3・16成田市議会闘争から3・28現地大集会へ 反対同盟が訴え
3・16成田市議会闘争から3・28現地大集会へ
団結街道廃道化阻止!市東さんの農地守れ!
三里塚反対同盟が全国に訴え
沖縄・国鉄決戦とともに、三里塚闘争は激しい攻防に突入した。青年労働者を先頭に3・16成田市議会闘争—3・28三里塚現地闘争に大結集しよう。三里塚芝山連合空港反対同盟から全国に向けたアピールを紹介します。(編集局)
新しい世界つくる闘い 事務局長 北原鉱治さん
2月25日、現闘本部裁判において千葉地裁が反動判決を行った。三里塚闘争はわが闘争だ、これを捨てておけるかと全国から労働者、農民、学生が集まって闘った。
私は判決直前、「仲戸川裁判長。私は再三にわたり現地調査をやってくれと申し入れた。だがあなたは当事者の意見を聞こうとしなかった。それで判決が書けるか。裁判をやり直しなさい」と迫った。その結果、直ちに現闘本部を破壊しようと狙っていた仮執行をつけることができなかった。これは部分的な勝利ではあるが、仮執行をかけたくてもできないところに押し返したのだ。
20年前の1990年1月15日、雪の中で強行された現闘本部の封鎖に責任者として立ち会ったのは私だった。さらに1967年12月末、現闘本部が同盟員と全国の力で現在の地に完成した時のことをまざまざと思い出している。あの時、5〜6年も闘えば勝利できると思った。だが国家権力は問答無用の居丈高の姿勢で工事を進め、その都度、奪われる側と奪う側との対決は避けられなかった。あれから44年、この不条理な2・25判決に怒りを新たにするとともに、三里塚は全国にさらなる闘いへの結集を訴える。世の中を変える、自分たちが人間らしく生きられる社会にしなければならない。その責任が三里塚闘争にあると考えています。
私は労働者の闘いに大きな希望をもっています。未来をつくるために労働者、農民が先頭を切るということだ。若い労働者や学生は自分の未来をつくるためにその行動の先頭に立ってほしい。
人間はどう生きたかが問われる。闘って生涯を終わる、これが人類の法則だ。私は動労千葉の関川委員長、中野委員長、現在の田中委員長、この3人の委員長と共闘してここまで三里塚闘争をひっぱってきた。これは間違っていなかった。中野さんが最期に私に言いたかったことは、「北原、後は頼むよ」ということだったはずだ。
中野さんの葬式で韓国の民主労総の労働者と会ったけれど、日本に来て反対同盟と会うとほっとするらしい。あの第2次世界大戦、韓国やアジアに対して日本が何をやってきたのか。私自身も恥じ入ることばかりだが、三里塚闘争を闘ってきたことで恩讐を超えることができたと思う。一緒に闘ってこれから新しい地球をつくろうと、夢は大きいよ。
動労千葉の闘いが全国の労働者に希望を与え、韓国やアメリカやブラジルにまで連帯をつくった。農民と労働者が、それぞれの持ち場で闘いながら一体となることはすばらしいことだ。法政大学で闘う学生たちが何カ月も獄中に置かれる。これが正常か! キャンパスは若者が未来を語る場なんだ。全学連はサンフランシスコに行って100万人のデモをした。若い諸君が自分自身が行動して、未来をつくる。自分が動かなかったら何も変わらない。
3月28日には三里塚現地総決起闘争に全国から大結集し、新しい地球をつくるために闘おう。
私がここで農地を耕す 天神峰 市東孝雄さん
2010年は文字どおり闘いの年、動労千葉がストライキで激しい国鉄闘争を闘っていますが、三里塚も正真正銘の決戦に入りました。
私の周りも急に慌ただしくなってきています。1月22日に現闘本部わきの竹やぶを突然伐採しました。それは2月25日に仮執行付きの判決が出たら一気に現闘本部を破壊するつもりだったのだと思います。2月3日には成田市と航空会社が、同じ車に乗って来て、団結街道を廃道にするから理解と協力をお願いしたいというわけです。絶対に認められません。
反対同盟は2月10日、市役所に出向き抗議文をたたきつけました。対応したのが副市長の片山です。片山は国交省から来て副市長になったやつです。空港とのパイプ役ですよね。空港をつくるのに進入道路が必要だと言うだけで、あとは何も答えません。成田市も「空港ありき」なんです。
2月18日に持ってきた抗議文ヘの回答は、天神峰は1967年に空港の用地に決定している、だから廃道にして第3誘導路をつくってもいいんだと、ただそれだけ。けれどそもそも事業認定が失効しているのだから一からやり直すべきです。
成田市は「東側の第2誘導路では安全性と効率性を確保できない」とも言っています。この間はジャンボ機は通れないと言っていたへの字誘導路にジャンボ機を通していました。空港の安全性なんか何も考えていない、大事故が不可避です。
2月25日の現闘本部判決で仮執行を付けさせなかったことは、ある程度勝利だった。全国から多くの人に集まってもらい、本当に力強い闘いでした。判決で一気に現闘本部を取り壊せるという敵の思惑を粉砕することができました。
翌26日、成田市議の足立満智子さんが団結街道の廃道化の問題を追及するというので傍聴に行きました。しかし、答弁がはっきりしない。その以前に小泉市長は「交差点の中にいる人間はいない」と公言しています。天神峰の私の家を危険な交差点の中だと言うのです、本当に許せません。こうやって権力を振りかざして、私に「移転しろ」と迫っていますが、絶対に屈するわけにはいきません。
3月1日には空港会社の用地にパイプを打ちました。たかだか100本ぐらいのパイプを打つことに私服刑事と作業員が40人ぐらいがずらっと並んだ。だから空港会社に言ったんですよ、「私が耕しているという『41の9』の畑にもパイプ打てば」って。「いやあ、向こうはできませんよ」っていう返答でした。
こういう攻撃をやられればやられるほど、負けるもんかという気持ちが強くなりました。そこに住んで農地を耕すことが、自分がそこにいる意義だと思っています。
それが、普天間基地全面撤去を求めて闘う沖縄の気持ち、失業攻撃と闘う労働者や全国の農民の気持ちだと思います。
敵は一つだ。額に汗して働く者に犠牲を押しつける国のやり方は絶対に許せません。
今、国は農業そのものをつぶそうとしている。労働者には失業攻撃、学生も法政大学でビラをまいただけで逮捕される。国に逆らったらつぶされるのか。国策に逆らった三里塚闘争は、44年かかってもつぶせなかった。
動労千葉もストライキに決起し、三里塚と同じ敵に向かって一緒に闘っています。あらためて動労千葉の中野顧問の御逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。三里塚に託した中野さんの思いをしっかりと受け止め、全国の皆さんとともに闘い続けることをお誓いしたいと思います。
三里塚は文字どおり決戦の年です。団結街道を廃道にさせない。現闘本部を守り抜く。農地を断固守り抜く。その決意で精一杯闘っていきます。この間の勢いをもって3・28三里塚全国集会の大結集をお願いします。