星野さんとともに
星野さんとともに
面会実現−闘いの実践者として登場 沖縄 和田邦子
11月13日、ついに星野文昭さんに面会しました。一緒に会ったのは、大阪の志賀実さんです。
昨年の11月14日、私と京都の伊藤美子さんは、思いもかけない面会不許可に直面しました。応接室のような所で2時間近く猛抗議しましたが、結論は変わらず、地団駄を踏んで徳島刑務所を後にしました。
あれから1年、リベンジ貫徹です。私の前に現れた星野さんは自画像そっくりですが、本物はもっとイケ面! 暁子さんへの優しさが印象に残りました。
星野さんとは旧知の友人のように話が進み、35年間の獄外との分断をまったく感じませんでした。いつも職場と闘争現場に身を置き、なんでも相談にのってくれる面倒見の良い先輩という感じです。暁子さんの話によると、獄中にいても常に意識を外に、未来に向けているから、とのことです。
私からは、11・8県民大会の話をしました。模造紙に琉球新報の巨大カラー写真を張り付けたものを見せ、民主党・連合政権への怒りを伝えました。「沖縄闘争を闘って獄中35年」という訴えに労働者人民が次々と足を止め、星野再審署名が270筆も集まったこと、東京から送ってもらった星野ビラを大量に配ったことなどを話しました。
星野さんは、「全体の運動が本来の姿になりつつあることに、手ごたえを感じる。今は、根性を据えて再審をやる。大阪の星野運動の頑張りが、自分の大きな力になっている。沖縄を闘った人間を無期懲役でつぶそうとすることへの平良修さんの怒りも伝わってくる。運動全体とともに三里塚も沖縄も部落も星野も甦(よみがえ)ってきた。日常の闘いと別に星野の闘いがあるのではなく、職場の闘いの中に星野闘争の前進がある」と深い内容で語りました。
無実なのに35年間も囚(とら)われ、これから厳寒の季節を迎えようというのに、星野さんは、人間が人間として生きられる社会をめざす実践者として、私の前に生き生きと登場しました。時代が革命党に要請する飛躍と変革に獄中で向き合い、格闘しているからこそ、あれほど清々しい表情なのだと思います。
11月28日、星野全国集会を大成功させ、星野文昭さんを取り戻そう。
星野さんの闘いと沖縄の心が一つに 千葉 岸本豊和
私は、5月沖縄行動以来、半年ぶりに沖縄を訪れ、11・8沖縄県民大会に参加しました。
私たち沖縄行動団(全学連・青年労働者・星野隊列など)は、現地の沖縄労組交流センターの仲間と一緒に、大会に集まってくる人たちにビラまき、法大−星野署名をやりました。私は、結集して来る人民の渦に負けじと、大声で星野闘争を訴えました。その内容は、次のようなものです。
「1971年10月、沖縄では返還協定批准阻止のゼネストが闘われました。東京では、戒厳令のような状況の中、渋谷駅周辺で闘いが展開されました。星野さんは、警察官1名死亡の『実行犯』にデッチあげられ、無実であるにもかかわらず35年間も徳島刑務所に閉じこめられています。世界にも例のない獄中闘争を闘っています。
第2次再審署名にご協力ください。72年沖縄のペテン的返還で、今に至るも沖縄の現実は何一つ変わっていません」
この訴えを聞いた沖縄人民が、次から次と署名してくれました。何の署名かと立ち止まる人たちにも星野闘争を訴えると、署名を待つ列ができました。「沖縄闘争で獄中35年!」という訴えに、通り過ぎることができないのです。この反応を見て、星野さんの闘いと沖縄人民の心が一つになったと感じました。
鳩山・連合政権の「緊密で対等な日米同盟」とか、「東アジア共同体構想」は、日米争闘戦の激化と侵略戦争への道です。沖縄人民はこのことを強く感じ、会場からあふれ出る大結集をかちとったのです。
最後に、2万1千人の大結集を実現していながら、どうして米軍基地に対する怒りのデモをやらないのかと思いました。集会の発言も、現場で闘う人たちを中心にすべきだと考えています。
11・28星野全国集会に結集しよう! 星野文昭同志を必ず取り戻そう!