2010年5月 3日

5・9全国入管集会の大成功を 革共同入管闘争組織委員会

週刊『前進』10頁(2438号6面2)(2010/05/03)

国境を越えた労働者の団結で民主党・連合政権打倒しよう
 5・9全国入管集会の大成功を
 革共同入管闘争組織委員会

 「打ち破ろう分断! 取り戻そう団結!」——動労千葉を軸とする階級的労働運動、国際連帯闘争の前進と一体のものとして4・18関西入管研究交流集会の大成功がかちとられた。さらに在日・滞日外国人労働者人民とともに5・9全国集会の大成功をかちとろう。革共同から脱落し転向スパイ集団として腐敗を深めてきた塩川一派は、今年はついに独自の入管集会を放棄し、入管闘争からも逃亡を開始した。それを象徴するのが、彼らの機関誌『展望』6号の中沢論文(「7・7思想」と入管闘争)だ。その反マルクス主義的内容を怒りをこめて粉砕しよう。5〜6月、国鉄・沖縄・三里塚・法大決戦で民主党・連合政権を打倒し、プロレタリア革命の展望を切り開こう。

 入管闘争からの逃亡画期なす「中沢論文」

 中沢論文は世界大恐慌下の革命的情勢の進展に恐怖し、全世界で労働者階級が資本主義・帝国主義打倒に決起していることに憎悪をたぎらせ、ついに始まった荒々しいプロレタリア世界革命の胎動に対する敵意をむき出しにしている。

 民主党への幻想

 第一に、中沢は「民主党政権は新自由主義政策や反動政策をうち出せない」などとファシストにしか言えないような言辞をもって民主党を賛美し、すり寄り、労働者階級の怒りに全面的に敵対することを表明した。だが民主党・連合政権は自民党政権以上の凶暴さで新自由主義攻撃を激化させ、国鉄1047名解雇撤回闘争を圧殺し、沖縄米軍基地撤去の闘いを踏みにじり、三里塚闘争破壊に突き進んでいる。中沢=塩川一派はこうした戦争・改憲、民営化・労組破壊の攻撃と身も心も一体となって、民主党・連合政権の先兵になることを宣言したのだ。
 今や動労千葉を軸とする11月集会派の闘いが体制内勢力の裏切りと限界を突き破り、労働運動・階級闘争の主流派として飛躍し、6000万労働者階級と団結しうるのか否か、国鉄と沖縄を基軸にプロレタリア革命の成否をかけた決定的正念場を迎えている。中沢は、こうした階級的労働運動の前進に歯ぎしりし、何とか傷をつけ妨害することを唯一の目的としてこの論文を書いたのだ。

 労働者への蔑視

 したがって第二に、「7・7思想と入管闘争」と称して、中沢が言っていることはただ一点、労働者階級の存在と闘いをおとしめ、階級的団結とプロレタリア革命を破壊することにある。
 はっきりさせるべきことは、中沢の言う「7・7思想」なるものは、革共同が70年7・7自己批判で明確にし、07年7月テーゼと綱領草案で再確立した思想とはまったく無縁のものであるということだ。塩川一派は、革共同からの脱落・逃亡以降、「7・7」のとらえ方において血債主義的ゆがみを極限的に純化させ、反マルクス主義の極致へと行き着いたのだ。
 「7・7」について中沢は「帝国主義本国のプロレタリアート、とりわけ共産主義者が、被抑圧民族人民・被差別人民の信頼をかちとりえないかぎり、プロレタリア世界革命は空語」と述べている。「世界革命は空語」とはよくぞ言った。つまり「プロレタリアートに革命などできるわけがない」「闘っても勝てない」と言っているのだ。この労働者蔑視(べっし)こそ中沢の本質だ。今日、世界大恐慌下でプロレタリア世界革命の現実性が開示する中で、あえてこう言うことが、どれほど許しがたいことか。

