2010年2月15日

日航救済と大リストラ 1万6千人の解雇許すな

週刊『前進』06頁(2427号3面1)(2010/02/15)

国策会社・日航救済と大リストラ
 1万6千人の解雇許すな
 安全崩壊=第2の大事故も不可避

 日本航空が1月19日、東京地裁に会社更生法の適用を申請した。グループの負債総額は2兆3221億円。国内の倒産では戦後4番目、金融機関を除けば最大の規模となった。世界の航空会社の倒産としても、米国のデルタ航空、ユナイテッド航空に次ぐ3番目の規模だ。日航は国策会社であり、その倒産は日本帝国主義の破産そのものだ。
 民主党・連合政権は、日航の倒産という事態を逆手にとって、1万6千人の労働者を解雇し、国策会社としての日航を救済・延命させようと策している。だが、それは極度の矛盾をはらむ。
 航空事業は、多額の資金、巨大な固定資本、多数の労働者を要する。何よりも航空機の安全維持は巨額の費用と膨大な要員を伴う。にもかかわらず、約3分の1にあたる1万6千人を解雇し、なおかつ巨額の借金を抱えたまま激烈な国際競争を展開することは、安全の解体に直結する。
 しかし大恐慌情勢下で日航を延命させる道はそれ以外にない。ブルジョアジーは破滅的に一切の矛盾を労働者に押しつけようとたくらんでいる。

 民営化過程で御巣鷹山事故

 国鉄分割・民営化以来の大量首切りと外注化・非正規職化を軸とする新自由主義の破産はもはや明白だ。だが民主党・連合政権は、まず日航で新自由主義政策を最も激烈に貫こうとしている。
 日本航空は、国威発揚をかけたナショナル・フラッグ・キャリア(国営航空企業)として1953年、半官半民の特殊法人として出発した。高度成長に伴い、日本の航空産業は急成長。日航の輸送旅客数も53年の23万人から70年には644万人と飛躍的に増加した。しかし急激な事業規模拡大に要員体制などが追いつかず、労働条件の悪化と安全の危機が深まった。
 安全問題がバネとなって労働組合が結成され、64年に戦後の民間航空初のストが闘われた。報復で役員4人が解雇され、激烈な組合分裂攻撃が始まった。第2組合がつくられ、露骨な賃金・昇格差別が行われた。
 日本航空は53年から20年間近く、死亡事故を起こしていない。世界一安全な航空企業と宣伝され、「安全神話」とも評価された。だが70年代に入って以降、日本航空は連続して死亡事故を引き起こす。輸送力の拡大とコスト削減を同時に実行する無理な事業計画、会社に異議を唱えさせない労働組合に対する分裂と差別の組合敵視政策が背景にあった。
 80年代以降、航空産業はすさまじい新自由主義の嵐に襲われる。米国ではカーター政権が航空規制を全面撤廃。続くレーガン政権は就任後すぐに航空管制官労働組合(PATCO)のストを徹底弾圧、約1万3千人の組合員全員を解雇した。
 競争促進と規制緩和の攻撃は、日本の航空業界にも波及。83年に第二臨調第4部会報告は、日航の完全民営化と大合理化を要求した。87年に日本航空株式会社法が廃止。日本航空の国際線独占は終わり、全日空などが参入した。本格的な競争促進政策、聖域なきコスト削減の暴走が始まった。
 完全民営化にいたる過程で85年8月12日、日航ジャンボ機墜落事故(御巣鷹山)が発生したのだ。羽田空港を離陸した日本航空123便ボーイング747が32分間の迷走飛行の末、群馬県の山中に墜落。乗員乗客524人のうち520人が死亡。旅客機の単独事故としては、世界でも最大の犠牲者数の事故だった。
 日本航空は完全民営化を前に社員2万人体制から1万8千人へ人員削減、外国航空会社の受注整備を増やし、整備でもうける方針を強調していた。整備職場は、人員削減と受注整備の増大で、自社機の整備は残業に後回しされていた。現場労働者がB747の構造部の金属疲労が激しいことを指摘し、組合は整備部門の人員削減や工期を圧縮しないよう会社に申し入れていた。しかし会社は安全問題は団体交渉事項ではないと拒否していたのだ。
 機長や副操縦士など航空機乗員は、太平洋を横断するなど国際線の場合、10時間を超える長時間乗務、しかも激しい時差と徹夜乗務、交替乗務員もない状態で働く。相当の集中力や注意力も持続的に要求される。

