2009年12月 7日

天野美恵さんを偲ぶ会 “1年に260日のゲリラ戦”

週刊『前進』08頁(2419号6面3)(2009/12/07)

天野美恵さんを偲ぶ会
 元行動隊長天野豊徳さん“1年に260日のゲリラ戦”

 11月29日、山梨県忍野村忍草で、10月4日に逝去された天野美恵さんを偲(しの)ぶ会が行われた。
 天野美恵さんは1960年の安保闘争のただ中で結成された北富士忍草母の会の事務局長を結成時から務めた。以来、専従活動家として北富士演習場撤去・入会地奪還のために闘い続けた。
 黙祷(もくとう)の後、婦人民主クラブ全国協議会代表の西村綾子さんが「1972年の相模原闘争の翌年に北富士に伺い、40年ともに闘ってきた。婦民全国協結成大会もここでやった。美恵さんはじめ北富士のお母さんから多くのことを学んだ。遺志を継いで戦争のない社会を築きたい」とあいさつ。これを受け、元忍草入会組合行動隊長の天野豊徳さんが「入会闘争の最盛期、ゲリラに入った数は1年365日のうち260回におよんだ」と、入会闘争の歴史を語った。
 革共同山梨県委員会の同志は「政府の農民切り捨て政策の中で、農民として北富士闘争の継続は困難になったが、美恵さんの闘いの精神は日本の労働者・学生に受け継がれている。故人に恥じない闘いをやっていく」と決意を語った。
 三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長・北原鉱治さんのメッセージに続いて、動労千葉の繁沢敬一副委員長が「動労千葉も若い労働者を獲得し、車両検修のほとんどを外注化する大攻撃との決戦に入っている。来年3月へ組織の総力をあげて粉砕する」と発言した。
 天野美恵さんと40年来のつきあいとなる婦民全国協の丹治孝子さんが献杯の音頭を取り、革命的共産主義者同盟の鎌田雅志同志が「私たちは、11・1の勝利で美恵さんを追悼しようと誓った。国際連帯、労働者の階級的団結の広がりを伝えたい。北富士闘争と美恵さんの闘いは革共同にとってかけがえのない闘いだ。私の世代が全責任をとり闘いを牽引(けんいん)していく」と決意を述べた。
 全学連委員長代行・坂野陽平君は「天野美恵さんを知らない世代の学生が膨大に立ち上がっていることを知らせたい。全学連は世界の学生運動を束ねていく」と訴え、獄中の織田陽介委員長の手紙を読み上げた。
 北富士忍草母の会の天野正子さんと大森ふじえさんが、母の会のゲリラ闘争のエピソードを紹介、「一人、二人では勝てない。民衆は団結しないと勝てない」と団結を呼びかけた。
 「忍草入会の歌」(天野重知・元忍草入会組合長作詞の武田節替え歌)、「インターナショナル」を斉唱し、会を締めくくった。
 (投稿・織田三郎)