2010年3月15日

迎賓館・横田差し戻し審 最終弁論へ 被告団から傍聴闘争を訴える

週刊『前進』06頁(2431号6面2)(2010/03/15)

迎賓館・横田差し戻し審
 決戦の最終弁論公判へ
 被告団から傍聴闘争を訴える

 迎賓館・横田裁判差し戻し審(東京地裁刑事第20部・林正彦裁判長)は決戦局面に突入した。来る3月23日、24日の両日はいよいよ弁護側最終弁論だ。被告・弁護団は不屈・非妥協23年の闘いの全成果をもって、力ずくで無罪をもぎりとる決意で法廷に臨む。すべての同志、読者のみなさんが全力で傍聴闘争に決起することを訴える。
 爆取デッチあげ弾圧裁判の勝利は日本階級闘争の前進と一体である。国際帝国主義の「最弱の環」=日帝に対する動労千葉の第1波、第2波48時間ストを先頭にした国鉄決戦の爆発は、階級闘争の大動乱の扉を荒々しく押し開いている。<国鉄・沖縄・三里塚・法大〉の4大拠点における労働者階級人民の闘いで、民主党・連合政権打倒に攻め上るときが来た。
 この階級闘争の現実に心底震え上がっているのが、日帝ブルジョアジーと民主党・連合政権だ。それゆえに、この間の見境のない治安弾圧攻撃が強行されているのだ。われわれへの論告・求刑もその一環だ。
 昨年12月、検察は須賀武敏同志に懲役15年、十亀弘史・板垣宏同志に懲役13年を求刑するという許しがたい重刑攻撃を加えてきた。論告のなかで、二つのロケット弾戦闘が国家権力に大打撃を与え、その影響は今日に及んでいるとした上で、「3被告人には改悛(かいしゅん)の情が微塵(みじん)も見られず、……再びテロの脅威をもたらす危険性は極めて大きい」から重刑に処すべしと、裁判官に露骨に恫喝を加えたのだ。
 この論告・求刑は過去の両戦闘に対する報復であると同時に、現在の闘う労働者階級人民に対する国家権力の意思であり、予防反革命である。断じて負けるわけにはいかない。
 われわれは無実だ。二つの戦闘には一切関与していない。したがって証拠はなく、検察側「立証」は立証として成立しようがない。16年という歳月をかけた差し戻し前一審は、この検察側立証の破産を明確に指摘し、「犯罪の証明がない」ことを揺るぎなく論じきって、当然の無罪判決を出した。実質的にはそこでわれわれの無罪は確定しているのだ。差し戻し審など、そもそも開始されてはならなかったのだ。
 この不当な差し戻し審において、われわれはけっして無罪判決に甘んじることなく、とことん攻勢を貫いて闘いぬいてきた。国家権力のデッチあげ弾圧に対する怒りと革命家・革命党の矜持(きょうじ)にかけて、この2年、20回にわたる差し戻し審を闘いぬき、再び検察立証をズタズタに粉砕してきた。
 「<金沢借家関連・関之沢林道関連・橿原借家関連〉の3証拠群を調べれば、被告らの有罪は優に明らかになる」などと事実審理もせずに言いなし、「一審判決破棄、差し戻し」の判決を出した控訴審裁判所(東京高裁第3刑事部・中川武隆裁判長)の卑劣この上ない有罪策動を、あくまでも攻勢をとって打ち破ってきた。
 とりわけ、この「3証拠群」のなかで、検察側がデッチあげの柱としてきた「迎賓館・横田事件の前年の85年に、すでに金沢借家で須賀・十亀・板垣が信管の製造などを行っていた」なる虚構を完膚無きまでに粉砕した。それにとどまらず、岩手借家押収物の証拠開示をかちとり、膨大な押収物の中から、検察官がデッチあげたストーリーを突き崩す物証をいくつも掘り起こし、証拠採用させてもきた。
 裁判所が国家権力の意思を体現しようとしていることは明らかであるが、差し戻し前一審と同様、それができないまでに徹底的に追いつめなければならない。その最後の決戦が最終弁論公判であり、6月2日に予定されている判決公判までの裁判所を追いつめていく闘いだ。4月24日には「完全無罪をかちとる会」として集会を行う。
 われわれは、死力を尽くしてこの法廷に立つ。闘う労働者階級人民の団結した力でデッチあげ弾圧を打ち砕こう。全力で傍聴行動に決起しよう。
 (迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判被告団)
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日程 迎賓館・・横田爆取デッチあげ弾圧差し戻し審
3月23日(火)午前10時 東京地裁
3月24日(水)午前10時 東京地裁
*両日最終弁論(全一日公判)
9時30分までに傍聴券配布所に集合を