2010年5月17日

〈焦点〉 タイの占拠闘争新局面へ 失業と生活苦

週刊『前進』06頁(2439号5面4)(2010/05/17)

〈焦点〉 タイの占拠闘争新局面へ
 基底にある失業と生活苦

 3月中旬以降始まった、タクシン元首相支持派「反独裁民主統一戦線(UDD)=通称赤シャツ隊」による首都バンコク中心街占拠の集会・デモの闘いは、「アピシット首相即時退陣、解散・総選挙」を求めて2カ月に及ぼうとしている。5月3日、アピシット首相は収拾に向けて新たな国民和解案を出した。それには11月の総選挙実施のほか、王政の堅持、貧困層の福祉向上、マスコミの中立確保、衝突事件の真相解明などが盛り込まれている。海外のタクシン元首相自身「和解の時が来た」とこれを歓迎し、UDD側はこれを受け入れると発表した。
 政府は、9月15〜30日に国会を解散すること、4月11日の衝突の治安責任者である副首相を治安当局に出頭させるなど、UDD側が受け入れ条件とした件に回答し、占拠を解くよう促している。
 これまでに27人が死亡、1千人近い負傷者を出してなお、市街地の占拠と集会・デモが実力貫徹されてきたことは重要な意味をもっている。タイ政治体制の崩壊を招きかねないこの闘いは、「即時解散・総選挙」を掲げたタクシン派指導部の思惑を超え、たじろがせて収束へ向かわせたといえる。
 UDDの母体は確かにタクシン元首相支持派であり、タクシン首相時代に恩恵を受けた新支配層、東北地方の農民層が主体とされている。だが、実は数万を数える集会・デモ参加者には、世界恐慌の中で職を奪われた失業者、非正規職労働者や既成の労働組合から排除された未組織労働者など、生きていけない下層労働者、都市貧困層が数多く含まれている。現状打破を求める怒りと不満がこの占拠に凝縮していたのだ。
 4月11日、政府は治安部隊を使って強制排除行動に出たが,労働者人民の怒りの大衆的決起と武装反撃で粉砕されてしまった。農民出身の下級兵士や元兵士もUDDを支持していることが明らかになった。そして闘いは、全国的に広がり、タイ全土での内戦的反乱へ発展する状態へと突入した。政権だけでなくタイの政治体制そのものが労働者農民の力で打倒される現実的条件を示し始めた。それはUDDやタクシンの制御を超える勢いで発展し始めた。
 武装した治安部隊突入に対し、バリケードとささやかな武器で体を張って戦い、実際に撃退・勝利した実力占拠の闘争は、労働者人民に圧倒的高揚感を与えた。この闘いは、旧来の財閥、国王、僧侶、貴族層、枢密院、軍指導部、裁判所などのエリート層に依拠したアピシット政権に対してだけでなく、UDD指導部にとっても脅威となり、今や国民和解案で鎮めるしかなくなったのだ。この怒りの爆発はさしあたりはタクシン派の政治として進みながら、本質的にはその枠内に収まり切れない。
 だがタイの労働組合のナショナルセンターは、従来から3者委員会(政労使委員会)の一角を占めて政府に抱え込まれてきた。
 タイ労働者のプロレタリア革命への道はどこにあるか。タクシン派のもとで闘うことではなく、闘う労働者党の建設と新たな労働組合の組織化、既成労組幹部打倒をとおして新旧支配層、アピシット、タクシンをともども打倒する闘いの中にある。