共産党は労働者の味方じゃない 労働運動、反原発、反戦で反動的な正体

週刊『前進』08頁(2659号03面03)(2014/12/01)


共産党は労働者の味方じゃない
 労働運動、反原発、反戦で反動的な正体


 日本共産党は、労働者の味方ではない。「労働者こそ社会の主人公」という考え方を根本的に否定し、この一握りの資本家が支配する社会をひっくり返す闘いに敵対している。その例を3点挙げよう。

国鉄闘争に 一貫して敵対

 第一は、国鉄分割・民営化で解雇された1047名の「解雇撤回・原職復帰」の闘いを裏切ったことだ。
 30年前の国鉄分割・民営化は、労働組合壊滅の攻撃だった。当時の中曽根首相は、「国労をつぶし総評をつぶして新しい憲法をつくる」ことを「明確に意識してやった」と公言した。実際、それを契機に総評は解散し、労働組合は力を失い、資本家のやりたい放題の社会になっていった。国鉄分割・民営化こそ、今日の外注化と非正規職が当たり前のような社会をつくった元凶だ。
 この攻撃に対して解雇された1047名の組合員が「解雇撤回・原職復帰」を掲げて営々と闘ってきたことは、この分割・民営化から始まるあらゆる攻撃を打ち破る最前線の闘いだった。ところが2010年、金銭解決の「政治和解」が強行された。「金で魂を売り渡せ」というものだ。「不当労働行為や雇用の存在を二度と争わない」という裏切りの決着を、国労本部とともに推進したのが日本共産党だ。
 今、これに反対して、動労千葉を始めとする闘う労働者民衆が「国鉄闘争全国運動」をつくり、あくまで解雇撤回をめざして闘っている。この闘いは、広範な労働者の支持を得て、裁判でも「JR採用名簿の作成に不当労働行為があった」と認めさせるところまで前進している。JRの職場の中でも、動労千葉を先頭に、外注化・非正規職化の攻撃との闘いが推し進められている。労働者が働かなければ社会は回らないということを、日々の闘いで示している。こうした闘いに敵対し、つぶすために全力を挙げているのが日本共産党だ。
 労働者と資本家の利害は対立している。資本家は労働者が働かなければ生きていけないが、労働者は資本家がなくてもやっていける。本来「共産党」とは、こういう労働者階級自己解放の思想の実践者である(マルクス、エンゲルス『共産党宣言』)。だが、今の日本共産党はそれとは正反対だ。「資本主義の枠内での改革」と綱領にうたい、「資本主義の枠を壊しません」と宣言してしまった。1%の資本家が生き延びるために99%の労働者民衆が犠牲にされる、こんな世の中を全力で守っているのが日本共産党だ。

福島の被曝との闘い裏切る

 第二に、3・11福島原発事故後、反原発闘争の高まりの中で、日本共産党は本当のところ「反原発」の側に立ってはいないということだ。
 日本共産党は戦後一貫して「原子力の平和利用」を掲げた原発推進論者だった。3・11直後の統一地方選挙でも「安全第一の原子力政策」を掲げて、「全原発廃炉は非現実的」とフクシマの怒りに敵対してきた。そこから一転して「原発ゼロ」を言い始めた。だが、内部被曝(ひばく)を容認する日本共産党の「原発ゼロ」はペテンだ。
 もう一つは、福島の被曝と闘わないことだ。現に甲状腺がんが104人にまで広がっていることについて、日本共産党は黙して語らない。福島第一原発の事故による深刻な放射能汚染と被曝の現実を直視すれば、汚染地域からの避難の問題が出てくる。だが彼らは、福島県立医大と同じく被曝の現実を隠ぺいし、帰還を強制する攻撃に迎合している。福島で日々被曝を強制されていることへの怒りと無縁なところに「原発再稼働反対」はない。

「自衛戦争」は全面的に賛成

 第三は、戦争に対する態度である。日本共産党は安倍政権の集団的自衛権行使に反対すると口では言う。だが、戦争絶対反対ではない。「自衛戦争」には全面賛成なのである。
 彼らは、「『海外で戦争する国』への歴史的暴挙」と言い、「米国の戦争のために、日本の若者の血を流すこと、他国の人に銃口をむけることに」なるから反対と言っている。これは「戦争絶対反対」ではない。「米国の戦争のために戦うこと」「海外で戦争する国になること」に反対ということでは、「日本のための戦争」「日本を守るための戦争」なら認めるということになる。この「自衛戦争」のペテンと闘うことなしに、戦争に反対するということは成り立たない。これまでの戦争はすべて「自衛戦争」の名で行われてきたではないか。
 戦争は政治の継続である。一部の資本家の利益のために、労働者を戦場に送り込んで行われる。「国の存亡がかかっている」と理屈をつけて他国の、何の利害対立もない労働者と殺しあいをさせられるのが戦争だ。「こんな国のために殺されるのは真っ平だ」というのが労働者階級の立場だ。「米国のための戦争」だから反対なのではない。自国の、資本家階級のための戦争だから反対なのだ。日本共産党は、全然労働者階級の立場に立っていない。
 日本共産党は、安倍政治は「亡国の政治」だと言う。彼らの判断基準は日本という国家の存亡におかれている。これでは労働者階級の利益を守ることも、戦争への道を阻むこともできない。
 結局、日本共産党の言う「戦争反対」は、どこまでも絶対反対の反戦ではなく、自衛の戦争なら賛成するというものだ。
 日本共産党は、1960年安保闘争、70年安保闘争のころから、労働者学生が本気で政府・権力と闘おうとすると、いつも後ろから妨害し、権力を助けてきた。それどころか、「警察の取り締まりが生ぬるい」と「非難」し、弾圧の尻押しをしてきた。その本質を再び明らかにさらけ出したのが、今国会で成立した「テロリスト財産凍結法」に対する賛成である。日本共産党の佐々木憲昭衆院議員は「テロは生命と人権を踏みにじる憎むべき犯罪行為で、国際社会と協力して実効ある対策をとるのは当然」とし、賛成した(11・6付『赤旗』)。
 政府の言う「テロリスト」とは、反政府的な闘いをする者すべてだ。この法律は、労働者階級の耐え難い怒りの爆発、国際連帯闘争を弾圧しようとするものであり、絶対に許すことはできない。日本共産党は、完全に支配階級の側に立っている。日本共産党の敵対を打ち破ることは、労働者階級の勝利のために必須の闘いである。

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