 反マルクス主義

 第三に、中沢は小ブル特有の傲慢(ごうまん)さで、さも自分だけが分かっていると言わんばかりに「差別・抑圧との闘い」を語っている。だがその内実はまったく空疎でデタラメだ。核心は「資本主義社会は帝国主義段階に到達する中で、あらゆる差別・抑圧を支配の柱として組みこむ」と言っていることだ。
 要するに、中沢はまったく一知半解に、帝国主義段階では「賃労働と資本」の階級対立が資本主義の基本ではなくなり、代わりに差別・抑圧が支配原理になったと主張しているのだ。中沢は、労働者階級を支配階級であるブルジョアジーと和解できる存在へとおとしめている。
 かといって中沢は、差別・抑圧を支配階級による階級分断攻撃として「賃労働と資本」の非和解的関係と不可分一体の問題としてとらえようとはしない。民主党政権を賛美し、「要求を突きつけて反動政策を変更させよう」と言っているように、せいぜい体制内的改良が可能な問題に差別・抑圧攻撃の本質を矮小(わいしょう)化しているのだ。
 中沢が差別・抑圧を語るのは、それを本当に解決し、支配階級と闘う立場からではなく、まったく逆に「差別・抑圧との闘い抜きに労働者は闘えない」とし労働者階級を攻撃し、分断し、団結を破壊するためなのだ。
 革共同は綱領草案で「労働者階級の階級的解放は同時に、階級社会のもとでのあらゆる抑圧・差別からの人間の解放、すなわち普遍的な人間解放である」とマルクス主義の核心を打ち出した。これに危機感を増幅させ、小ブル的に対抗して「在日はプロレタリア革命の主体的存在」と言ってはみたものの、中沢はその内実を語ることはできない。なぜなら在日がプロレタリアートであり、革命的階級そのものであることを中沢は絶対に認めないからだ。

 分割・民営化との闘い動労千葉の抹殺狙う

 第四に、この論文では「90年入管闘争の再建」ということを延々と語っている。その特徴は、70年7・7はあっても、その後の20年間を完全にぶっ飛ばした「総括」であることだ。何よりそれは、80年代の日帝による新自由主義攻撃の頂点をなす国鉄分割・民営化と闘いぬいて勝利してきた動労千葉の存在を抹殺しようとしている。それは同時に70年闘争の爆発に恐怖して襲いかかったカクマル反革命との内戦を否定・清算するものだ。
 動労千葉が階級的団結の力のみに依拠して国鉄分割・民営化攻撃の前に立ちはだかり、戦後労働運動の解体を食い止め、逆に1047名解雇撤回闘争を生み出した地平こそ、90年代以降のあらゆる闘いを切り開いた根底的原動力である。革共同はこの地平を踏まえ、91年5月テーゼを戦取して階級的労働運動路線に踏み出し、マルクス主義の復権、単一党建設の新たな闘いの途についた。
 しかし中沢は、こうした動労千葉と革共同の闘いを否定・敵対するために「90年入管闘争の再建」を持ち出しているのだ。5月テーゼに反対し、階級的団結論を憎悪し、反マルクス主義的な連合戦線党を対置する中沢が語る入管闘争とは、労働者階級と在日を分断・対立させるものであり、労働者階級自己解放闘争=プロレタリア革命とはおよそ無縁な代物である。
 したがって中沢は80年代の指紋押捺(おうなつ)拒否闘争の革命的な意義を完全に抹殺する。この指紋押捺拒否闘争は、戦後革命期以来の怒りを爆発させた在日が日帝の新自由主義攻撃と非和解的に対決し、入管体制を根幹から打ち砕くものであり、それゆえ動労千葉の闘いと本質的現実的に一体の闘いであった。
 だからこそ入管闘争は今、動労千葉を軸とする国際連帯闘争の巨大な前進と結びつき、民族・国籍・国境を越えた階級的団結をつくりだす闘いへと飛躍・転換し、在日・滞日労働者階級自身の自己解放闘争として大いに発展している。(『共産主義者』164号、入管闘争組織委員会論文参照)

 排外主義を打ち破り横浜・鶴見公会堂へ

 第五に、この間、民主党政権による排外主義、入管攻撃が激化し、在特会をはじめ排外主義ファシスト集団が台頭している。
 われわれは昨年4〜5月入管集会以来、入管法改悪反対、在留カード阻止を掲げてデモに決起し、11月労働者集会では多くの在日・滞日とスクラムを組んで闘った。入管収容所に対する恒常的な面会行動をつうじて難民・難民申請者との団結を打ち固め、入管体制とのギリギリとした非和解的激突を闘いぬいてきた。
 こうした階級的=国際的団結こそが排外主義を打ち破り、民主党・連合政権を打倒し、ファシスト集団をたたきのめし、入管体制を粉砕する力である。その対極で塩川一派は今年、革共同からの脱落以降、独自に行っていた入管集会を取りやめるほど破産を深めている。自ら転向とファシスト的転落を極め、民主党を賛美するような連中が排外主義と闘えるわけがないのだ。
 5・9鶴見公会堂に集まり、在日・滞日外国人労働者とともに5−6月総決起を実現しよう!