団結ひろば
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衆院選を闘って
区民の心つかみ安倍に痛打 沖縄大学学生自治会委員長 赤嶺知晃
沖縄大学学生自治会は、沖縄の基地建設絶対反対の怒りに応えられるのは鈴木たつお候補だけであるとして推薦を決め、自治会委員長として支援に駆けつけました。
闘う労働者・学生の代表として鈴木候補は1万6981票を獲得し、安倍に痛打を与えました。
候補の訴えは区民の心をつかみ、揺さぶるものとなりました。演説を立ち止まって聴く人が圧倒的に増えました。私はビラまきや演説をしていたので街頭の反応を肌で感じることができました。
60年安保闘争に早稲田の学生として参加したおばあさんが「安倍を殺してくれ!」と話しかけてきたり、私が演説で「基地建設絶対反対」を訴えたあと「感動しました」と青年労働者が握手を求めてきて、その場でボランティア登録するということもありました。
また、子どもたちが鈴木たつお断固支持に回り、『前進』を5〜6人の小学生がみんなで読んだり「親に勧めたいから新聞をくれ」と求めてくる場面もありました。
安倍はすでにグラグラになっています。沖縄選挙区では自民党の候補がすべて落選するという事態になっています。この勝利を直ちに沖大キャンパスに持ち帰り、基地建設阻止、安倍打倒の闘いを組織していきます。
1千部以上の『前進』を配布 広島大学学生自治会委員長 百武拓
街宣隊の一員として、選挙戦の過程で1千部の『前進』を杉並区民に持ち込むことを目標に頑張り、ほぼ毎日100部以上、トータル1千部以上の『前進』を配布しました。
買っていった人のなかには、国鉄分割・民営化以降もストライキで闘い続けている動労千葉という組合に感動した人、鈴コンの闘い、京大生の闘いに「素晴らしい!」「重要なことだと思う」など、闘う労働者・学生に圧倒的な支持を示し、合わせてカンパを出す人がどんどん出てきました。さらにその場で選挙ボランティアに登録し、次の日からガンガン、鈴木たつお候補のボランティアスタッフとして活動した人、「今の時代に何かしたいんだ」と登録した人もいました。また候補の訴えを聞き「主張を知りたい」と言って買っていった人もいました。中には、2週連続で買いに来た人や、『前進』を読んで「鈴木たつおに入れてきたよ」という人なども。何人もの子どもたちが『前進』を一生懸命読んでいたり。『前進』ほど、ストレートかつ全面的に主張を述べたものはなく、選挙の際も労働者とつながっていく上で最重要の武器だったと思います。
新しい労働者党をつくろう 東北大学学生自治会委員長 澤田光司
今回私は街宣部隊として衆院選決戦に参加しました。街頭の反応で気がついたのは『前進』を読み論議になったうえで獲得され、鈴木たつお候補に票を入れる人が圧倒的に多いということです。
自民党が291議席を獲得しました。連合や全労連など現場で闘わない労働組合をみて、民主党や共産党よりも安倍・自民党のほうが「現実的」な選択だと思って投票したのかもしれません。
しかし杉並では違います。労働者は鈴木たつお候補の演説を聞き、『前進』を読むことができた。動労千葉、動労水戸、鈴コンといったわれわれの闘う労働運動を知ってもらうことができた。そして〝新しい労働者党をつくろう〟という選択肢を現実的だと考えた人が1万7千人もいる! 私たち労働者階級こそが社会の担い手であり、社会を変える担い手なんだと伝わったから、街頭宣伝はすごい熱気に包まれた!
闘う労働組合を建設し、労働者党を建設することの現実性、すなわち革命の現実性というものがあらためて証明された感動的な勝利だと思います。この選挙戦で得た地平を軸に闘う労働運動の現実性に依拠して、自分のキャンパスでも断固闘いぬいていきたいと思いました。
労働者の決起を呼び覚ます 東京 伊藤純一
今年われわれは3度の選挙という資本の土俵で闘ってきた。この中で、闘う労働組合・東京西部ユニオンと闘う弁護士・鈴木たつおさんの名前が労働者の中に知れ渡ったのは重要なことである。
西荻窪駅前でビラまきをしていたら、バスの運転手がバスを降りて私のビラを受け取ってくれました。そこで彼が言ったのは「自分の会社にも労働組合があるが、闘わない労働組合で困っている。西部ユニオンを知っているが場所がわからない」。直ちに私は西部ユニオンのビラを渡し、そこに闘う弁護士・鈴木たつおさんがいること、闘う労働組合・鈴木コンクリート工業分会が解雇撤回・職場復帰をかちとったことを伝え、国鉄署名に署名してもらいました。これこそ労働者の決起ではないだろうか。
しかし、最終日の阿佐ケ谷駅前で、共産党に入れた人の話では「自民党の支持層の厚さには勝てない」「なぜ集団的自衛権の行使容認が戦争になるのか」「なぜ戦争になると資本家がもうかるのか」と。まだまだわれわれの周知徹底が足りていない。
労働者の決起を呼び覚ますことが、来年われわれに求められていることであり、労働者の待ち望む革命への道である。
11・2弾圧のりこえ街宣参加 首都圏学生 Y・Y
11・2労働者集会での不当逮捕・弾圧をのりこえ、鈴木たつおさんのボランティアスタッフとして街宣に参加しました。
今回の選挙闘争は、階級的労働運動派が労働者の新しい選択肢として通用することが示された闘争だったと思います。
知名度ほぼゼロからの選挙戦、前日には新たな弾圧がありつつも、弾圧された学生の家族をはじめ多くの闘う労働者、学生がマイクを握り、一言一言に街頭が敏感に反応して日に日に多くの労働者、市民と議論になる。
「生活の問題、戦争の問題、これらが資本主義の矛盾の中でつくられるのであり、労働者にはこれを解決する力がある。そのために団結した労働者の組織が必要だ。党が必要なんだ」と訴えて賛同が集まっていく、『前進』が1千部を超えて労働者の中に入る。この中で山本太郎氏が民主党の応援にまわったのも残念な反面、結果的には良かったと思っています。
自分達の職場、キャンパスでつくってきた闘争と内容が通用する、約10日間で1万7千の声を集められる時代認識と路線なんだとつかみとった。
選挙戦終盤には、逮捕されていた学生の奪還・合流もかちとりました。この選挙戦の勝利の地平をもって団結の拡大を!
