1・22集会 現代の治安維持法と闘う会結成 盗聴拡大・秘密法粉砕へ 安倍「戦後70年談話」と対決

週刊『前進』06頁(2667号06面01)(2015/02/02)


1・22集会 現代の治安維持法と闘う会結成
 盗聴拡大・秘密法粉砕へ
 安倍「戦後70年談話」と対決

(写真 現代の治安維持法と闘う会結成集会に駆けつけた310人が闘いの決意を打ち固め、団結ガンバロー【1月22日 東京・弁護士会館】)


 「『戦後70年』攻撃との闘い/労働者民衆の団結で治安弾圧打ち破ろう! 現代の治安維持法と闘う会結成集会」が1月22日、東京の弁護士会館講堂・クレオで行われ、310人が集まった。参加者は戦争と治安弾圧を打ち破る決意に燃え、新たな運動がスタートした。

労働者・民衆の団結を訴え

 集会の司会は東京中部労働組合交流センターの女性労働者が務めた。最初に呼びかけ人あいさつとして、弁護士の森川文人さん(横浜事件国家賠償訴訟弁護団)、長谷川英憲さん(救援連絡センター運営委員)が登壇した。
 森川さんは「今、政府が進めようとしている盗聴拡大、司法取引、匿名(とくめい)証人制度、秘密保護法体制構築は戦時下での治安維持法体制そのもの」「私たち99%の労働者・民衆が団結し、生きるためにともに闘いましょう」と熱を込めて訴えた。
 長谷川さんは「イスラム国」による1・20日本人人質事件に触れ、「日本も中東侵略戦争の当事国であることがはっきりした」「世界の労働者の団結で帝国主義の戦争を絶対阻止しよう」と渾身(こんしん)の決意を表し、「治安弾圧に対する救援運動の最も原則的な立場は完全黙秘」と強調した。呼びかけ人の内田剛弘さん(弁護士)のメッセージを司会が代読し、拍手で確認された。

〝戦争・治安弾圧と闘おう〟

 「現代の治安維持法と闘う会」事務局の菊地安長さんが経過報告を行った。
 「再び日本が戦争に突入するのを許すのか否かをかけた歴史的決戦が『戦後70年』です」
 「私たちは、一つの大スローガンとして『労働者民衆の団結で、戦争と治安弾圧を打ち破ろう!』を掲げます。そのもとに五つの柱で闘う。すなわち、①再びの侵略戦争を許さない。安保関連法案阻止の大運動と連帯する。②階級的労働運動と国際連帯を推し進める。③盗聴法、『共謀罪』、秘密法などの〝現代の治安維持法〟と闘い、阻止する運動を実現する。④完全黙秘・非転向で弾圧に勝利する。⑤学習会と宣伝を行う」
 参加者は満場の拍手で応えた。
 小樽商科大学教授の荻野富士夫さんが「治安維持法の時代を考える」と題し、記念講演を行った。(要旨別掲)
 荻野さんは、「『戦後70年』は治安維持法施行から90年でもある。若い人たちの中にも『特定秘密保護法が現代の治安維持法である』という認識がある」と切り出し、治安維持法がどれほどの悪法だったのかを歴史をひもときながら丁寧に説き明かした。
 「政府当局が狙っていることは、政府を信頼し不平不満を言わない国民をつくること、相互監視と密告を奨励することです。特定秘密保護法がその機能の一つ。治安維持法の歴史から学ぶことはこうした治安法は一度適用されたらどんどん拡大し自己増殖していくということだ」と講演をまとめた。
 参加者は真剣に聴き入り、闘う会の結成が時代に求められる重大な闘いの始まりであるという確信を深めた。

闘う現場からの熱烈な連帯

 熱烈なカンパアピールを迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判被告団の板垣宏さんが行った。
 闘いの現場から、憲法と人権の日弁連をめざす会の武内更一さん、星野文昭さんをとり戻そう!全国再審連絡会議の金山克巳さん、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判被告団の須賀武敏さん、横浜事件国家賠償訴訟弁護団の山本志都さん(闘う会呼びかけ人)、法政大学文化連盟委員長の武田雄飛丸さんが次々とマイクを握り、闘う会との連帯を表明した。
 そのすべてが戦争と治安弾圧の攻撃に絶対反対し、団結の力でそれを打ち破っている闘いである。ここに戦前と現在の情勢の大きな違いがあることが鮮明となった。
 事務局の竹吉重雄さんが「戦争が始まり、現代の治安維持法の時代に入っている中で、闘う会を結成したことに歴史的な意義がある」と集会をまとめ、1・26国会前闘争を皮切りに5〜6月安保・戦争国会決戦へ団結して闘うことを訴えた。首都圏闘う労働組合「生きさせろ!」会議(STRIKE会議)の新井拓さんの音頭で「団結ガンバロー」を三唱し、集会を締めくくった。

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横浜事件 1942年から43年にかけて言論関係者60人以上が神奈川県特高警察により検挙され、治安維持法違反として起訴された事件。拷問により4人が死亡。45年8〜10月に裁判所は30人に懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を出し、裁判記録をすべて焼却した。戦後、元被告や遺族は再審請求したが、1次、2次は棄却。3次、4次において横浜地裁は有罪・無罪の判断に踏み込まず裁判手続きを打ち切る「免訴」を言い渡した。現在、元被告の遺族たちが原告となり、国の責任を求める国家賠償請求訴訟を起こしている。

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