9条解体の歴史的暴挙に8・17集会大結集で鉄槌を

週刊『前進』08頁(2639号06面02)(2014/07/07)


9条解体の歴史的暴挙に
8・17集会大結集で鉄槌を


 集団的自衛権行使=9条解体の閣議決定は、絶対に許すことのできない歴史的暴挙である。
 集団的自衛権の行使は、これまで「PKO協力」や「人道復興支援」などをペテン的に掲げて行われてきた自衛隊の海外派兵とは、まったく次元が異なる。初めから武力行使=戦争行為を目的として、文字通り「地球の裏側まで」自衛隊が乗り出し、他国の人びとと直接殺し殺される関係になるということだ。
 安倍は「憲法9条の下で認められる武力行使」と称して3要件を掲げるが、そもそも9条はその第1項で「武力の行使は、永久にこれを放棄する」とし、続く第2項で「陸海空軍その他の戦力は保持しない」「交戦権は認めない」と明記している。どんな理屈をこねくり回しても、武力行使が可能だと「解釈」する余地など皆無だ。個別的と集団的とを問わず、一切の戦争行為を放棄するというのが、本来9条について唯一可能な「解釈」なのである。
 公明党は、安倍が持ち出した3要件の第1項目、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」の「おそれ」を「明白な危険」なる文言に変えたことをもって、集団的自衛権の行使に「歯止め」がかかったと主張し、閣議決定に合意した。だが、こんなものはいくらでも拡大解釈が可能であり、何よりそれを判断するのは「時の政権」=日帝権力中枢なのだ。加えて安倍は、3要件のそれぞれに「自衛の措置」なる文言をねじこみ、これを理由に国連軍などの集団安全保障への参加と武力行使も「時の政権によって」できるようにしようというのだ。
 このように、与党協議の過程で安倍が手を代え品を代え持ち出した「歯止め」だの「必要最小限度」だのといった一切の議論は、人を煙に巻いて欺くためのペテン以外の何ものでもない。これに合意した公明党は、完全に安倍・自民党と共犯の戦争翼賛勢力である。
 また、日本共産党は集団的自衛権に対する「反論」と称して、「個別的自衛権でも対応可能だ」などと主張し、現憲法下で「自衛のための戦争」を発動することにもろ手を挙げて賛成している。安倍の「解釈改憲」に対して「明文改憲」を要求する民主党とともに、日共は今や安倍の補完勢力に成り果てているのだ。

戦争か革命かをかけた決戦

 7・1閣議決定強行の背景には、今日の世界大恐慌下における帝国主義間・大国間争闘戦の軍事化・戦争化という情勢があり、そのもとでの脱落日帝の危機、とりわけ対米対抗的な軍事力を持たなければ生き残れないという絶望的な危機がある。日帝ブルジョアジーが延命をかける「成長戦略」は、この軍事力の展開と一体で海外の市場をまるごと勢力圏化することなしには成り立たない。それゆえ年末に予定される日米ガイドライン改定までに、集団的自衛権行使の法整備に着手しなければならないと焦り、安倍は7・1閣議決定に踏み込んだのだ。
 だが、この安倍の暴挙は日米対立の非和解化と矛盾の激化、日帝のさらなる国際的孤立を不可避とする。同時に、日本と世界の労働者人民の怒りに火をつけ、闘いの爆発をもたらさずにはおかない。6・30、7・1行動はその突破口を開いた。
 とりわけ重要なのは、青年が膨大な規模で立ち上がり始めたことである。戦場に送られるのはまずもって若い自衛隊員であり、そして自衛隊志願者が減少すれば、今度は徴兵制ですべての青年・学生が動員される。
 集団的自衛権行使は、まさに青年の命と未来を破壊することに直結しているのだ。それを多くの青年・学生が感じとり、陸続と決起を開始している。「戦争か革命か」をかけた階級決戦の時代が始まったのだ。
 今こそ青年・学生を先頭に階級的労働運動の拠点建設と国際連帯の発展をかちとり、日帝・安倍打倒―プロレタリア革命へと進撃しよう。
 7月革共同政治集会の成功をかちとり、8・6広島―8・9長崎闘争へ攻め上ろう。すべての怒りを「戦争・原発・首切りの安倍をともに倒そう!8・17大集会」へ結集しよう。

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