2009年12月21日

本多延嘉著作選デジタル版刊行によせて 柏木俊秋

週刊『前進』06頁(2421号5面1)(2009/12/21)

本多延嘉著作選デジタル版刊行によせて
 現代に脈打つ革命思想
 マルクス主義の復権と革共同の礎
 柏木俊秋

 革共同25全総における綱領草案の歴史的採択とタイアップして、『本多延嘉著作選』全7巻のデジタル版が刊行された。大きな勝利である。これによって、久しく品切れ状態だった第1巻と第2巻を再び手にすることが可能になっただけではない。本多著作選の存在は、ついに「綱領をもつ党」に達した今日のわれわれにとって、さらなる前進の力を与えてくれる党的達成物である。

 プロレタリア独裁論とレーニン主義の党建設

 25全総第2報告のⅢ章にこうある。「革共同の現在の到達点は、こうした〔創成以来の半世紀にわたる営々たる苦闘のなかで育まれた〕歴史のうえに闘いとられたものである。われわれが今日、綱領をもって党建設の新たな段階に入るに当たり、50年間の党史を総括し、その生きた教訓を新たに結集してくる同志たちにしっかりと伝えることは大きな意味をもっていると考える」
 さらにまた、「プロレタリア世界革命の勝利の道は、革命的共産主義運動の双肩にすべてがかかっている。革共同の半世紀にわたる闘いの総括も、戦後の戦闘的翼の闘いを正しく包摂し、日本階級闘争の戦闘性と、その広さと深さを示すものが求められる」と。
 苦闘のなかで革命的共産主義運動と革共同を創成し、終生その先頭で指導しつづけた本多書記長の数々の著作や講演録は、この歴史的継承・発展にとって、貴重な示唆と勇気を与えるものだ。
 本多書記長の闘いを一言で言えば、レーニン主義による党建設であった。レーニン主義革命論、とりわけレーニン党組織論とプロレタリア独裁論で反帝・反スターリン主義世界革命の新たな労働者党を建設することに全力が注がれた。今日の綱領草案は、その土台の上に獲得された。 
 本多書記長の代表作とも言うべき「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」(第1巻)と「戦争と革命の基本問題」(第2巻)は、ともに獄中闘争の中で準備され、出獄後に完成して『前進』や『共産主義者』に掲載されたものだ。3回大会報告の理論的勝利の地平の上に、ついに黒田・カクマルを「哲学」「思想」の面でも圧倒的に凌駕(りょうが)するものであった。これらは、破防法弾圧をはねのけて「二つの11月決戦」を全力で闘いとった革共同と労働者階級の圧倒的な進撃が生みだした理論的成果である。
 「継承か解体か」は、黒田を正面に引きすえて、レーニン『帝国主義論』と『国家と革命』の革命的精髄をよみがえらせた。「基本問題」は、クラウゼヴィッツ『戦争論』を援用しつつ帝国主義戦争と現代革命の軍事問題の考察に新たな領域を切り開いた。ともに暴力革命論とプロレタリア独裁論、非合法・非公然の党建設の意義を鮮明化した。カクマルが「最後の聖域」としてきた「黒田哲学」がいかにインチキなものか、その破産の姿をマルクス主義・レーニン主義のオーソドックスな復権の力によって鋭く暴き出したのである。

