中野洋動労千葉前委員長追悼 動労千葉が闘いとった階級的団結論
中野洋動労千葉前委員長追悼
『甦る労働組合』から学んだこと
「労働運動は路線と義理・人情」
動労千葉が闘いとった階級的団結論
「動労千葉の労働運動は路線が半分で、残りの半分が『義理・人情』だ」——これが中野洋動労千葉常任顧問の口癖でした。新版『甦(よみがえ)る労働組合』ではこう言っています。「思想や路線と『義理・人情』、人間関係と言ってもいい。この二つが一緒になった時に、初めて労働者は団結する」。これはよくよく考えると大変なことです。われわれはこの間、動労千葉に学んでその路線を運動の軸にすえる闘いを必死でやってきました。しかしそれは動労千葉労働運動のほんの半分にすぎないということなのです。「義理・人情」——それは動労千葉労働運動を学ぶ上で、亡くなられた中野顧問からわれわれへ課された大きな宿題だと言えるでしょう。
組合員が納得しない方針は間違っている
では「義理・人情」とは何なのでしょうか。中野顧問はこう言っていました。「義理・人情というのは動労千葉という労働組合の規律なんだ。もっと言えば、労働者階級の階級的規律であり、階級的団結の具体的中身そのものなんだ」「本多さん(本多延嘉革共同前書記長)の言葉を借りれば『内部規範』と『外部対抗』の『内部規範』と言ってもいい。本多さんが生きていれば、そんなことは一発で理解してくれる」と。そして「労働組合運動の中で労働者階級は自分たちが権力を握った時の能力を身につける。例えば列車を動かす能力を身につける。あるいは労働者階級としての規律を体得していく。だから労働組合というのは『コミューン』、共同体なんだ」と。つまり「義理・人情」とは労働者階級のプロレタリア独裁能力そのものだと言えると思います。
動労千葉にはあらゆる考え方の労働者がいます。当然ケンカもあります。しかし、現場の問題は自分たち現場で解決する——そういう人間関係に基づいた自己解決能力を動労千葉の労働者はしっかり持っています。
中野顧問は人間関係、信頼関係というものを何より大事にしてきました。信頼関係のないところでどんなに討論しても路線的一致はかちとれません。『甦る労働組合』では「人間関係がないところで、いくら立派な路線を提起しても組合員は『うん』とは言わない。『正しい方針』というのは、組合員がわかってくれた時に初めて正しいものになることを忘れてはいけない。組合員が納得しないような方針は、間違っているんだ」と言っています。
とりわけ指導部の責任として「その時々の敵の攻撃に対して、きちっとした路線を打ち立てる能力を持つことだ」、そして「その路線を貫徹するために、労働者の先頭に立って労働者と寝食をともにし喜怒哀楽をともにして闘っていくという作風を持つことだ」と指導部の作風として信頼関係、「義理・人情」を強調しています。指導部を階級の上に置いていてはこんな作風は身に付きません。「党と階級は限りなく一体である」——この言葉の真価が問われるのではないでしょうか。
だから中野顧問は最後に言っています。「党も階級の一部なんだ。一緒なんだよ。だから党を『最高の団結形態』として建設するのであれば、その規律は『最高の義理・人情』でなければならない。それは労働運動を実践する中でしかつくれないんだ」と。
「義理・人情」。それは動労千葉の実践的マルクス主義が闘いとってきた、労働者を主語にした階級的団結論なのです。
動労千葉の組合員と「路線と義理・人情」の話をするとたいていの場合、次のような答えが返ってきます。「顧問は路線半分、義理・人情半分と言うけど、動労千葉の労働運動は90%が義理・人情だよ」と。
これは動労千葉の現場組合員が路線を理解していないということでしょうか。逆です。これは動労千葉の路線が、現場組合員のオーソドックスな職場闘争から生まれ、それと完全に一体化しているからなのです。
中野顧問は、この点について次のように言っています。「『甦る労働組合』では『正しい路線—思想』という書き方をしたが、これでは理解が一面的になってしまう。それと同じくらいに路線というのは、現場の闘いの実践から生み出されてくるものなんだ」。路線は現場の労働者が実践して初めて物質力を持ちます。そして路線を実践する最大の水路はオーソドックスな職場闘争です。
原則的な職場の実践から路線を生み出す
『甦る労働組合』では”オーソドックス”ということについて「資本による労働者や労働組合に対する分断や分裂の工作は、あらゆる手段があるが、一番基本的でオーソドックスな攻撃は賃金であり、この数百年にわたって賃金によって分断してきたと言える。これは賃金闘争がなぜ大切なのかということでもある」と書いています。
賃金や労働時間、労働条件といったオーソドックスな分断攻撃に、オーソドックスに反撃していくことが大切だということです。賃金や労働時間で職場を分断されるにまかせておいて、合理化攻撃と満足に闘うことはできません。合理化攻撃は、査定給制度や変形労働時間と一体です。ですから「絶対反対路線」といってもオーソドックスな日常の職場闘争となにか別のところにあるわけではないのです。
「絶対反対」を路線として貫く
動労千葉は「絶対反対路線」という言葉は使いません。「絶対反対路線」とは、「戦術的エスカレーションで事態は打開できない」という動労千葉の基本的な考え方を言い換えて表現したものだからです。
