3月三里塚決戦へ 反対同盟アピール

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週刊『前進』06頁(2623号04面02)(2014/03/10)


 3月三里塚決戦へ 反対同盟アピール

 三里塚芝山連合空港反対同盟の3氏から、3・23芝公園―26市東さん裁判控訴審への大結集を訴えるアピールが寄せられた。これに応え、3月三里塚首都決戦に総決起しよう。(編集局)

労農連携こそ人民の道

事務局長 北原鉱治さん

 反対同盟は東京・芝公園で3・23全国集会を開催し、3・26市東さん農地裁判控訴審第1回弁論に臨む。全国全人民の総決起を訴えたい。
 市東さんが90年にわたり親子3代耕し続けてきた農地を、空港の施設で囲い込み、奪い取ろうという暴挙を、どうして認められようか! ここには日本農民全体の未来がかかっている。TPPを阻止しよう。
 50年にもおよぶ三里塚闘争を振り返ったとき、この闘いこそ正義であり、空港建設こそ国政の間違いであったことを断言できる。71年の強制代執行をはじめ、政府の暴力的な土地強奪に対し、のべ5千人もの逮捕者を出し、農民が生きる権利をかけて全国の労働者・学生・人民とともに闘ってきた。その結果、空港は今もって完成には程遠い姿をさらしている。
 最近ではあせりにかられて、「3本目の滑走路を造れ」などという話が国交省から出ているようだが、彼らはまたも人民の犠牲を省みない土地の取り上げを繰り返そうというのか。怒りに堪えない。反対同盟はこの間の一斉行動を通じて、空港に対する周辺地域の住民の怒りが深く大きなものであることを実感した。私も全力で辻立ち演説を行ったところ、何人もの方々がビラを受け取り、手を振って共感を示し、大きな手応えを感じた。
 安倍政権のもとで、日本はかつての戦争の時代に引き戻されようとしている。私も海軍の一兵卒として戦争に駆り出された経験から、再び日本が戦争の過ちを犯すことを座視するわけにはいかない。成田は「有事」の際には、基地として使われることは明白である。三里塚闘争は一貫して、軍事空港反対のスローガンを掲げてきた。労働者が戦時物資の輸送を拒否し、農民がそれに呼応して生命の糧である食糧を供給する。この労農の連携にこそ、人民の進むべき道がある。3万人署名を推進し、3・23―26へともに闘いましょう。

東京のど真ん中で勝負

天神峰 市東孝雄さん

 いよいよ私の農地裁判の控訴審が始まります。
 私は消費者とお互いに顔の見える有機農業にやりがいを感じて、天神峰に戻ってから14年間、農業に打ち込んできました。私の畑は、じいさんの市太郎が大正時代に開墾し、おやじ東市を経て私に受け継がれた100年にもなる畑です。本来所有地になっているはずの土地です。一朝一夕に肥沃(ひよく)な畑ができるわけじゃない。その私に、なぜここから出て行けと言えるのか。なぜ私が被告席に立たされなければならないのか。NAAの提訴自体が違法です。しかも本来私たち農民と農業を守るはずの農地法を悪用しての暴挙です。

 私の畑が誘導路の直線化をじゃましているのが悪いなどとNAAは宣伝しているが、安全を無視してそんなものを無理やり造ったのは、そっちの責任ではないか。
 結局国の政策に逆らうものは許さないということだが、冗談じゃない。私はこの地で今までどおり農業をやり続けるだけです。
 反対同盟が昨年5月から取り組んでいる周辺住民との連帯を築く一斉行動の取り組みも、地道ながら成果を出しています。空港内で働く人も多い中で、反対運動への支持を表す署名を集めることは簡単には進まないが、だからこそそこに繰り返しねばり強く取り組む意味があります。
 東京高裁は千葉地裁以上に反動的な場所だと聞いていますが、だったら逆に東京のど真ん中で勝負しようじゃないか。
 首都東京で、反原発、反TPP、沖縄反基地の闘いと結びつき、労働者・学生・市民の熱気と合流し、3・23芝公園での全国集会を大成功させたいと思っています。その勢いが26日の控訴審第1回・高裁包囲闘争に結びつきます。
 みなさんの絶大な支援をお願いします。

私の中に萩原進がいる

東峰 萩原富夫さん

 「霞が関に攻め上る!」――この言葉はまさに戦闘宣言だ。三里塚から全国の闘う人民の怒りを結集し、火の玉となって敵の本丸に攻め入るという熱い決意ほとばしるおやじらしい表現だ。
 市東孝雄さんの農地と生活を守るという絶対に譲れない闘いにあたって、東京高裁にこの迫力でぶつかっていかなければならない。現闘本部闘争を思い起こそう。あの時、やはり東京高裁で50人の逮捕者を出した闘いを超える迫力が必要だ。裁判所を包囲し、占拠してしまうくらいの結集が求められている。

 昨年12月21日、義父・萩原進は私たちの目の前で突然息を引き取った。おやじの死はあまりにも早すぎた。48年におよぶ闘いは確実に彼の心身を痛めつけていた。おやじの負担を軽くするために、私は農業に習熟し、農作業のほとんどを取り仕切るようになっていた。そこに突然訪れたおやじの死に、私は頭を抱えた。「おやじの代わりなんてできない」と泣き言をたれた。
 ところが今、私の中に変化が生まれている。私の中に萩原進がいる。11年間見つめてきた私の中に、確かにおやじの熱い闘魂が生きている。市東孝雄さんの中に東市さんを感じるように、「遺志を継ぐ」とはこういうことなのか。今はまだ言えない私にも、いつか言える日が来るのだろうか。
 国のため経済のために犠牲になれという政策は、すべての農民・労働者にかけられている攻撃だ。三里塚は48年闘い続けている。沖縄、福島をはじめとした人民のあらゆる闘いに対して、三里塚のように闘おうと堂々と訴えよう。
 反対同盟が積極的に外に出てさまざまな人びとと、特に若者たちとつながることだ。3万人署名を徹底的に活用し貫徹しよう。みなさんの決起をお願いします。

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