天皇に弓を引く国賊には拷問して良いという意識を特高警察に植え付ける役割を果たした。  運動に対する抑圧機能という点では目的遂行罪が大きな意味を持った。

目的遂行を処罰

 目的遂行罪とは、共産党に入っていなくても「その目的を遂行するのに資した」という概念だ。33年には日本労働組合全国協議会が「国体」変革結社に追加された。
 34年、35年の「改正」は成立しなかったが、これをステップにさらに拡張運用が行われた。当局が共産主義運動と見なす領域は社会民主主義に拡大され、厭戦(えんせん)的気分や大衆の意識さえも監視下に置くようになった。欧米から来る自由主義や民主主義も共産主義の温床であるとして抑え込まれた。
 対米英開戦の直前、治安体制の徹底が要請された。41年2月に治安維持法「大改正」が議会に提出され、国防保安法とほぼ同時にほとんど反対意見もなく成立した。
 新治安維持法は第1章「罪」で、「準備結社とそれへの目的遂行行為、集団とそれへの目的遂行行為、さらに宣伝とそれへの目的遂行行為」と考えられる可能性のすべてを網羅した。あらゆるものを、当局が認定すれば治安維持法に引っかけられることになった。

政府当局の狙い

 政府当局が狙っているのは、政府を信頼し不平不満を言わない国民をつくることです。そのために相互監視し密告を奨励する社会にする。特定秘密保護法もその機能を持つだろうと思います。
 治安維持法の歴史からも明らかなように、治安法はさまざまな機会を通じて増殖し拡張していく。特定秘密保護法がここでとどまっているとも思えない。何回か適用すればこれは十分ではないという議論になって最高刑が死刑になる。そういう可能性があるだろうと思います。
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