その言葉は、国際連帯闘争の中から生まれました。ILWU(国際港湾倉庫労組)はサンフランシスコ・ゼネストを、韓国・民主労総は労働者大闘争を闘いぬいた、ともに世界最強の労働組合でした。そのILWUと民主労総がなぜ動労千葉を評価し、日本までやって来るのか当初はまったく分かりませんでした。
国際連帯が深まるにつれ分かってきたことは、彼らもまた「壁」にぶつかっていて、その突破の糸口を動労千葉に求めて日本にやって来ていたということです。とりわけ民主労総のすさまじいまでの非妥協的な闘いは「絶対反対戦術」と表現できるものでした。本当に命を賭して「絶対反対」を貫く闘いを韓国の労働者は闘ってきました。しかしそれほどの闘いをもってしても「壁」を打ち破ることは困難だったのです。
これに対して、その対極にあるのが「戦術的エスカレーションで事態は打開できない」という考え方に基づく動労千葉の路線的闘い方でした。それは、「絶対反対」ということを「戦術」としてではなく「路線」として貫くということです。「路線として貫く」とは団結の強化を総括軸に闘うということです。
中野顧問は次のように言っています。「『絶対反対』なんて日共だって協会派だって民同だって、全勢力がみんな言ってきたんだ。だけど貫けなかった。『それは日共や協会派が裏切ったからだ』なんていうのは総括になっていない。日共も協会派もかつて、戦術だけなら動労千葉より激しい闘いを労働運動ではやったんだ。だけどこの『壁』を越えられなかった。日本の労働運動は合理化攻撃に対して闘いきれなかったんだ。その結果の裏切りだ。日共やカクマルは、その困難から『党をつくれば解決する』という方向に逃げた。他は改良主義に逃げた。われわれもここを越えられなかったら同じになる。動労千葉だけが初めてその『壁』を突破した。それが『反合・運転保安闘争路線』なんだ。国鉄分割・民営化攻撃に勝利できたというのは、そういうことなんだ」と。
反合・運転保安闘争路線で決戦勝利へ!
では、われわれがぶつかっている「壁」とは何でしょうか。新自由主義攻撃という言い方もできますが、その核心は合理化攻撃にあります。
合理化攻撃には二つの要素があります。一つは資本の本質的運動としての合理化です。もう一つは、組合活動家に対する指名解雇攻撃などの労働組合破壊、団結破壊です。中野顧問は「日本の労働運動は合理化攻撃に闘いきれてこなかった」、そして「合理化自体は強行されてしまう。だけど団結を守りぬけば反撃できるんだ」と言っています。
究極の合理化攻撃とも言える国鉄分割・民営化は確かに強行されました。しかし動労千葉は、団結を守りぬくことで勝利してきたのです。
続けて中野顧問は言っています。「おれは、たえず全組合員、全職場労働者がやれる闘いを設定してやってきた。要は職場の全労働者を巻き込んだ闘いをつくり出していくことがカギなんだ。たえずそういう問題意識でやってきた」「同じストを打っても、全組合員の決起をうまくつくり出せたときのストと、そうじゃないときのストでは全然違う。うまくいった闘いの直後の三里塚集会には普段は動員に来ないような組合員が来る。当局もそれはよく見ていて、『こいつはこちら側だ』と思ってたやつが三里塚に行くのはすごい打撃なんだよ。そうやって力関係を変えていったんだ」。そして「労働者が本当に決起した時には、どんな統制も吹き飛ばして立ち上がっていく」と。
この労働者のエネルギーこそが、「壁」を突破する唯一依拠すべき力なのです。そして職場闘争をとおして職場支配権をもぎり取り、職場丸ごと決起をつくりだす。ここに反合・運転保安闘争路線の核心があります。
JR東日本における検修全面外注化の4月実施を粉砕した力も、動労千葉の闘いが東労組の平成採を巻き込んで全職場化したところにあります。1972年に始まる船橋事故闘争の勝利と高石運転士の職場復帰も、線路破断を巡る数年間の職場闘争の積み重ねの上にかちとられました。反合・運転保安闘争と職場闘争についても中野顧問は常々「反合・運転保安闘争といっても要は職場闘争をちゃんとやることなんだよ。職場闘争というのは本質的に職場支配権をめぐる闘いだ。核心は資本に対する怒りだ。問題は労働者の怒りの琴線に触れるテーマの見極めが必要なんだよ」「敵の弱点を見つけだすこと。それを見抜く力が大切なんだ」と言っていました。
JRをみても明らかなように、合理化はさまざまな矛盾を労働者にしわ寄せし、業務それ自体の破綻をも引きおこします。そこに敵の弱点が生まれるのです。鉄道ではそれが「安全」だったわけです。いまわれわれに問われているのは「それを見抜く力」です。これらの力を党の中に建設することこそが最も問われているのだと思います。
最後に中野顧問は「労働運動を闘う力がなくて労働者の党は建設できない。労働運動を闘う力は実践の中でしかつくれない。われわれには実践が圧倒的に不足している。まず労働運動を労働運動として、しっかりと実践することだ」と言っています。したがって実践的結論は”反合・運転保安闘争路線を労働者党建設の柱に4大産別決戦に勝利しよう”ということではないでしょうか。
「人間がやるんだぞ」——これが中野顧問の最後の最後の最後の言葉でした。生身の人間と人間との絆(きずな)が「義理・人情」であり団結です。それを資本の分断攻撃から守るものが路線です。「労働運動は路線と義理・人情」。この言葉を最後に今一度かみしめ、中野顧問の遺志を継いで闘っていくことを誓いたいと思います。
〔菅沼光弘〕