法大弾圧裁判 2月22日、23日
法大弾圧裁判 2月22日、23日
暴処法弾圧 仲間を売る者に怒り 玉聞の裏切り絶対許さぬ
2月22日、法大暴処法弾圧裁判の第9回公判が東京地裁刑事第1部で行われた。
この日は、法大OBで本件当日に被告人と行動をともにしていたという玉聞(ぎょくぶん)祐樹が、検察側の証人として登場した。玉聞は、法大闘争に分断を持ち込む最悪の裏切り者として、5人の被告人と全法大生に敵対する証言を行った。
まず、藤田正人主任弁護人が「玉聞証人は、検察官との事前の打ち合わせを十数回も行った上、本件当日一緒にいた学生たちに自ら何度も聞き込みを行った事実が判明している。証人がデッチあげ証言をすることは明白だ」と釈明を求めた。検察官は回答を拒否し、事実を認めた。
外濠校舎出入り口の看板を引き下ろしたという行為について、玉聞は「死角になっていたので詳しく見ていない」し、正門前とボアソナードタワー門前の行為に関しては、「トイレやコンビニに行って離れていた」ので何も目撃していない。それなのに、「被告人が犯人であること」を立証しようとする検察側の策略は、根本で破綻しているのだ。
一方で、玉聞は「その日、一緒に集まった仲間が約20名いた」とし、その名前をスラスラと並べ立てた。初対面だったり、居たのかどうかすら覚えていない人物の名前まで含んでいる。
そして、検察側は監視カメラの粗い静止画像を見せ、玉聞に解説を求めた。すかさず弁護団と被告団が「異議! 証人が体験していない事実を述べさせることは許されない。画像の解釈や意見を求める尋問をやめよ」と追及した。追い詰められた検察官古井は「面割りのためだ」と思わず口走った。事前に教え込んだ「犯人」の名前を、不鮮明な画像に当てはめさせたいだけだ。こんなもののどこが立証か、どこが裁判か。
しかし、河合健司裁判長は次々と異議を退け、デッチあげ尋問を促した。断じて許されない。
玉聞は、サークルの学習会などに参加し、法大当局を批判する学生たちと一定の交流をしてきた人物だ。しかし、反対尋問に対し「法大で学外者が逮捕されてもどうでもいい。私は全学連や文化連盟とは相いれない。他人事としか思えない」と言い放った。検察官に進んで協力する異様な姿は、本当に許し難い。
次回、玉聞への本格的な反対尋問に入る。法大闘争に敵対し、闘う仲間を売り渡す裏切り者を許さず、断固闘おう。
4・24弾圧 “歴史が我々を無罪に” 斎藤君が堂々の証言
2月23日、法大4・24解放闘争裁判の第10回公判が東京地裁刑事第17部で行われた。
冒頭、内海佑一君が2・5弾圧の6学生釈放を訴えるとともに、22日の暴処法裁判での玉聞証人によるデッチあげを徹底的に弾劾した。
すると、検察官が異議を出し、登石郁朗裁判長がすかさず意見表明を中断させ、抗議した内海君を退廷させる暴挙に及んだ。断じて許されない。
恩田亮君に対し、検察側が反対尋問を始めたところで裁判は続行となっていた。完全黙秘の恩田君への尋問など無意味だ。弁護人の異議に、検察官岡本は「黙秘をすることのリスクを認識させる尋問をしたい」と公言した。黙秘権の侵害と転向強要そのものだ。弁護団と被告団、傍聴席からの激しい怒りで不当な尋問を粉砕した。
続けて、斎藤郁真君の被告人質問が開始された。入学以来の体験をとおして、法大生が文化連盟のもとに団結し、闘いの先頭に立っていった経緯が明らかになった。
07年に「学友会解体反対」の声を上げ始めた斎藤君と友人には、入構チェックや、一方的な演説禁止や、親の呼び出しが襲いかかった。一方、08年5・29デモを先頭でやり抜いた時には、33人の学生が逮捕される中、斎藤君だけは選別的に排除された。法大生の決起をもみ消すためだ。斎藤君は「170時間のハンストを闘い、5・28、29弾圧への抗議と、3・14弾圧以来の学生支配をやめることを要求した」。命がけの決起と正義性に圧倒された法大当局は、「批判の声を上げる学生を特別扱いしない」と苦し紛れの弁明を行った。しかし「翌日には、入構チェックなどの弾圧が再開された。大学の正式回答として、ウソをついた。闘いを継続し、10・17集会を構えた」。
その後、法大当局は斎藤君や恩田君を無期停学処分とした。一片の道理もない処分と「営業権」を掲げた学生弾圧への怒りが頂点に達した。4・24集会は「キャンパス封鎖を打ち破り、ついに学生との合流を実現した」。
最後に斎藤君は「この現状をひっくり返すために闘う。教育は商業ではない。歴史はわれわれを無罪にする」と締めくくった。
倉岡雅美さんの被告人質問が続けて開始され、次回へ続行となった。