2010年5月31日

激動するタイ階級闘争 勝利の道は階級的労働運動に

週刊『前進』06頁(2441号5面4)(2010/05/31)

激動するタイ階級闘争
 治安部隊が突入し排除
 勝利の道は階級的労働運動に

 労働者の闘いに危機感抱き

 タイ・バンコクの中心部占拠による集会・デモは5月19日からの治安部隊の強行突入で解散となった。発表された数だけでも15人が死亡、96人が負傷した。3月半ばの占拠以降では死者85人(うち兵士11人)、負傷者約1900人である。
 5月3日にアピシット首相が11月14日総選挙方針と「国民和解案」を提示し、「反独裁民主統一戦線(UDD)」もこれを受け入れ、話し合いで事態の収拾を図る動きが始まった。そこには地方農民や貧困者、失業者を含む労働者の闘いが、アピシットだけでなく、UDD幹部の統制を超えて動きはじめたことへの危機感がある。
 しかし「占拠について罪を問わない」という「恩赦」要求をアピシット首相が拒否し、話し合い収拾は暗礁に乗り上げた。強硬策に転じるほか手がなくなったアピシット首相にとって決定的だったのは、この提案でUDD組織を分裂させたことだ。そこを突いて一気に治安部隊による強行突入−排除攻勢をかけた。
 11日、治安部隊は実弾を使用すると宣言、13日には占拠地域を封鎖し、兵糧攻めに入った。また11月総選挙実施方針を撤回した。同日、UDDのタクシン支持の国軍反乱将校で占拠の強硬派指導者といわれるカティア陸軍少将(停職中)を外国メディアとの定例会見中に狙撃・死亡させた。占拠指導部の抹殺である。事態は一気に動き、市内は事実上内戦へ突入した。そして19日未明の強制排除作戦となった。午後、UDD幹部は占拠の解散を宣言した。
 今回の出発点は06年のタクシン首相(当時)追放のクーデターである。総選挙の結果選ばれたタクシン元首相を国軍のクーデターで追放し、またその後の総選挙で選ばれたタクシン派内閣を憲法裁判所が解散させるというタクシン派新興支配層との権力闘争である。
 しかし背景にはタイ旧支配層による農民や貧困層、労働者の政治行動の排除という問題がある。国王を中心とした貴族、財閥、国軍、警察、裁判所、主要マスメディア、既成労組幹部などを含めた旧支配層(社会的エリート層)による政治支配という問題である。
 タイエリート層には「同じ一票でも自分たちと農民とは違う」という考え方が根強い。タクシン派政権を倒す契機となった08年の空港占拠の実行組織「民主主義市民連合(PAD)」(黄色シャツ隊)が掲げる「民主主義」の中身は、「国王指名の議員による政治」というものであったことにそれは示されている。UDDが掲げる「反独裁」の訴えに、選挙で選ばれた内閣を既得権益確保のために勝手につぶすことへの抗議があることと表裏の関係だ。

 既成労組幹部打倒し前進を

 占拠・集会には、東北農民層に限らず、こうした旧支配層から排除された都市労働者・住民が結集している。タイの労組幹部も旧支配層の一角にあり、そこから排除されている失業者や未組織の労働者の怒りがここに凝集している。最大10万人が2カ月を超えて首都中心部で行った占拠行動は、貧困農民層に加えて失業者や都市貧困層、未組織労働者などのプロレタリアートの政治的決起が重なっている。彼らは政治的に自由な空間を実際に首都のど真ん中の実力占拠=「解放区」で経験してしまった。この大衆的決起と実力行動で主人公性と自由を体験した労働者が、今後のタイ階級闘争を大きく変えていくことは間違いない。
 強制排除で一旦終結したかに見える占拠行動は、今後も続くだろう。それはアピシット政権やタクシン元首相派の枠内に収まるようなものではない。タイの労働者人民の決起は、必ず世界恐慌の中で決起する全世界の労働者人民と結合するものとなるだろう。
 流血を辞さず闘う労働者人民の勝利の道は、タクシン、アピシットの新旧支配層の打倒、既成労組幹部を粉砕する階級的労働運動の前進の中にある。