鈴木達夫弁護士の11・12京大講演 今こそ学生自治を復権させ大学を戦争反対のとりでに

週刊『前進』06頁(2658号03面01)(2014/11/24)


鈴木達夫弁護士の11・12京大講演
 今こそ学生自治を復権させ大学を戦争反対のとりでに

(写真 講演する鈴木達夫弁護士)

(写真 「公安警察は立入禁止」の立て看板の前で大抗議集会が行われた【11月12日 京都大学】)


 11月12日に京都大学全学自治会同学会中央執行委員会を中心とする実行委員会が呼びかけて、2日に不当逮捕された3学生の釈放を要求し、公安警察による大学自治破壊事件に抗議する全学緊急行動が京都大学で行われた。正午から時計台クスノキ前での集会が300人の大結集で闘われ、夕方から文学部講義室で討論集会が行われた。討論集会で、法政大学暴処法弾圧裁判弁護団長の鈴木達夫弁護士が行った「大学自治と戦争」と題する講演(抜粋)を紹介します。(見出しは編集局)

ついに安倍を打倒した!学生運動が時代動かす時

 安倍政権は断崖絶壁(だんがいぜっぺき)だと私たちは何度も確認してきました。彼がやろうとするデタラメ政治には誰もだまされない。安倍の政治はボロボロになり、衆院解散―12月総選挙へと走り出した。
 ついに安倍は打倒された! この安倍にとって代わるのは誰か。私たちです。
 経団連などから見ても、安倍の後はない。だから安倍に一日でも長く生き延びさせるためにいろいろやっています。これに私たちの手で決着をつける時です。
 安倍を倒した後、私たち労働者と学生、とくに青年が、この世の中の活力を取り返す。われわれが主人公になった社会をつくる。それが、私たちに刻一刻と迫られています。
 そういう観点から、「大学と戦争」「大学自治と戦争」というテーマでみなさんに問題を提起したい。
 京都大学でのこの間のみなさんの闘いは、全国に報道され、もう知らない人はいない。全国の労働者、人民が固唾(かたず)をのんで注目し、あるいは激励されている。
 「取り押さえ」られるのは普通われわれだけど(笑)、今回は違う。取り押さえられたのは公安刑事だった。実に痛快な、世の中に風穴を開けた闘いです。
 戦後の階級闘争においては、学生運動への人民の絶大な期待が一貫して存在した。それは、学徒動員のあの悔しさ、怒りの中から全学連が再建され、労働者人民の闘いの最先頭に立ってきた歴史がつちかってきたものです。
 だから、1970年代半ば以降、権力は全力をあげて学生運動をつぶしに入りました。学生から政治を奪うことにあらゆる精力を注いだわけです。学生運動、政治とはそもそも近寄らないほうが良いものだと呪縛(じゅばく)をかけてきました。
 ところが、10年近く前から、法政大学を先頭としてこの攻撃を食い破る学生運動が復権してきた。しかし、権力のそういう政治がある以上、なかなか社会の表面には出ない。「学生はどうしているんだ」という声は満ち満ちているけれど、見えにくかった。
 しかし、今度は違う。とうとう「学生運動ここにあり」という形で、学生が怒り、決起していることが全人民に開示されました。この京都大学の闘いが、安倍を最も痛打している闘いの一つだと思います。
 政治を学生・青年から奪う、この政治をついに断ち切り、学生・青年全体が世の中を変えるために政治を自分たちの手に取り戻す。その巨大な一歩がここから始まっていると感じます。

