迎賓館・横田爆取差し戻し審 12・24論告求刑に結集しよう
迎賓館・横田爆取差し戻し審 デッチあげ構造を粉砕
12・24論告求刑に結集しよう
11月24日、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判差し戻し審第19回公判が東京地裁刑事第20部(林正彦裁判長)で行われた。
今回は弁護側立証の3回目であり、検察側立証を完璧に粉砕する内容をかちとった。須賀武敏・十亀弘史・板垣宏同志と福嶋昌男同志は迎賓館・横田戦闘にまったく関与しておらず、無実だ。権力はそれを承知で、岩手弾圧で押収したとするメモなどを口実にして、4同志のデッチあげ弾圧を強行したのだ。
デッチあげ構造の核心の一つは、検察側が、鍋爆弾開発・製造のための資料でしかないメモなどを引っ張り出してきて、「本件両事件についてのメモ」であり、4同志は鍋爆弾だけではなく、本件ロケット弾も開発・製造していたのだと主張している点である。
しかし、岩手借家は1986年4、5月の迎賓館と米軍横田基地へのロケット弾戦闘の後、3カ月ほどたった8月に開設された借家であり、ロケット弾戦闘とはなんの関係もない。にもかかわらず、検察官は「飛翔弾と設置型の鍋爆弾とは違う。飛翔に関するメモは本件ロケット弾のためのものだ」と得手勝手に決めつけてきた。
それに対し、弁護団は、岩手爆取裁判で検察側「証拠」として持ち出された「鍋爆弾起爆実験ビデオ」を証拠申請し、この日、上映された。それによれば、鍋爆弾が指向性散弾砲であることは誰の目にも明白であった。
さらに、物理学者の吉田義久氏が証言した。3同志と弁護団の証拠開示請求の闘いで開示させた岩手押収メモの中に、鍋爆弾用の鉛玉の飛散状況を予測計算したものとしか解されないメモの存在があることを明らかにした。こうして検察官の意図的主張はもろくも崩れ去ったのである。
飛翔弾と鍋爆弾は見た目が違うものの、両方とも強い指向性をもった砲弾(鍋爆弾は単なる爆弾ではなく鉛玉を前方に飛ばす指向性散弾)という点で本質的構造は共通しているのだ。
デッチあげ構造のもう一つの核心は、岩手借家からの押収物について、そもそも岩手借家が本件両戦闘以後開設されたという事実に規定されて、一体、開設以前は誰が保管・管理していたのか、3同志と弁護団が検察側を激しく追及した。
検察側はこの点をまったく立証することができず、完全破綻してしまった。苦し紛れの取り戻しとして持ち出されてきたのが、金沢借家関連証拠である。検察官は、「岩手借家以前、金沢借家で3人が1班を形成して、本件飛翔弾の信管を製造していた」なる主張をねつ造しデッチあげを維持しようとしてきた。しかし、一審裁判所は関連性なしとして、これらの証拠調べを却下し、無罪判決を出したのである。
この判決を東京高裁が否定し、差し戻し審となったのだが、金沢借家関連立証は完全に破綻した。そのことを一層確定するために、須賀同志が本人尋問に立ち、「金沢借家は自分の病気療養のためのものであり、十亀・板垣同志とも、本件ともまったく無関係である」ことを明快かつ簡潔に証言した。
これらの立証に圧倒された検察官の反対尋問は、彼らのうろたえぶりを次々さらけ出すものとなり、失笑を買った。あくまでも、断固とした攻めの弁護側立証を貫くことをとおして、裁判所には逆転有罪を言い渡すいかなる根拠もないことがあらためて突き出された。決定的勝利をかちとったのだ。
裁判は、12月24日に論告求刑、来年3月23、24日に弁護側最終弁論、6月2日判決公判と決まった。検察と裁判所は何がなんでも逆転有罪にしようと差し戻し審を強行しているが、このデッチあげ弾圧を断じて許すわけにはいかない。
12月24日の論告求刑公判に全力で結集し、有罪求刑を弾劾、粉砕しよう。再びの無罪獲得へ、半年の決戦を階級的団結の力で闘いぬこう。
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迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧差し戻し審
12月24日(木)午後1時15分 東京地裁
12時半までに傍聴券配布所に集合を