「50年史」と私 『現代革命への挑戦』を読んで 待望の下巻の意義と感動 元全学連委員長 鎌田雅志
「50年史」と私
『現代革命への挑戦』を読んで
待望の下巻の意義と感動
元全学連委員長 鎌田雅志
『前進』新年号は「大恐慌・戦争を世界革命へ」「2010年代中期階級決戦を『ロシア1917年』として闘いとろう!」と打ち出した。
革共同の50年史『現代革命への挑戦』上下巻こそ、この大テーマを実現する最高の武器だ。12月衆院選決戦では早くもその威力が発揮された。これをむさぼるように読んで革命的エッセンスを吸収して決起した学生、青年労働者の姿を見よ! 彼らは「革共同の50年」を体現して鈴木たつお候補とともに立ったのだ。
労働者を主体に
待望の下巻は、歴史的な意義のあるものだと心底思う。プロレタリア革命を自らの事業として遂行する労働者階級を主体として、革共同の50年を描ききっている。
これだけのことをやりぬいてきたのだから、本当に思いきって動労千葉労働運動、すなわち階級的労働運動で労働運動を再生することに全力を注ごう。これをやりきったら、どんなことでもできる。労働運動を再生することに労働者階級の未来がかかっている。
国鉄決戦で日本労働運動を再生するのだ。労働者を戦争に引きずり込んでいく帝国主義労働運動をぶち破る労働運動をつくり出していく展望を、われわれは手中にしている。この道しかない!
合法・非合法、公然・非公然のあらゆる部署・機関で闘う老若男女の全党員、そして闘う労働者が、この地平に並んで立って新たな闘いに躍り出ていくことができる。この地平で、巨万の労働者階級人民と一挙に結びつくことができるのだ。
革命的内戦世代
私の青年期は1970年代の中期から80年代中期までの10年を学生戦線で、その後の15年あまりを獄中で過ごした。
1975年3・14反革命〔反革命カクマルによる本多延嘉(のぶよし)革共同書記長虐殺〕への怒りと、激烈を極めた3・14復讐戦―横浜国大戦争への突入をもって運動を開始した。80年代はカクマルと戦いながら日帝国家権力との革命的武装闘争と大衆的武装闘争に入っていった。いわゆる「革命的内戦」の世代だ。
この時期について、下巻では、70年代の闘いについて「特別に重要な章」(208㌻)であるとし、80年代の闘いは「91年5月テーゼへの道を切り開き、今日にいたる革共同の新たな飛躍の出発点を築いた」として、「その意義は、60年安保闘争、70年安保・沖縄決戦を引き継ぎ、さらにそれをも上回る位置と大きさとをもっていた」(249㌻)と総括している。万感がこもった総括であると思う。
「3・14反革命以前の経験は、偉大な70年闘争といえどももはや問題にならない」と言い、「生死をかけ、長期投獄を恐れず、家族問題を革命的に解決する」を合言葉のようにして闘ってきたが、大衆的決起は動労千葉・三里塚でガンガン進んだ。動労千葉労働運動が形づくられた時期である。
動労千葉が動労本部からの分離・独立闘争、三里塚ジェット燃料輸送阻止闘争で世界を揺るがした。全学連は全国動員で支援に決起し、血を流して動労本部・カクマル松崎一派と闘う動労千葉青年部と連帯して闘った。三里塚闘争は、代執行阻止決戦から開港阻止決戦、そして二期着工阻止決戦へ、農地死守・実力闘争と労農連帯、さらに労農同盟というプロレタリア革命の路線を打ち立てる決定的な発展をした。
そして、中曽根の国鉄分割・民営化攻撃・新自由主義攻撃との決戦に突入し、今日の国鉄決戦への30年間の闘いの幕を切って落とした。内戦下で生み出したこのエネルギーは、まさに先の評価に値するものだ。
1985年の闘いについては、80年5月、韓国における光州蜂起に激しく突き動かされたわが全学連と中核派が、「三里塚二期決戦勝利・成田空港突入」方針をもって中曽根政権の成立を迎え撃ったことが決定的だった。出獄後に出会った韓国民主労総の活動家が、「ニュースで流れたあの(機動隊8個大隊を粉砕した85年10・20三里塚十字路戦闘)映像を見て、87年6月の武装闘争に取り入れた」と語ってくれた。80年の光州蜂起との連帯を貫いた85年の闘いが、韓国の87年革命(軍事独裁体制打倒)につながっていたのだ。
星野同志解放へ
最後に強調しておきたいことは、長期投獄との闘いの勝利である。二重対峙・対カクマル戦争下の長期獄中闘争の経験の上に、80年代から90年代に、3ケタに及ぶ同志たちが集団で長期投獄・下獄と闘い勝利したという経験を党がもっているということは、きわめて重要な意義があると思う。
無実の星野文昭同志が死刑求刑・無期懲役の攻撃と闘っていた。今、彼はますます大きく、世界の労働者階級に展望を指し示す存在になっている。星野解放・革命勝利へ闘いぬこう。2015年、革共同は勝利する。