 安全より競争や労組攻撃

 客室乗務員は本来、客室の保安を任務とする専門労働者だ。熟練が要求される。だが現在は訓練が簡略化され、契約社員に置き換えられている。規制緩和で競争が激化し、機内ではおみやげや免税品の販売が強制される。ノルマもある。機内サービスの量が増えすぎて客室乗務員は疲労困憊(こんぱい)し、安全ベルト着用のサインが出ても着席できない状態だ。
 整備部門はいまや自社の整備士だけでは定例整備をこなせず、機体整備の半数を海外に外注し、国内でも下請け関連会社に丸投げしている(04年度の機体自社整備比率は24%)。整備士は、実際に作業した労働者と検査の労働者を分離してダブルチェックをしていたのを同一部門で実施する変更が行われている。安全のためのダブルチェックが廃止されたのだ。到着から次の出発までの整備も整備士ではなく機長が点検している。しかし、機長は整備のプロではないのだ。
 日航には子会社が275社、関連会社が99社ある。機体・エンジン・装備関係の整備をする子会社は9社。子会社の労働者は長時間・低賃金労働を強いられ、日航から出向した整備士は自らの労働条件を口外しないよう口止めされている。一緒に仕事をしながら雇用身分の違いで賃金や手当、休暇など労働条件がまったく違う。両者の間には目に見えない垣根がつくられ、技術伝承の妨げになっているという。
 整備現場では、機体の電気配線が人為的に切断される事件まで引き起こされている。労働者の怒りが会社や職制ではなく、飛行機に向かうほど荒廃しているのだ。安全よりも競争、安全よりも労組攻撃に血道を上げてきた日航の安全崩壊は深刻だ。倒産と大リストラで重大事故が起きることは不可避だ。

 反合・運転保安路線で闘おう

 日航倒産は、新自由主義—民営化と規制緩和によって、競争を徹底的に推進し、事業規模をドンドン拡大し、世界の航空市場の争闘戦に勝利する路線の破産だ。日航は、かつて国際線の定期輸送実績で世界一になり、売上高が世界3位の巨大航空グループ(メガキャリア)に上り詰めた。これが世界大恐慌が日本帝国主義を直撃する中で倒産したのだ。没落する日本帝国主義の象徴だ。
 日航の五十年余は、小説『沈まぬ太陽』(山崎豊子著)で知られるように、組合分裂や解雇や差別などすさまじい労組解体攻撃の歴史でもある。同時に安全問題や戦争動員拒否などを背景にくり返し労働者の闘いが再生してきた歴史でもある。
 日航の八つの労働組合のうち七つは全労連系で、99年に結成された陸・海・空・港湾労組20団体に結集して有事法制反対運動を担った。しかし今、倒産攻撃に対して「新経営陣との間に信頼関係を築き、全社員とともに再建に向け最大限の努力」「日航再建のためには社員も痛みを分かち合うことが求められていることを認識」(日本航空機長組合)というスタンスだ。1万6千人もの労働者を職場から追放する資本と協力して労働者の命や航空機の安全が守れるわけがない。日共スターリン主義の屈服が1万6千人もの首切りを支えているのだ。しかし現場の労働者の怒りは、こんな幹部をのりこえて必ず噴出する。闘う労働組合は必ずよみがえる。
 反撃の突破口は、動労千葉の2・1〜2ストで切り開かれた。JR東日本の検修業務外注化攻撃は、JRが鉄道会社として成り立たなくなるまでに安全を崩壊させるという点で、日航1万6千人首切りと同質の攻撃だ。
 国鉄1047名解雇撤回闘争と検修外注化阻止の第2次分割・民営化粉砕の闘いは、大恐慌下の帝国主義の危機にかられた攻撃と職場生産点から真正面から対決する闘いだ。もはや社会を維持することもできない帝国主義を倒すのは労働者であることを示す闘いだ。
 1万6千人解雇絶対反対! 第2の日航ジャンボ機墜落事故を起こすな! 日航労働者は倒産攻撃と対決し、分割・民営化に勝利した動労千葉とともに反合理化・運転保安闘争路線で闘おう。
 (片瀬 涼)