JR体制 破産と崩壊⑦ 事故続発させた工場の外注化 検修労働者から誇りを奪ったトヨタ方式の「一両流し」導入 9・11郡山闘争ひき継ぎ反撃へ

週刊『前進』08頁(2659号05面04)(2014/12/01)


JR体制 破産と崩壊⑦
 事故続発させた工場の外注化
 検修労働者から誇りを奪ったトヨタ方式の「一両流し」導入
 9・11郡山闘争ひき継ぎ反撃へ


 JR東日本には秋田・郡山・大宮・東京・長野そして宮城の新幹線など六つの総合車両センター(工場)がある。車両の検査・修繕業務(検修業務)は、運用中の車両に対して行う仕業検査・交番検査と、4年ごとまたは走行60万㌔ごとに行う重要部検査、8年ごとの全般検査がある。工場では重要部検査や全般検査を行っており、車両を車体と台車に分離し、ブレーキやモーターなどを取り外して分解し、細部まで検査している。

シニア制度が攻撃の出発点

 JR東日本の工場における外注化攻撃は2000年代から本格化した。2000年の「ニューフロンティア21」がその出発点で、第二の国鉄分割・民営化攻撃だった。それは1995年の日経連「新時代の『日本的経営』」のJR版大リストラ計画だった。JR東日本は「2005年までに社員数を1万人削減する」ことを打ち出した。
 工場の外注化は検修・構内・保線などのメンテナンス部門の外注化と同じく、年金制度改悪を背景とした「シニア制度」(定年退職者を対象に、外注化を前提に再雇用して下請け会社に出向させる制度)と一体となってかけられた。
 動労千葉が外注化と一体の「シニア制度」を許さず労使協定を拒否して闘っていた時に、東労組も国労も「シニア制度」を認める労使協定を締結した。東労組に至っては、外注化強行を率先提案し、国労つぶしの先頭に立った。
 国労郡山工場支部における闘いの転換点も、強制配転攻撃の激化と国労本部の裏切りの中で、それまで支部を牽引(けんいん)してきた民同の書記長が東労組へ集団脱退を組織する大裏切りに走り、これに真正面から対決して動労千葉派の橋本光一さんが2003年に書記長を引き受ける決断をしたところから始まった。橋本さんは動労千葉の外注化反対闘争に学びながら、国労組織のど真ん中で、郡山工場においていかに外注化を阻止するのか、格闘につぐ格闘を開始した。

ジャスト・イン・タイムの強制

 工場では台車検修や塗装ラインなど主要な業務を機械化・合理化するライン工事が95年頃から次々と行われ、「混濁一両・一個流し」(通称「一両流し」)という工場業務の根本的な転換が外注化の前準備として強行された。
 工場の検修業務は、壊れたり変形したりしている機器の状態を掌握して適切な処置を施す作業で、職人的仕事だった。「一両流し」導入以前の作業は、ユニット単位(動力車とそうでない車両がセットになった3〜4両の列車の編成)で車両が検修ラインに入り、それぞれの専門分野の職人集団が車両を渡り歩いて作業をしていた。機器の着脱を専門にやる機器屋、電気配線を専門にやる配線屋、配管屋、ドアや座席やつり革を着脱する艤装屋(ぎそうや)などの職能別集団がいた。
 しかし「一両流し」は、ユニットではなく1両ごとに130分で強制的に次の部署にベルトコンベア形式で流し、流れ作業で仕事を画一化するものだ。時間で仕事を管理・支配するトヨタ方式のジャスト・イン・タイム(JIT)の導入だ。
 これによりそれまでの職能別組織編成から場所によって仕切る部位別班編成に転換された。多能工化と作業のマニュアル化が一体で進行し、職場支配権を持ち組合のリーダーだった現場の労働者の力は奪われ、職場の団結が破壊された。130分で1車両の検修を終えなければならないので、本来やるべき作業をやらない「手抜き」が常態化した。検修の労働者から「しっかり修理する誇り」が奪われたのだ。
 しかも会社は、合理化によって多発する故障を逆に職場支配の武器にし、チェックシートの導入で誰がどの作業をやったのかを掌握して、故障の責任を現場に押し付けるようになった。
 さらに2002年4月にJR東日本は「新系列車両」に「新保全体系」を導入した。交番検査、重要部検査、全般検査の概念を変更して、検査の内容と周期を大幅に緩和したのだ。「新系列車両」とは「寿命半分、値段半分、重さ半分」で検修業務の大幅合理化を目的としたものだ。工場の作業を単なる故障部品の検査とパーツ交換だけに単純化し、外注化を強行することが狙いだった。

メンテ近代化で職場大再編

 2003年にJR東日本は「車両メンテナンス近代化第3期」構想を打ち出した。3年かけて検修区の統廃合や工場の役割の抜本的な見直しが行われた。工場を「総合車両センター」に、区所を「車両センター」にして工場と区所との人事交流を行うとした。もともと区所の業務は車両を運用する運転の系列にあったが、検修業務は運転業務から切り離され、外注化対象として統廃合され、工場の配下に置かれた。工場から区所への配転も行われるようになった。
 こうした外注化の矛盾は爆発している。虫食い外注化(毎年少しずつの外注化)の結果、JRと外注会社が別々に作業するため、どちらも検修作業に手をつけない個所が生まれて事故が多発している。下請け会社では、多能工化でJRより多くの分野の仕事を同時にやらされ、それによる強労働がけがや事故をもたらしている。労働条件は劣悪で賃金も安い。怒りは充満しているのだ。
 2012年にJR東日本は「グループ経営構想Ⅴ」で全面的外注化を打ち出したが、それも破綻している。
 9・11郡山工場外注化阻止闘争は、工場労働者の長年の怒りを解き放ち、JR本体と外注会社の労働者、ベテランと平成採の組合の違いを超えた新たな団結をつくり出した。動労総連合の青年が闘いの先頭に立ったことは決定的だった。
 11・2労働者集会は、安倍打倒の展望が国鉄闘争を軸にした階級的労働運動と国際連帯闘争の発展にあることを、闘いを通して明らかにした。今こそ反合・運転保安闘争を貫き、「動労総連合を全国に」の闘いに総決起しよう。
(野中遥)
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