「この国のために死んでたまるか」のスローガン

 情勢を見ると、日本の資本主義は戦争をやるほかない中であがいています。国内で労働者を搾取し、消費税を10%に上げ、非正規労働者が全労働者の40%、2千万人を超えました。「現代の蟹工船(かにこうせん)」というような状況を国内でつくりながら、資本主義が生き延びるためには海外に出るほかない。しかし、海外に出て行ってもどうしようもない。
 日本の資本主義は、列強の中から脱落している。1千兆円の国の借金を抱え、「アベノミクス」などと言って日銀がじゃぶじゃぶお金をつぎ込んでいます。労働者の賃金をかすめとって積み立てた年金まで株式投資につぎ込み、株価だけをつり上げようとしています。しかしそれもうまくいかない。世界の大国と言われる資本主義の中で、最もリスキーなことをやっているのが安倍政権です。
 世界の列強の中で伍(ご)していくには、「戦争をやる国」にしなければならない。その中で弾圧や集団的自衛権の問題も出てくる。
 京都大学の学生が「この国のために死んでたまるか」を掲げ、10月15日に集会とデモを闘ったことに、私はとても感激しました。この時代に生きる学生と青年にとって、最も鋭いスローガンの一つだと感じました。「1%の資本家のために死んでたまるか」という核心をついた。
 『きけ わだつみのこえ』という本を読んだ方は多くないかもしれません。戦没学生の手記がつづられた本です。あの怒りや悔しさ。何のための戦争か、みな大体は分かっていた。だけど戦場に動員され、死を強制される。なんとか死の意味を見つけようとして、恋人を守るためとか親とか家族とか、そのために私の命は捨てるんだと正当化しようとした。その残酷さ。
 今の闘いはそこを超え、「1%の資本家のために死んでたまるか」が真正面から掲げられ、闘いが始まっています。ここに戦前を超えた、学生運動の地平が形づくられつつあると感じます。

戦争と大学自治をめぐる闘いの歴史をふりかえる

 歴史的に見れば、戦前に京都学連事件というのもありました。学生社会科学連合会を学連といって、京都帝国大学を中心に、全国に会員が1600人いました。マルクス主義の研究・普及をする団体でした。
 その学連が1925年に弾圧を受けた。17年のロシア革命の熱が日本の青年・学生をとらえ一気に広がっていく。当時、米騒動もあり、共産党が日本で結成され、23年に関東大震災が起こる。共産党は権力におどかされて解散する。
 そういう中で、学生社会科学連合会が結成された。国家権力に大弾圧され、38人が起訴される。この理由が「私有財産制度の破壊を図った」というものでした。治安維持法が25年4月に成立するんですが、その年の12月に治安維持法が最初に適用されたのがこの事件です。
 33年には滝川事件がある。滝川幸辰(ゆきとき)という京都帝国大学法学部教授の刑法の教科書が、その年にドイツで政権をとったナチスの刑法理論などとは異質な自由主義が基本だった。ナチス的刑法とは、犯罪をやった人間が悪い、その人間の思想・あり方を罰しなければいけないとするものです。滝川さんの教科書が問題とされ、大学を追われる。
 戦後には有名な東大ポポロ事件があります。52年、朝鮮戦争の最中に、東大のポポロ座という劇団が松川事件をテーマにした演劇を法文経教室で上演した。そこに潜入していた公安警察官を学生が摘発し、警察手帳をポケットから引っ張り出してそのひもをちぎったとかいうことで、「暴力行為等処罰ニ関スル法律」違反で起訴される。
 一審二審で無罪、しかし最高裁で破棄差し戻しとなり、有罪となる。この判決の中身はデタラメです。しかし、一審無罪判決では、興味深いことを言っています。
 「学問の研究並びに教育の場としての大学は、警察権力ないし政治勢力の干渉、抑圧を受けてはならないという意味において自由でなければならないし、学生、教員の学問的活動一般は自由でなければならない。それを保障するために大学自治はある」
 こういう考え方に基づいて、学生の行為は正当行為とされ無罪となる。
 今、「京大ポポロ事件」なんていう言い方がされています。しかし、このポポロ事件の考え方も、今はのりこえていかなくてはいけないところに来ていると思います。

