2009年10月15日

革命的共産主義運動の略年表

週刊『前進』08頁(2410号5面2)(2009/10/15)

革命的共産主義運動の略年表

 【前史】

1955年7月 日本共産党6全協
1956年3月 ソ連共産党20回大会で「スターリン批判」/10月 ハンガリー革命
1957年1月 革命的共産主義者同盟創立
1958年〜59年 東大、早大など日共大学細胞で、スターリン主義との闘いに次々勝利
1958年夏 第1次分裂。トロツキー教条主義との闘い/12月 共産主義者同盟(ブント)結成

 【革共同全国委員会の歴史】

1959年8月 第2次分裂。トロツキー教条主義と闘い、革共同全国委員会結成/9月 全国委員会機関紙『前進』創刊
1960年4月 マルクス主義学生同盟結成。ブントとともに安保闘争の先頭に立つ
1961年1月 マルクス主義青年労働者同盟結成/3月 ブントの革命的部分が革共同に結集/夏 革共同第1回大会
1962年9月 革共同第3回全国委員会総会(3全総)。戦闘的労働運動の防衛と創造、地区党建設、革命的統一戦線について決定。動労千葉労働運動の原点/年末から翌春 3全総にたじろぎ、黒田と松崎らカクマル派が逃亡
1964年 原子力潜水艦横須賀寄港阻止闘争
1965年 日韓闘争(日韓条約批准阻止闘争)/8月 反戦青年委員会結成
1966年8月 革共同第3回大会
1967年2〜7月 砂川基地拡張反対闘争/10月 10・8羽田闘争。羽田、佐世保、三里塚、王子の「激動の7カ月」 
1968年10月 米軍タンク車輸送阻止の新宿闘争(騒乱罪適用)
1969年1月 東大安田砦攻防戦。68年以降、日大・東大など全国大学闘争が高揚/4月 沖縄闘争(破壊活動防止法扇動罪適用。本多書記長ら逮捕)/10、11月「第1の11月決戦」。「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げて学生と労働者が武装闘争に決起
1970年6月 安保闘争。革命的左翼が社・共を上回る大衆的な決起/7月 闘う中国人青年からの糾弾を受け「連帯戦略」を形成(7・7自己批判)
1971年2〜9月 三里塚軍事空港粉砕の土地強制収用阻止闘争/11月 沖縄返還協定批准阻止の「第2の11月決戦」(再度の破防法適用)。11・14渋谷暴動闘争で、後に星野文昭同志にデッチあげ殺人罪で無期懲役攻撃(現在獄中35年)/12月 関西でのカクマルの武装襲撃で中核派の2学生虐殺(12・4反革命)。二重対峙・対カクマル戦に突入
1973年9月 革命的報復戦の開始
1975年3月 カクマルによる本多延嘉書記長虐殺(3・14反革命)。3・14報復戦に突入。「先制的内戦戦略」を確立
1977年8月 動労千葉地本がジェット燃料貨車輸送阻止闘争に突入
1979年3月 動労千葉が動労本部から分離独立
1981年 第5回大会。先制的内戦戦略フェーズⅡ(第2段階)に転換。国鉄・三里塚決戦に全面的に突入
1985年10月 三里塚2期着工阻止決戦/11月 国鉄分割・民営化反対で動労千葉がスト突入。中核派が11・29浅草橋戦闘
1986年5月 迎賓館ロケット弾戦闘。権力は革共同壊滅の「5・7宣言」体制発動/10月 「10月の挑戦」と爆取弾圧粉砕の闘い
1989年7月 長谷川英憲氏が都議に当選
1990年 天皇・三里塚決戦
1991年5月 5月テーゼ路線への転換
1994年6月 マルクス主義基本文献学習シリーズの刊行開始
1995年秋 19全総
1997年12月 20全総。清水丈夫議長—天田三紀夫書記長の最高指導体制を公表
1999年11月 闘う労働運動の新しい潮流の形成へ3労組呼びかけの11月労働者集会始まる
2001年 第6回大会。黒田=カクマル完全打倒の勝利宣言
2003年 新指導路線/11月 日韓米の国際連帯闘争始まる/12月 新生マルクス主義青年労働者同盟結成
2006年3月 関西の労働者同志を先頭に「党の革命」に突入
2007年1月 階級的労働運動路線打ち出す/7月 7月テーゼを発表/秋 塩川一派が7月テーゼと階級的労働運動路線に敵対し革共同から逃亡/12月 新生関西党員総会を開催、労働者指導部を軸に新体制確立
2009年7月 サンフランシスコ国際労働者会議/9月 25全総開く
 マル学同1000人、マル青労同1000人建設へ、世界革命勝利へ驀進中!