「50年史」と私 『現代革命への挑戦』を読んで 民間基幹産業の心臓部で奮闘 元鉄鋼労働者 中田敏博

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週刊『前進』06頁(2666号06面02)(2015/01/26)


「50年史」と私 『現代革命への挑戦』を読んで
 民間基幹産業の心臓部で奮闘
 元鉄鋼労働者 中田敏博

(写真 1969年11月16日の佐藤訪米阻止闘争に立つ反戦派労働者)


 昨年刊行された『現代革命への挑戦』上・下巻は、2千万の青年労働者・学生をとらえずにはおかない書であると思う。私は、革命的共産主義運動50年史の初期、1960年代からこの運動に身を投じた一人として、京浜工業地帯で闘った。当時の反戦派労働者の職場での闘いは、革命の現実性を切り開いた実に胸躍る闘いであり、時代だった。

青年丸ごと獲得

 1960年代の求人倍率は6倍。鉄鋼労働者の賃金は国鉄労働者や教育労働者の2倍以上。八幡製鉄所労組3万人のうち、26歳以下の9千人が青年部に組織されていた。1967年に青年部が実施した意識調査では、「製鉄所の社員であることに誇りを持っている」と回答したのは18%。「つまらない。どうとも思わない」は80%。「技術革新と合理化」にあくまでも反対は46%、賛成は38%。「ストライキ権の確立」には78%が絶対に必要と回答していた。
 こうした中で、67年10・8羽田闘争以来の安保・沖縄闘争の大高揚は、主要な産業における青年労働者の労働運動の主流派への登場を圧倒的に促すものとなっていった。それは、青年と学生の一世代を丸ごと獲得した疾風怒涛(しっぷうどとう)の時代だった。
 69年の時代状況を端的に示すものとして、あるルポライターの取材に対する八幡の青年労働者の回答がある。「社長の名前は?」の問いには半数が「知らない」と回答。「労組委員長の名前は?」には、誰もが「知らない」と回答。しかし「全学連委員長の名前は?」の問いには、全員が胸をはって「秋山勝行」と答える時代がつくりだされたのだ。
 69年と71年の二つの11月決戦で逮捕・起訴された鉄鋼労働者の被告団は、日本鋼管・八幡製鉄・富士製鉄・川崎製鉄・日本冶金・特殊製鋼・九州の岡崎工業などの職場から決起した14人。
 当時は全逓・日教組・鉄鋼など、どの産別の全国大会もすべて、反戦派労働運動の登場とそれへの賛否をめぐって激突した。また室蘭製鉄所の大独占心臓部の労組7千人の執行部選挙では、合理化攻撃にまったく無力の共産党や協会派を圧倒して、反戦派が堂々と登場した。

工場細胞の建設

 この情勢はどうしてつくられたか。
 新設工場には労組を結成して闘った。既成の労組はどこでも御用組合だから、春闘や反合理化闘争では、幹部を職場組合員の前で徹底的に恥をかかせてたたき出す闘いをやった。
 また、縦横無尽にマルクス主義の学習会と機関紙活動を展開した。64年の原子力潜水艦寄港反対闘争と65年の日韓条約反対闘争、ベトナム反戦闘争などの街頭闘争を、職場闘争を基礎に車の両輪として実現した。産別機関誌を自己解放的につくりだした。また、68年アスパック闘争以降、学生共産主義者が労働戦線に入って本格的に闘いを開始したことは、職場の拠点化に決定的に寄与した。
 支持者から活動家へ、活動家から組織者へ、組織者から共産主義のリーダーへ、の闘いはスピーディーであった。地域の主要な工場に次つぎと細胞を建設し、地区党の拠点建設を広げた。また70年安保闘争の革命性・根底性ゆえに、沖縄出身者と在日朝鮮・中国人民の闘い、女性解放の闘いに学び、合流をつくりだした。
 とりわけ重要だったのは、「戦後世界体制の根底的動揺と日帝の危機」という時代認識が職場の闘いに貫かれていたことだ。粗鋼生産1億㌧時代の到来と八幡・富士合併=新日本製鉄誕生に対し、闘う青年労働者は、国鉄と並んで帝国主義の中心であり、危機にあえぐ鉄鋼独占資本を打倒することが、革命に勝利する枢要な闘いであるという確信に満ちていた。
 溶鉱炉と転炉からの出銑(しゅっせん)は1500度の高熱だ。死亡事故は年間200人に達していた。反戦派労働者はこの中で、作業長制度・職務給の導入や勤務体制の変更に伴う大幅人員削減の攻撃と闘った。八幡製鉄・富士製鉄の合併反対闘争は、全国の同志が10カ所の大製鉄所と本社・研究所にビラをまいて闘われた。反合理化闘争の路線をめぐる対立が最大の党派闘争であった。

歴史継ぎ闘おう

 『現代革命への挑戦』のタイトルどおり、歴史は現在のための出発点であり、具体的で実践的で、実に豊かであった。
 70年における帝国主義を打倒する労働運動は、70〜80年代の動労千葉の闘いに受け継がれた。日帝国家権力の弾圧と民間反革命カクマルの襲撃という二つの大反動に労働組合として勝ち抜き、反合理化・運転保安闘争で労働運動における党派闘争に決着をつけたのが国鉄闘争であり、動労千葉である。そして今や、「地区党と労働組合の一体的建設」といえる段階に入った。
 革命的共産主義運動50年の、「個に死して類に生きた」数万の共同闘争者、闘いに命を捧げた者をはじめ、諸任務への配置についていった数限りない同志たちの歴史を出発点に、2010年代中期階級決戦をロシア革命の1917年とするために闘い、勝利しよう。(元富士製鉄中央研究所労組)

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出銑 鉄鉱石を溶鉱炉で溶かして得た銑鉄(せんてつ)を炉から取り出す作業。

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