半年で安倍倒すぞ!
労働者の怒りに依拠し訴え 東京 黒川美穂
今回の衆議院選挙を宣伝カーでウグイスをやりました。今年3回目の選挙でしたが、労働者の怒りは沸点に達していると日を重ねるごとに肌で感じた選挙でした。
「誰も恩恵を受けないアベノミクス、誰も支持しない自民党、これで自民党300議席なんて許せません! こんな安倍政権今すぐ倒そう!」「麻生暴言許せません! 子どもを産みたくても産めない、中小企業が倒産・首切りの社会をつくったのが自民党!」「野党共闘、信用なりません!」
このフレーズに道を歩く人びと、工事現場で作業中の労働者がどんどん手を振ってくれました。こちらが怒って訴えるほど、反応が良くなる。
中盤以降、スポット演説で、冷たい風が吹く中、演説を終わるまで立ち止まって聴く人も多く、「本人の演説を聞きたいから夕方の街宣に行くわ」という女性も。
労働者の社会変革の力、怒りに依拠して訴えた結果、1万7千人の投票、決起。資本家に変わって、労働者が権力をとるための政党が必要だと心底から感じました。
時代切り開く挑戦そのもの 郵政非正規ユニオン委員長 齋藤裕介
今回の選挙戦は労働者代表と資本家代表が真正面からぶつかり合うものだった。この一年間の連続した選挙戦は時代を切り開く挑戦そのものだ。
社会は安倍政権による増税につぐ増税、7・1閣議決定や軍拡化によって絶望しか選択肢のない状態にある。
その中で鈴木たつお氏の訴えは明確だ。「戦争はさせない! 原発再稼働阻止! 消費税は全廃! 労働者は奴隷じゃない、非正規職撤廃! 労働者が主人公の社会を!」これが響いた。
今回の選挙戦でみえたものも大きい。
小学生や中学生・高校生が握手を求めたり、スターにあったように目を輝かせていることだ。最も純粋に社会を観ながら成長している多感な青少年たちが、家や学校で鈴木たつおの話で展望を広げている姿を想像するとうれしくなる。
街宣隊にも多くの声援が送られた。安倍政権による増税や社会不安の中で、家計が苦しいことを痛感している主婦であったり、戦争を体験した女性も多かった。年齢を問わず、幅広い支持者と合流することができた。
この時代の願いに応えきり、安倍政治を断ち切ろう! 本物の労働者の政党をつくろう! 革命を成すため、2010年代中期階級決戦に勝利するために、2015年、すべての仲間は誇りと確信をもって前進しよう!
ドイツからも〝おめでとう〟 東京 甲山善樹
衆院選の翌日の12月15日、ベルリンのラーベン・ブロンシュタインさんにメールで結果と報告を書き送り、「今回の衆院選は階級闘争の新たな発展に向けた貴重な橋頭堡(きょうとうほ)を築いた」と提起しました。
それからわずか30分後、ラーベンさんが自分のブログに「東京・杉並区からの選挙報告」と題して私のメールと添付した5枚の街宣写真を大きく紹介しました。
その2〜3時間後、ゴアレーベンのケアスティン・ルーデックさんから「ブログ見ました! すばらしい! 選挙戦は相当な成果をあげたようでおめでとうございます。私の2000人のメル友にブログを紹介しました」とメールが入りました。
彼女からのメールには、1960年代ドイツ学生運動で言われた「選挙で世の中変わるなら、そういう選挙は(支配階級によって)廃止される」という言葉が紹介されていました。
実は11月にラーベンさんが来日した際、一緒に杉並の支持者宅を訪問し、交流を深めていたのです。動労千葉労働運動について理解を深めてきたラーベンさんにとってもきわめて新鮮な経験だったはずです。
2014年、私たちの国際連帯は確実に発展しました。2015年はさらに発展するだろうと予感できる出来事でした。