牛とともに浪江で生きる 3・11反原発福島行動'14 呼びかけ人から訴え⑤ 希望の牧場代表・浪江町 吉沢正巳さん

週刊『前進』08頁(2622号07面01)(2014/03/03)


牛とともに浪江で生きる
3・11反原発福島行動'14 呼びかけ人から訴え⑤
再稼働阻止へ広い連帯を
希望の牧場代表・浪江町 吉沢正巳さん

(写真 吉沢さんは宣伝カーで全国各地を飛び回り「原発再稼働を絶対に阻もう」と訴えている)

 捨てられる町 国による棄民

 ――浪江町の現状について教えてください。
 3・11から3年。浪江町民約2万人のうち約7千人は他県へ、残り3分の2は福島市や二本松市、いわき市、相馬市、南相馬市、県内の二十数カ所の仮設住宅に散らばっている。かつての集落の絆(きずな)などまったく奪われてしまった。
 最近、農家に「将来、浪江町に帰って農業をしますか」というアンケートをしたら「戻って農業をしたい」と答えた人は1割だけ。9割がたの人は判断できないか、もう戻って農業はできないと思っている。
 双葉郡の各町役場は「帰ろう」と呼びかけているが、そんなのはむなしい願望だ。戻って何ができるのか。「除染した」と言っても、飯舘村や楢葉町で売れる米がつくれるのか。双葉や浪江、大熊はもっと絶望的だ。捨てられる地域、捨てられる人びと、国家による棄民だ。大熊、双葉の国道6号から海側は国有地化で放射能埋め立て地帯にされるだろう。
 仮設住宅暮らしのお年寄りで「生きている意味がない」と言っている人が大勢いる。米も野菜もつくれず、生きる張り合いがない。仮設の次の復興住宅をつくると言っているけど、「あと2〜3年待て」と言われても、もう限界が来ちゃうよ。
 そういうお年寄りたちに僕は「仮設住宅で人生を終えていいのか」と問いたい。確かに被曝はするけれど、仮設にいるよりは自分の家に帰った方がいいでしょうと。浪江ではお墓の墓石がいまだに倒れたままで、納骨もできない人がいっぱいいる。それでいいのか。
 浪江町は長い反対運動で浪江・小高原発の建設をとめた町。その浪江に放射能が大量に降り注いだ。「復興」なんてきれいごとだ。放射能は「除染」でなくならない。
 東電は避難民への財物補償も全然進めない。仮設から抜けられない大勢の人たちがまともな賠償も受けられず命を落としている。除染にあれだけ金をかけているのは、ゼネコンをぼろもうけさせながら、「除染したから帰町しろ」と避難民への賠償を打ち切るためだ。

 オリンピックしてる場合か

 東京にはきょうも広野や勿来(なこそ)、相馬の火力発電所から電気が送られている。しかも東電は広野と勿来に火発を増設すると決めた。原発停止で失った電力を、福島の火力発電所で成り立たせようとしている。
 さらに東京オリンピックだ。そんなお祭り騒ぎしてる場合か。舛添さんは「東京を世界一の町に」と言った。化け物のような大東京が電力をさらに使う。オリンピックを契機に「首都高を直せ、地下鉄を通せ、堤防をつくれ」と、資金も資材も人材も東京に集中し、福島や被災地は放っておかれるんだ。
 ――希望の牧場の現状を教えてください。
 希望の牧場は第一原発から14㌔、地上1㍍の空間線量は平均して毎時3㍃シーベルト。そこで約350頭の牛に毎日えさをやり生かしている。旧警戒区域である大熊、富岡、浪江、小高で今なお13軒の酪農家が約700頭を生かしています。
 事故当時、警戒区域内には約3500頭の牛がいて、約1500頭が餓死した。国の指示で約1600頭が殺処分。牛を餓死させるしかなかった農家も、国の殺処分指示に同意せざるを得なかった農家も、どの判断もやむを得なかった。だけど僕はえさを運び続けた。
 国は1㌔あたり100ベクレルを超えた干し草を牛に食べさせてはいけないと決めた。酪農家たちは「100ベクレルでも心配だ」と、50ベクレル以下という自主基準を設定した。「永久保管か焼却処分にしろ」と言われ、50ベクレル以上のロールが牛舎に山と積まれて困っている。そういう人たちに提供をお願いして、宮城県や栃木県、福島県内から運び、食べさせている。この牛たちはもう出荷もできないから、放射能が多少ついていたって食べていい。
 環境省は焼却炉をあちこちにつくり、汚染ロールを燃やせと言う。焼却炉をつくるのは日立やIHI、東芝などの原発のプラントメーカー。原発が増設できない代わりに政府はちゃんと仕事を用意し、プラントメーカーや大手ゼネコンを税金でもうけさせている。
 この牛を国は殺せと言う。僕らは生かそうとしている。3・11で、経済の論理ではなく命の問題がテーマになった。営利目的なら、出荷もできない牛を飼うなんて一切意味がない。だけど牛飼いとして見捨てられない。
 今の社会の物差しは全部経済ベースで、経済的に合わない弱者やお年寄りは早く死んじまえという、むごい世の中だ。それでいいのか。3・11では原発事故ゆえ、まだ生きている命を見捨てざるを得なかった。家族や子どもを助けられなかったことがどれほど多くの人の心の傷となったか。