 暴力革命論を豊かに展開

 「継承か解体か」では、暴力革命論の意義について次のように書かれている。「プロレタリア革命の雄大な歴史的任務、その人間史を画期する根底的性格に規定されて、暴力革命はプロレタリアートの革命的共同性、偉大な世界史的事業を達成する革命的主体性を回復するための不可欠の表現形態だからである。プロレタリアートの自己解放のたたかいは、プロレタリア階級闘争をとおしてブルジョア国家を打倒し、プロレタリア独裁国家を樹立し、資本家的私有財産を専制的に没収し、それを労働者階級の共有財産に転化し、プロレタリアートの歴史的任務を達成していく暴力的過程を、まさにプロレタリアートの革命的共同性をうみだし、自己解放の物質的前提条件とその革命的主体条件(指導的階級勢力としての自覚と能力)を統一的に生みだす過程として積極的に位置づけることから出発する」
 プロレタリア革命の核心的な中身をなす暴力革命とプロレタリア独裁の問題を〈プロレタリアートの革命的共同性と主体性の回復・創出>という側面からも明らかにしていることは、黒田・カクマル批判にとどまらず、現在のわれわれの理論的・実践的問題意識とも直に結びつくものだ。
 「もともとプロレタリアートは、自己解放のたたかいをとおして人類の全人間的な解放を達成する世界史的使命をもった階級であり、またそれゆえにこそ、プロレタリアートの革命的独裁は、他のいっさいの階級独裁とことなり、独裁の実現、維持が同時に独裁の廃絶の条件を準備するという構造をとるのである。このような意味において、プロレタリアートは、その特殊利害の貫徹のうちに普遍的利害の実現を準備するともいえるのである」(同)
 「労働者階級の特殊的解放が(即)普遍的解放になるわけがない」と言って諸戦線の「独自性」を強調し労働者自己解放の思想に敵対する塩川一派への回答も、この論文の中に含まれている。

 “革命家はまず考え方においてラジカルであれ”

 「革命家にとって大切なのは、行動における過激さよりも、まず考え方においてラジカル(急進的)であることだ。ラジカルな行動以上に、考え方の過激さの方がずっと難しいからだ」——後輩のわれわれに向かって、本多書記長はそんなことを言ったことがある。これは、激しい行動や実践を軽んじた言葉ではない。「考え方における急進性」とは、マルクス主義に徹した思想と行動ということである。プロレタリア独裁の実現を軸に判断し行動するということだ。われわれをとりまくブルジョアイデオロギーに惑わされるな、屈するな、階級的正義と勝利を疑うな、ということだ。
 マルクス主義(共産主義)とは労働者自己解放の思想であり、プロレタリア革命を実現するための実践的唯物論である。レーニンのいう「革命の理論なくして革命の実践なし」である。そのことは、本多著作選の至る所で強調されている。
 ブルジョアジーを打倒しプロレタリア独裁を実現して共産主義社会を建設するためには、それに耐えうる本当の意味で急進的=根底的な思想の強靱(きょうじん)さが必要であり、それに支えられた勇猛果敢でねばり強い行動が不可欠だ。レーニン党組織論の立場だ。その対極にいるのが、黒田・カクマルであり、今日の塩川一派であり、4者4団体派である。
 本多書記長は、本当の意味でラジカルな人だった。しかもその思想的急進性を個人的資質の問題にせず、階級的・組織的な全体性の問題としてみすえ、労働者的な団結、党的な細胞的団結に変えていくという意味で真にラジカルな指導者だった。われわれが今、動労千葉労働運動に学び、階級的労働運動路線の日常的実践を軸にして職場細胞建設—地区党建設に突進しているのも、本多精神と3全総路線の原点に立ち返って今日的な前進を開始している証なのだ。
 だが翻ってみれば、そういう本多書記長の理論的偉業も、革共同に結集しともに闘った多くの同志たち、日本の最も先進的な労働者たちとの必死の共同作業によって培われたものにほかならない。本多同志の闘いの継承と革共同50年の歴史の総括とは、その意味で、今日のわれわれ自身の闘いと結びつけてとらえ返し、さらに発展させていくものとしてある。

