“俺たちは本気だ。 団結街道閉鎖など断じて許さない” 三里塚 市東さんの決起の根底性
“俺たちは本気だ。 団結街道閉鎖など断じて許さない”
三里塚 市東さんの決起の根底性
5月17日、成田警察署に連行された三里塚芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さんは、弁護士に次のように語った。「自分は平気です。私も頑張りますので、皆さんも頑張ってください。これでおれたちは本気だと空港会社(NAA)に知らしめることができた」
「おれたちは本気だ」——この言葉は、市東さん逮捕の報とともに全国に衝撃と感動を与えた。
この日、NAAは団結街道の部分閉鎖を通告した看板を立てにきた。それに対し市東さんは烈火のごとく怒り、「持てる力の限りの怒りを爆発させ、『団結街道の閉鎖など自分がいる限り断じて許さないぞ』とばかり徹底的に弾劾し、看板設置の暴挙を粉砕した」(本紙前号)。市東さんは今、10日間の勾留がつき成田署に勾留されているので、市東さんが何をやったかは書けない。成田署は、完全に徹底的に粉砕されぺしゃんこになった看板を持ち帰ったということだけは報告しておきたい。もちろん誰がやったかはわからない。
現場に立ち会った現闘の同志たちは「市東さんの今回の決起は、強い意志と決意を込めた怒りの爆発であった」「市東さんの怒りの大きさに心から感動した」と語っている。市東さんはこの間、「圧力を受ければ受けるほど『何くそ負けるもんか』と反発するのが人間じゃないですか。ここで生き闘うことの意義をますます強く感じています」と語っていた。5・17決起でこの決意を満腔(まんこう)の怒りを込めて爆発させたのだ。
この市東さんの5・17決起と5・20緊急現地闘争によって、ついに5・20団結街道閉鎖は粉砕された。緒戦の偉大な勝利をかちとった。
団結街道の閉鎖と第3誘導路建設で、市東さんの母屋と畑を鉄製のフェンスで2重3重に取り囲み、ジェット機の爆音の渦の中にたたき込み、追い出しを図る。こんな悪辣(あくらつ)な攻撃をどうして許せるか!
萩原進事務局次長は5月25日の市東さんの勾留理由開示公判後のまとめで、自身が3月集会で訴えた言葉「火の玉となって」を引用し、「市東さんこそまさに火の玉となって決起したのだ。市東さんに続こう」と呼びかけた。
三里塚闘争は、まさに国鉄決戦、沖縄決戦と一体の闘いだ。三里塚闘争は1966年に始まり、70年安保・沖縄決戦の重要な一角として闘い抜かれた。ベトナム侵略戦争の激化に伴いその反戦闘争の最も先鋭的戦闘的、かつ大衆的闘いとして、日本階級闘争の帰趨(きすう)をかけた闘いとして闘われてきた。
三里塚闘争の最大の特質は、何と言っても革共同を始めいわゆる「革命的左翼」「新左翼」との共闘を堅持して闘い抜いてきたことである。社共は逃亡した。襲撃をくり返したカクマル、動労千葉の三里塚闘争参加に統制処分を加えた動労カクマルの敵対を粉砕し、脱落派による反対同盟の条件派化攻撃をのりこえ、不屈の闘争原則を生み出し、反戦の砦(とりで)として闘われてきた。
その「一切の話し合い拒否・空港絶対反対、農地死守・実力闘争」という非妥協不屈の闘争原則は、44年の強靱(きょうじん)な闘争を生みだし、そして動労千葉労働運動を生み出した。
80年代に新自由主義攻撃が襲いかかる中で、三里塚と動労千葉は唯一これに反撃し抜き、動労千葉は国鉄分割・民営化攻撃をついに打ち破り勝利してきた。大恐慌がもたらす帝国主義の未曽有の危機の中で、三里塚農民と動労千葉との労農同盟は革命の新たな展望を生み出し、階級的結集軸となっている。
このように三里塚闘争44年の闘いは、「日本革命—世界革命の一大根拠地である」(本紙前号・清水丈夫議長論文)。
団結街道の閉鎖を阻むか否かをかけた決戦の5月20日、韓国民主労総から7人の若い労働者が三里塚を訪れた。「三里塚は何を目指した闘いか」という質問に、萩原進事務局次長は「世の中を変える運動だ」ときっぱりと答えた。市東さんの5・17決起こそ、三里塚44年の歴史が生み出したものだ。
国鉄・沖縄・三里塚・法大決戦の爆発で鳩山政権を打倒しよう。「迷うことなく決戦に突入しよう」(北原鉱治・反対同盟事務局長)。青年労働者・全学連はその先頭で闘おう。
民主労総ソウル本部が弾劾声明
市東さん逮捕に対して民主労総ソウル地域本部が発した弾劾声明(要旨)を紹介します。
市東孝雄同志といえば、現地で生まれ育ち、これまで三里塚を守り続けている方ではないですか。韓国の同志たちが三里塚を訪問した際、直接お目にかかり、闘争の映像を通してもよく知っています。孝雄同志が看板設置に抗議するのはあまりにも当然であり、正当な行為です。千葉県警は今すぐ市東孝雄同志を釈放し、三里塚農民に謝罪しなければなりません。
民主労総ソウル本部と、三里塚の願いをよく知っている韓国の同志たちは、空港反対同盟の闘いをさらに固く支持し、守り抜くという決意を表明します。
2010年5月18日(光州民衆抗戦30周年の日)