 希望の牧場は抵抗の砦だ!

 希望の牧場は抵抗の砦(とりで)だ。この牛は原発事故の生き証人であり、原発再稼働に突き進む政府に対する抵抗のシンボルだ。3年、5年、もっとかかっても最後の1頭まで世話を続ける。
 希望の牧場にいる牛の約10頭に、これまで見たこともない斑点ができている。国に「ちゃんと調べろ」と求め、農林省が調査に来ている。遺伝子にかかわる異変なども含めて考えるべきだ。牛たちへの影響を調べることは、子どもたちへの放射能の影響をきちんと調べることにもつながる。
 希望の牧場は、けっして希望にあふれている場所じゃない。放射能に汚染され、今は堆肥の掃除もできなくてどろどろ。2月15日の豪雪で、古い牛舎がいくつかぺしゃんこにつぶされた。凍って水道管はぶん抜け、ポンプは壊れた。一体これを直す意味があるのか。自分のしていることの意味をずっと考えている。
 だけど牛は「えさくれ、えさくれ」と言ってくる。僕らはこの地に勝手に住み、勝手にえさを運び込み、勝手に牛を生かしている。多くの研究者、取材、見学者、ボランティアさんが来る。多額の募金もいただいているし、大勢の人と行き会う。結局は牛を通じた人と人とのつながりこそがやっぱり希望なんだ。
 自分自身の被曝は最初から覚悟している。だけど一番大変なのは原発の作業員さんたちだ。10分いるだけで死んじゃうような場所があちこちある。とんでもない汚染水が漏れている。作業員さんが日々最も被曝をして命を縮めているんだ。
 ――3・11行動を呼びかけた思いは。
 3年目の3・11は大事な日だ。国策で原発を40年推進してきた自民党が、事故の責任を一切取らずに海外に原発セールスをしている。安倍総理はふざけるな。
 先日は宣伝カーで往復3千㌔走って九州まで行ってきた。風化させられ、忘れ去られ、なかったことにされるわけにはいかない。全国各地、原発立地自治体、できれば海外にも行って僕らの体験を伝えたい。

 信念を持って体張り闘おう

 今年は勝負だ。再稼働すれば福島の爆発事故の二の舞が全国で起きる。腹の据わった抵抗が必要だ。気合いを入れ街頭や首相官邸前で大規模なデモ、集会、座り込み、何でもやって次の世代に頑張っている姿を見せ、官邸を包み込んだ人びとのうねりをまたつくろう。
 実力闘争が必要だ。信念を持って体を張る。それが原発事故を経験したわれわれの人生のテーマだ。僕は3月で60歳になるけど、残りの人生すべてを原発をのりこえる闘いにかける。そのためには全国の人の実力と深く広い連帯が必要だ。
 3月11日、会場で写真展やります。原発の時代をのりこえるため、残りの人生はみんな連帯して頑張っていきましょう。

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