カクマル支配の根絶を決断した安倍官邸主導のJR北海道人事 東日本でも結託体制は最後的崩壊へ
週刊『前進』06頁(2629号02面04)(2014/04/21)
カクマル支配の根絶を決断した安倍官邸主導のJR北海道人事
東日本でも結託体制は最後的崩壊へ
2月23日のJR東日本・川崎駅構内事故は、安全の崩壊がJR北海道だけでなくJR全社に及んでいることを示した。今や国鉄分割・民営化体制=JR体制の崩壊は、労務支配の破産に波及している。新自由主義の核心をなす労組破壊の攻撃も崩れ落ち始めたのだ。
動労千葉を先頭とする階級的労働運動派が、組織拡大の大決戦に打って出る時が到来した。
対労組強硬姿勢で社長に起用
4月1日、JR北海道は役員人事を変更し、新会長に須田征男、新社長に島田修、副社長に西野史尚を据えた。須田はJR東日本の元常務、島田はJR北海道の元常務、副社長の西野はJR東日本の前仙台支社長だ。また、保線部門トップの工務部長はJR東日本から出向している伊勢勝巳が充てられた。JR総連カクマルとの結託体制を維持してきた前会長の小池昭夫、前社長の野島誠、前工務部長の笠島雅之らは更迭された。JR東日本出身者により制圧されたJR北海道の新人事体制は、国鉄分割・民営化の枠組み自体の破産を示している。
この人事は官邸主導で決定され、安倍やJR東海名誉会長・葛西敬之の意向が強く反映された。
新社長に島田が起用された理由は、2011年の石勝線事故後、JR北海道で36協定違反が発覚した時に、総務部長として強硬姿勢で労組との交渉にあたったことが「評価」されたからだと言われている。
36協定違反とは、カクマルとの結託体制の清算に動こうとした当時の社長・中島尚俊(11年9月に自殺)を牽制(けんせい)するため、JR総連・JR北海道労組が、ことさらに焦点化させた問題だ。常日頃は労働者の権利をことごとく資本に売り渡しておきながら、結託体制を維持するための取引材料として36協定違反問題をファシスト的に使ったのだ。
そのカクマルに強硬姿勢を貫いたとして島田が社長に起用されたのは、国家権力中枢がJR北海道の資本・カクマル結託体制を解体・清算すると最終決断したからだ。
もとよりカクマルを切るだけですでに崩壊しているJR北海道を何とかできるわけがない。国鉄分割・民営化と、そのもとでの外注化が安全崩壊の根本原因だからだ。
だが、起きている事態は重大だ。カクマル支配の根絶をJR東日本出身の経営陣にやらせるということは、JR東日本でもカクマルとの結託体制をその残滓(ざんし)に至るまで一掃するという権力中枢の決断が、大前提になっている。
JR東日本は カクマル支配の解体を狙い、従来と一線を画した施策に乗り出している。その焦点はカクマルが「拠点」としてきた運転職場だ。
運転士と車掌を狙って強制配転
昨年12月、JR東日本は東労組所属の運転士33人に配転の事前通知を出した。新幹線運転士を山手線に移す、ディーゼル機関車・電気機関車の運転士に電車の運転を強いる、ATCで制御されている京浜東北線の運転士をATS―P制御の中央線に移す――などの強制配転だ。いずれも50歳代の運転士が対象だ。13年末から14年初にかけては、50歳代の新幹線担当の車掌を在来線に移すなど、東労組所属の車掌33人が強制配転させられた。下十条電車区では、現場長が社員との個別面談で同電車区の廃止をにおわせ、「(異動先の希望について)先に意思表示した社員を優先する」と発言し、異動希望を提出するよう促した。
東労組は、ライフサイクルで駅に行くことを希望した運転士が、他線区の運転職場に配転されたことも問題にしている。
東労組の文書によれば、この間、強制配転の対象とされた組合員や、ミスを管理者にとがめられた組合員2人が自殺したという。
明らかにJRは、カクマル支配の根絶に向けて動き出したのだ。これに対し東労組は、昨年12月の段階で「運転職場連絡会」なるものを結成し、今年4月15〜18日の4日間、「全運転士集会」を開くというスケジュールを設定した。
東京・滝野川会館で行われた全運転士集会は、自殺した東労組組合員への黙祷(もくとう)から始まる異様な雰囲気のものになった。東労組カクマルもJR資本の攻撃に身構え、ファシスト的な内部組織固めに必死になっている。
JR総連は90年4月の1047名解雇を前に、「不採用問題への政治介入反対」を唱え、日比谷野音を連日借りきって「全組合員集会」を開いたことがある。その時、JR総連カクマル最高幹部の松崎明は、「政治介入に対してはスト権行使の議論も辞さない」と口走った。首切り促進のストというファシスト特有の方針だ。
実際にストをやる気は毛頭ないが、ストをちらつかせて政府や資本への反革命的圧力にするという松崎の思惑は完全に裏目に出た。この松崎発言をきっかけにJR東海・JR西日本はJR総連の大分裂を仕掛け、会社組合としてJR連合を育成し、東海以西でJR総連は極少数派に転落した。
こうした歴史を思い起こさせる事態が、JR東日本でも始まったのだ。
東労組カクマルがファシスト的にゆがめられた形であれ資本との「対抗性」を押し出さざるをえないのは、JRへの青年労働者の怒りが激しく渦巻いているからだ。その青年労働者を動労千葉派に組織する決戦の時は来た。4月16日の鈴コン分会の大勝利と10万筆署名の大前進を土台に、5・1メーデーと6・8国鉄闘争全国運動集会へ飛躍をかけて闘おう。