 革命的情勢の今こそ「激動期の行動原理」を

 支配階級の思想=ブルジョアイデオロギー、あるいはそれに屈服し迎合する体制内派の思想との対決は、今日ますます重要になっている。それだけ帝国主義の危機が深まり、革命情勢が成熟し、革命と反革命の分岐が鋭くなってきたことの表れだ。労働者の階級性と団結を解体する攻撃がありとあらゆる形で強まってくる。「現実的な解決」とか「政治的決着」とか「労働組合の常識」といった言葉で労働者をだまそうとする。それだけでなく、実際の「現実の重さ」が一定のリアリティーをもって労働者人民の日常の思考や意識に襲いかかる。だからこそ、こういう時代には、しっかりとした、ものごとの根底に達する階級的な時代認識と路線が重要となってくるのだ。激動期、歴史の転形期には、「異常を日常に」変える〈激動期の行動原理>が不可欠であることを本多書記長は説き続けた。それを支えるものこそ、マルクス主義である。レーニン主義党組織論である。
 革命運動は、大小さまざまな失敗や挫折・敗北の繰り返しである。数の上では圧倒的に多数だが物質力では圧倒的に劣勢な労働者階級が、圧倒的に優勢な資本家階級・国家権力と倒すか倒されるかのしのぎを削る階級闘争では、それは避けられない。だから、めげないこと、あきらめないこと、ぎりぎりのところでしたたかに生き延び、大きな展望のもとに日々勝利を積み重ねていく努力の過程が重要となる。党と階級にとって革命の戦略と綱領が決定的に必要とされるゆえんである。
 革共同は、本多書記長とともに、労働者階級が日帝支配階級(と階級敵)に勝利するにはどうすればいいかを問い続けた。そして、労働者階級の戦闘性と革命性、その究極的勝利をレーニンとともに信じて今日まで闘ってきた。帝国主義の凶暴な攻撃の中に敵の危機と脆弱(ぜいじゃく)性を見抜き、階級闘争の現実過程を〈勝利に向かっての試練>として闘った。二重対峙・対カクマル戦も、〈戦略的防御・戦略的対峙・戦略的総反攻>の段階的戦略でしぶとく闘い抜いた。
 「共産主義者は、嵐を海つばめのごとく察知し、これに備えねばならない」「現代世界にたいする総体的把握の深化、日本労働者人民の現実の階級的力量にたいする全面的な評価、その上に立ったわれわれの活動の大胆な改革を提起し、これをかちとるべき時にいたっていることを自覚……」「いまは日本における革命的前衛党創成の現実的第一歩をふみ出すときである」(64年秋の5全総第3報告)
 われわれは今、ついに〈労働者が闘えば勝てる>情勢を迎えている。本多論文として結実した革共同と労働者階級の営々たる闘いが、全面的に花開く時代がついにやってきたのだ。

 革共同の骨格つくった理論

 3全総(1962年夏)—第3次分裂(63年春)以後の世代にとっては、本多同志と革共同の創成期の苦闘の過程については知らないことの方が多い。だから著作選第5巻第Ⅱ部の「革命的共産主義運動の歴史について」は貴重な追体験の場となる。全学連講演集会(72年11月)での講演なので、論文とはまたひと味違う生の雰囲気と熱い息吹が伝わってくる。
 3全総報告とともに66年の3回大会報告もまた、その後の革共同の骨格をつくった最重要の理論的成果である。特に帝国主義戦後世界体制の根底的動揺とスターリン主義の歴史的破産の問題を全面的・実証的に掘り下げた清水丈夫同志(現革共同議長)執筆の第2報告と、黒田・カクマル批判を軸に日共スターリン主義や社民、第4インターなどの党派批判をつうじて革共同の綱領的深化を図った本多書記長の第3報告は、全同盟員に「これで理論的にも黒田・カクマルに打ち勝った」という実感と深い確信を与えるものだった。
 その本多同志を黒田・カクマルは虐殺した。われわれは今こそ、3・14反革命に対する怒りと復讐心をプロレタリア世界革命—日本革命実現へのバネに変えて、国鉄決戦を軸に4大産別決戦の爆発、職場細胞建設・地区党建設に突進しよう。その中で、あらゆる体制内勢力、4者4団体派やカクマル・JR総連松崎の敵対を粉砕しよう。
 著作選各巻の目次を見てもわかるとおり、扱っている理論領域はきわめて広い。その時々の政治的・路線的論文はもとより、マルクス・レーニンの革命論・国家論・党組織論、戦争論・軍事論、日米安保同盟論、天皇制論、狭山・部落解放闘争論、日共批判などの党派批判、大学闘争論……、すべてが現実の階級闘争の中で育まれたものだ。だからこそ、今日のわれわれの闘いと交差し、さらに継承・発展させるべき内容に満ちている。本多書記長の闘いとその精神は、すべて綱領草案に受け継がれている。
-------------------------
 本多延嘉革共同前書記長
 ほんだのぶよし。1934年2月6日、東京生まれ。革命的共産主義者同盟全国委員会の創設者。70年安保・沖縄闘争の先頭に立ち69年4月、破壊活動防止法弾圧を受ける。国家権力と連合した反革命カクマルに75年3月、暗殺される(写真 72年7月の全学連大会にて記念講演)