法大暴処法弾圧裁判 当局・権力と激突 10・16不当逮捕に怒り
法大暴処法弾圧裁判 当局・権力と激突
10・16不当逮捕に怒り
10月21日、法大暴処法弾圧裁判の第2回公判が東京地裁刑事第1部で開かれた。公判廷は、8人奪還と11・1労働者集会1万人を闘いとる労働者・学生の戦闘性と、これに恐怖する法大当局・国家権力とが激しくぶつかり合う「戦場」となった。
まず公判は、10月7日の「4・24集会弾圧グループ」初公判における登石郁朗裁判長の被告への不当な退廷処分、8人に対する長期勾留と接見禁止の拡大、10・16法大集会での2人の不当逮捕への激しい怒りと弾劾から始まった。
織田陽介君は「裁判所のやっていることは、裁判を妨害し、陰険な嫌がらせや制裁をすることだ。裁判所自らが裁判を破壊する無法状態だ」と怒りを込めて断罪。続く恩田亮君も「紙切れ一枚の接見禁止決定で、ちり紙やシャンプーなどの日用品や、裁判準備に必要な文具までが買えなくなった。こんな状況が1週間も続いた。繰り返したら許さない」と、裁判長に突きつけた。裁判所前での登石裁判長弾劾のビラまきと一体となり、不当弾圧を一ミリも許さず闘い抜いた。
デタラメ証言
続いて検察側証人のデタラメさも徹底的に暴いた。この日は、検察側証人として、法大で夜間警備をしている柴田敏男と松本和久が登場。柴田は、今年の2月19日の未明に入構禁止看板が破壊される状況を目撃したと言う。しかし実際には、「暗くて何人いたのかも、顔もわからない。看板が構内に投げ込まれるのを見て、音や声を聞いただけ」なのだ。
声の内容も「法大当局への抗議だと思った」などとするが、被告人・弁護団の激しい反対尋問には「気が動転していた。このとおり聞いたのではない」と答える始末だ。これでいったい何が立証できるというのか。
また、松本は「直前に大学の周囲を巡回したが、すべての看板に異常はなかった。その後壊され、写真撮影した」と言う。しかし実際は「看板の設置時期もわからない」、看板に関心など払っていない人物なのだ。
しかも、看板が外されたとする各門の撮影を指示されていたのに「北詰門の写真は撮っていない」という事実も明らかとなった。看板の状況をすべて把握していたかのように言う証言は明らかなウソだ。
さらに、今年の3月に柴田と松本の供述調書をとった場所がなんと法政大学の九段校舎だというのだ。3年半の法大闘争に恐怖した法大当局と警視庁が文字どおり一体となり、学生弾圧のデッチあげを準備したという本質が明らかとなった。
こうした弾圧ありきの検察側立証は、団結した闘いによって破産し、「こんなデタラメで長期勾留を続ける国家権力は断じて許せない」という決起を生み出す以外ないのである。
追い詰められた法大当局は、この日の傍聴に学費を使ってバイトを雇い、抽選で当たっても傍聴せず、ただ仲間の傍聴を妨害するという卑劣なことまでやってきた。当局に正義性など主張できない。金と権力で「公正な裁判」すら破壊し、自らの目的を「制裁と団結破壊」であることを宣言する法大当局・検察・警察・裁判所は、暴処法もろとも粉砕する以外にない!
次回は警察官証人3人が登場する予定だ。デッチあげを許さず、獄内外の団結で勝利しよう。