JR体制 破産と崩壊 ⑭ 基地再編成を推進する東労組 「対案」叫んで会社提案を補完 カクマルは全面外注化の先兵 動労千葉と共にダイ改阻止へ

週刊『前進』06頁(2667号02面03)(2015/02/02)


JR体制 破産と崩壊 ⑭
 基地再編成を推進する東労組
 「対案」叫んで会社提案を補完 カクマルは全面外注化の先兵
 動労千葉と共にダイ改阻止へ


 15年3月ダイヤ改定でJR東日本は、東日本全域に及ぶ輸送体系の大再編と全面外注化に着手する。13年12月にJR東日本が提示した「京浜東北・根岸線および横浜線の乗務員基地再編成」も、このJR大再編と一体のものだ。

結託体制破棄JRが明確に

 JRの当初の提案は、15年3月に下十条運転区、浦和電車区、浦和車掌区を廃止して、さいたま運転区、さいたま車掌区を新設、浦和電車区の検修部門を分離し、さいたま車両センターを新設、15年12月に東神奈川電車区、東神奈川車掌区を廃止して横浜運輸区と相模原運輸区を新設、16年3月に蒲田電車区、蒲田車掌区を廃止して大田運輸区を新設するというものだった。
 これは上野東京ラインの開業に伴い京浜東北線の運行を削減し基地を統廃合する合理化攻撃だ。同時にJR東日本は、東労組を優遇する労務政策からの転換、すなわちJRと東労組との結託体制の破棄を明確にした。
 そもそも下十条運転区は、分割・民営化渦中の86年3月、下十条電車区、浦和電車区、蒲田電車区の京浜東北線車両を浦和電車区に統合する基地統廃合により設立された。動労カクマルは「必要な効率化は進める」としてこの合理化を推進した。その見返りに東労組は下十条運転区を「拠点職場」としてきた。JR東日本はそこに手をかけてきたのだ。
 14年2月、JR東日本東京支社は支社管内の全運転士、車掌を対象に下十条運転区廃止の「概要説明」を行った。同年3月には、これまでの労使協議を無視して、直接、下十条運転区の運転士に「異動のための面談」を行った。東労組東京地本は「面談の中止を求める緊急申し入れ」を行ったが、東京支社は「面談はやめない」と一蹴した。
 これに対し東労組は断末魔の抵抗を試みた。5月27日、東京地本は臨時地本委員会を開き、東労組第30回定期大会に向けて「ストライキ方針決定」要請を決議した。
 6月8日から開かれた東労組第30回定期大会は、基地再編成問題は議案書に何も書かれず、急遽(きゅうきょ)口頭で「追加方針提案」が行われる異例の展開になった。本部は施策実施をすでに承認していたのだ。東京地本委員長の鳴海恭二は、「特定の経営幹部は、この施策を完結する2年間を通して、東労組との労使関係を抜本的に見直し、組合員の分断と組織の弱体化をめざしている」といらだちをあらわにした。だが、冨田哲郎社長以下の経営陣が列席する大会で、ストライキ論議ができるはずもなく、「ストライキ」の件は採決もされなかった。

〝スト空騒ぎ〟謝罪し総屈服

 6月26日、JR東日本と東労組は「施策実施に関する確認メモ」を締結した。それは、「会社の発展を基礎とし、『労使共同宣言』を遵守(じゅんしゅ)する」という文言が示すように、ストの空騒ぎを謝罪し、東労組の会社への屈服と恭順を表明したものだった。
 しかし会社は、その「確認メモ」さえ無視して、女性車掌の異動を一方的に発令した。
 6月から10月にかけて東労組は、乗務員基地再編成に関する解明交渉を行った。そこで東労組は、施策実施を前提とした上で、施策の不備に論及し始めた。
 下十条運転区を廃止した場合、昼間の時間帯には6本の電車の収容先がなくなる。会社が収容先に想定する浦和電車区と蒲田電車区はともに、収容できる電車は限界に達している。それを無理やり収容すれば、車両清掃や検査修繕の業務は成り立たなくなる。外注先の労働者は強労働を強いられ、事故が誘発される。
 また、京浜東北線の輸送のメインは赤羽―蒲田間で、そこに乗務員が集中している。担当するのは下十条運転区、蒲田電車区、蒲田車掌区で、現在は410人の乗務員が配置されている。施策が実施されると、乗務員は新設の大田運輸区の約200人だけになる。この要員で輸送をまかなうことは不可能だ。長時間連続乗務が常態化し、安全は解体される。施策は撤回させる以外にない。
 にもかかわらず10月8日に東労組が出した「中央本部見解」は、「安全で質の高いサービスが提供できる施策を実現しよう」として、「施策の見直し」論を展開するだけのものだった。これをもとに11月7日、東労組は施策の「中止・見直し」を求める緊急申し入れを会社に提出した。これを受けての11月28日の団交で、会社は下十条運転区の廃止時期の1年延期を含む4項目の提案を行った。東労組はこれに飛びつき、「議論経過メモ」と称する実質的な妥結文書を締結した。

運転区廃止は既定方針通り

 東労組は会社の「1年延期」提案を「東労組の歴史に残る大きな成果」と言う。だがそれは、会社の当初の計画があまりに杜撰(ずさん)だったことの結果に過ぎない。会社は「カクマル拠点」をつぶすという思惑だけを優先し、電車の収容先も考えずに下十条運転区の先行廃止を打ち出した。その会社提案の破綻点をつくろい補完することで、東労組は基地再編を推し進めたのだ。
 下十条運転区廃止は決定事項であり、15年3月ダイ改時には下十条運転区の7割の運転士がさいたま運転区に転出になる。蒲田車掌区からさいたま車掌区への転出も、16年3月の大田運輸区発足も既定どおりで、会社の方針に変更はない。
 動労水戸への新たな組合員の結集に慌てふためいた東労組は、「ストライキで『絶対反対・白紙撤回』/そうするとどうなる? 会社施策が一方的に実施されて何も残らない」「反対なら自分たちの対案が必要」などと書きなぐった文書を掲示した。その東労組が「対案」と称してやっているのは、3月ダイ改に始まるJR大再編の先兵になることにほかならない。
 動労千葉は3月ダイ改阻止のストに立つ。JR大再編・全面外注化との決戦はここから始まる。東労組カクマルの裏切りを徹底弾劾し、動労千葉とともにダイ改阻止へ決起しよう。
(矢剣 智)

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