動労千葉争議団 中村仁さんに聞く 必ず運転士に戻ってみせる
動労千葉争議団 中村仁さんに聞く
解雇撤回・JR復帰かちとり必ず運転士に戻ってみせる
民主党政権が「年度内解決」=完全解体を策動するただ中で、ますます決戦化している国鉄1047名闘争について、動労千葉争議団の中村仁さんに話を伺った。(聞き手・本紙編集局)
——昨年12月の鉄建公団訴訟公判で、当時の国鉄職員局課長補佐の伊藤証人から驚くべき事実が明らかになりましたね。
中村 87年1月につくられた採用候補者名簿には僕らの名前も載っていた。そのままなら僕らはJRに採用されていた。
ではなぜ僕らは不採用になったのか。動労カクマルが「動労千葉や国労が全員JRに採用されるなんて認められない」と騒ぎ、それを受けて当時の職員局次長・葛西敬之(現JR東海会長)が不採用の基準づくりを指示したから。23年たってようやく不採用のプロセスが明らかになってきた。この不当労働行為を明らかにするために、葛西の証言を必ず実現したい。
85〜86年の分割・民営化反対ストで公労法解雇された動労千葉組合員28人については、国鉄清算事業団が97年に全面撤回した。同じ時に僕らは停職。解雇が撤回されたのに、停職者の不採用が正しいわけがない。そのことも一緒に追及したい。
分割・民営反対のストで処分
——不採用の理由とされた停職処分は、分割・民営化反対ストですね。
中村 はい、千葉運転区支部青年部長でした。普通に青年部運動をしていただけですよ。でも分割・民営化は許せなかった。職場を追われる不安はある。しかも当局が最初に運転士から駅に飛ばしたのは青年部員。僕も明けの日に、青年部員に会いに駅に行ったりして「こんなのおかしい」という怒りがあった。
そういう中で本部が「ストで分割・民営化に反対しよう」と方針を打ち出す。千葉転支部では永田支部長や白井副支部長、内山書記長の三役を中心に徹底議論し、「支部として団結して闘おう」と決断して一丸となってストに入りました。
千葉転支部は85年11月の1波ストで、三役と、執行委員でストに入った3人、計6人が解雇された。その時に僕は初の処分で停職6カ月。86年2月の2波ストで、また停職6カ月。86年1月末から1年間、つまり分割・民営化の直前まで停職です。でも一緒に働いてきた人が解雇になったことの方が思いが強かった。
87年4月から国鉄清算事業団に送られました。月曜から金曜まで毎日出勤するけど、仕事は何もない。それですぐに地労委闘争や裁判を始めた。
さらに、運転士や検修職場の組合員が次々と売店や駅に飛ばされた。JRに残った人も不採用になった人も、みんな一緒に支え合って頑張ってきたって感じです。
4者4団体は原則を曲げた
——4者4団体の和解路線をどう見ていますか。
中村 僕らと4者4団体のスタンスの最大の違いは「解雇撤回」。彼らの和解路線は「歳もとったし、もう助けてくれ」って感じ。それで「解雇撤回」要求は下ろしている。23年間も頑張ってきた人たちが、そんなことで納得できるのか。僕らは国策で解雇された。そうである以上、原則を絶対に曲げちゃいけない。
——中村さんは、国鉄入社は何年ですか。
中村 78年4月です。79年3月に動労千葉地本が動労本部から分離・独立する直前でした。僕は千葉鉄道管理局に採用され、仙台の学園に行って半年後に機関助士になり、2年半、郡山機関区で勤務。その間は動労仙台地本所属だったけど、81年3月に千葉に戻ってすぐ組合を動労千葉に変えました。
——90年4月に清算事業団から解雇された後は。
中村 民間で仕事をしていて、本部の専従になったのは08年春。18年たって組合専従になったけど、動労千葉は団結を強めながらJR資本と対峙して闘っている組合のまま変わってなくて、それがうれしかった。
反合理化闘争は組合の使命
——JR東が検修外注化攻撃をかけてきました。
中村 動労千葉は、合理化と安全という問題を一番に取り組んできた組合です。僕は勝浦市に住んでいて、千葉運転区まで外房線で通っていた。84年3月、外房線の「細代踏切」で電車がミキサー車と衝突して、運転台がグチャグチャにつぶれる大事故が起きて、勝浦支部の組合員、平野さんが亡くなった。僕は通勤でちょうどあの電車に乗っていたんです。
細代踏切には遮断機がなく「魔の踏切」と呼ばれていた。動労千葉がずっと要求してきたのに、遮断機をつけなかった国鉄当局が平野さんを殺したんです。それで事故を糾弾して徹底的に闘い、遮断機をつけさせた。
どんな仕事でも、安全問題にしっかり取り組まなければいけないのは同じ。コスト削減は人件費を削るのが一番簡単だから、合理化が進められ、安全が切り捨てられる。それに反撃することこそ組合の使命ですよ。
検修外注化攻撃は青年労働者を直撃します。JRに就職したのに、突然丸投げされて、外注会社に行かされることになる。そのことを平成採に訴えることが大事です。
これまで8人でやってきた仕事を、当局が「5人でやれ」と言ってきても、東労組は丸飲み。だけど動労千葉は「5人でできるわけがない」と抵抗する。そういう具体的な闘いを青年たちは見ている。幕張で平成採3人が入ったのは、動労千葉の職場闘争を見て、正しいと判断したから。外注化攻撃に反撃して、組織拡大を実現したい。
——今後の決意を一言。
中村 分割・民営化が強行されたのは、国家の政策だけでなく、「自分たちだけ生き残る」と裏切った組合があったから。その結果、総評がなくなり連合がつくられ、資本と一体化した組合ばかりになり、多くの青年労働者が非正規職に突き落とされた。でも、物販で各地を訪問するとよくわかるけど、僕らの世代以上に大変な環境で働いている青年たちが今、「動労千葉みたいに闘いたい」と職場で闘い始めている。そういう人たちと団結することがすごく重要だし、彼らの闘いを裏切ったのが4者4団体だ。一緒に声をあげて、非正規職をなくしたい。
そのためにも1047名闘争は大きな意味を持っている。国鉄分割・民営化が非正規職の激増をつくり出した原因である以上、解雇撤回をかちとってJRに行く。僕は運転士に戻ってみせます。
2月13日には全国集会を呼びかけています。全国の労働者のみなさん、ぜひ集まってください。
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なかむらひとしさん。
1959年生、78年国鉄入社。85年11月の分割・民営化反対スト時、千葉運転区支部青年部長で停職6カ月処分を受ける。86年2月の第2波ストでも停職6カ月。JRに採用されず、87年4月に国鉄清算事業団に送られ、90年4月に整理解雇。現在、動労千葉本部執行委員。