新自由主義大学うち破り「真理の大学」取り戻そう

 大学は常に、「真理の探究」を建前にします。学問は時の権力、支配勢力と緊張関係にあるわけです。
 大学の発生は13世紀、イタリア・ボローニャ大学にあると言われます。神学、宗教的権威との緊張関係の中で、「大学の自治」が登場する。
 神学、宗教的権威・権力と違う、新しい科学的思考によって生み出されていくものを、時の新興ブルジョアジー、資本家階級が手にしていく。資本家階級が世界を制圧していく上で、大学の自由な研究によってもたらされる新たな科学技術、生産力が大きな力となった。だから、彼らの建前としても「大学の自治」を大事なものとした。
 ところが、20世紀に入る頃から、進歩は反動へ逆転しました。
 自由競争から独占が生まれることによって、自由な研究も抑圧されてゆく。大学の自治、大学の存在意義も独占の資本主義、つまり帝国主義のための学問、帝国主義のための大学へと変容していきました。大学が戦争と深く結びついていくのがその時代でした。
 この間、新自由主義大学というとらえ方が、法政大学の学生の闘いの中で生み出されました。03年に成立した国立大学法人法で、大学の最高決定機関は経営協議会となった。教授会の自治はどこかへ行ってしまった。
 経営協議会のメンバーには、13年の段階で、たとえば東京大学経営協議会には三菱重工業相談役、東芝相談役、新日鉄住金相談役などが入っている。京大経営協議会にはJR東海名誉会長がいた。NTT西日本取締役相談役もいる。このようにむきだしの資本家の代表が、大学の最高決定機関に入り、大学を支配している。
 この過程で進行したことは、要するに金にならない学問など問題にされないということです。他方で生化学・薬品などの分野では金が大きく動き、論文の捏造(ねつぞう)・偽造が横行している。今や大学は、「真理の追求」などかなぐり捨て、金もうけだけを追求する機関になった。産学協同とか軍事研究というけど、加担どころではなく、根本が資本家に一体化した。これが新自由主義大学の実態です。
 私たちが、今、大学の自治を考えていく時、大切なのは、あらためて「大学の主人公は誰か。また誰に支えられているのか。学問・研究というのは何のためにあるのか」という原点を問い直すことだと考えます。
 99%の労働者階級と人民の幸せのため、人類が生き延び次の時代をつくるために、金もうけの大学、一握りの資本家から大学を奪い返す。「真理の大学を取り戻す」と言ってもいい。その闘いの勝利のために労働者人民が学生の闘いを支える。その攻防が始まっていると思います。
 したがって、大学および大学自治の今日的な意味とは、「大学を戦争反対のとりでに。そのための自治を復権しよう」ということだと思います。

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京都学連事件 戦前の学生団体である学生社会科学連合会(学連、1924年結成)の中心であった京都帝国大学社会科学研究会が、「軍事教練反対」を訴えるビラを学内外でまいたことに対し、特高警察が25〜26年にかけて京大をはじめ全国の大学で学生・教員を次々と治安維持法違反容疑で検挙した事件。京大生20人を含む38人が起訴され、全員に有罪判決。治安維持法(25年制定)の国内初の適用例となった。
滝川事件 1933年6月、文部省は京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授が著書や講演で自由主義的な刑法学説を述べたとして、滝川教授を休職処分とした。これに対し京大法学部の教授、助教授、講師、助手は全員辞表を提出して抗議。京大生は3千人の学生大会をはじめ、果敢に抗議闘争を展開した。
東大ポポロ事件 1952年2月20日、東京大学の学内団体「劇団ポポロ座」が演劇を上演していた東大法文経25番教室に、警視庁巡査3人が潜入していたのを東大生が摘発、その場で警察手帳を押収し、謝罪文を書かせた。この件で東大生2人が「暴力行為等処罰ニ関スル法律」違反容疑で逮捕・起訴された。東京地裁は憲法23条「学問の自由」に基づき無罪判決、高裁も一審を支持したが、最高裁で逆転・差し戻しとなり、66年に有罪が確定した。

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