2009年10月15日

8・6参加で戒告処分 広島県教委 倉澤さんに

週刊『前進』08頁(2410号3面3)(2009/10/15)

8・6参加で戒告処分
 広島県教委 呼びかけ人の倉澤さんに

 広島県教育委員会は9月11日、8・6ヒロシマ大行動の呼びかけ人である広教組組合員の倉澤憲司さんに対して、8月6日の10年経験者研修(10年研)に参加しなかったことを理由に、戒告処分を発令した。この不当な処分は、オバマの核独占や田母神元空幕長らの”日本核武装”攻撃と対決して闘いぬいた8・6反戦反核闘争への弾圧である。11・1集会の大結集へ闘う日教組の現場組合員への大攻撃である。
 倉澤さんは8・6ヒロシマ大行動に参加するため、7月に年休を申請した。すると校長は年休の理由を聞いてきた。労働者にはいつでも年休を取る権利があり、理由など不要だ。当局が理由を聞いたり、理由次第で許可・不許可を決めるのはまったく違法である。
 その上で倉澤さんはあえて、校長に「8月6日は集会に参加して発言する」と答えた。すると校長は「時季変更権を行使する」と通告し、8月6日の研修に参加するよう職務命令を発した。年休取得の理由が8・6集会への参加であることを知って、「時季変更権」を行使したのである。
 そもそも、8月6日に10年研を設定したのは、8・6ヒロシマ闘争つぶしを意図したものだ。大行動に参加した教育労働者に転向を迫る攻撃だった。8・6前の4日〜5日に研修はなかった。研修自体も、欠席して支障が出るわけではない。
 倉澤さんはこの不当な職務命令を拒否し、8・6ヒロシマ大行動に参加し、その発言は被爆者を始め全国の労働者に大きな共感を呼んだ。これを県教委は「職務命令違反」「職務専念義務違反」「信用失墜行為」として戒告にしたのだ。
 県教委は98年に始まった文部省による「是正指導」以来、文科省の手先となり、「日の丸・君が代」不起立闘争への処分を始め、教育労働運動弾圧に奔走(ほんそう)してきた。この県教委が、ついに8・6闘争への参加そのものを処分したのだ。この不当処分に対し、広教組組合員、広島と全国の労働者・市民から「8月6日に研修をやること自体がおかしい」「8月6日は平和を考えてこそ教師だ」など、怒りの声が上がっている。
 10年研を受けている30代前半の青年教育労働者には、多忙化、賃金カットに加え、無意味な官制研修の強制に鬱積(うっせき)した怒りが充満している。官制研修をぶっ飛ばして8・6に決起した倉澤さんの闘いは、青年教育労働者の怒りを解き放つ闘いだ。県教委はこの青年教育労働者の自己解放的決起が一気に広がる現実を恐れ、なりふりかまわず「8・6処分」を強行したのだ。
 倉澤さんを始め広教組の現場組合員は、処分撤回要求の署名用紙を持って職場の仲間を組織し始めている。これに対して広教組本部は「(倉澤さんの闘いは)個人の闘い」だとして、なんら取り組もうとしていない。
 広教組本部の屈服・転向の分岐点は、イラク侵略戦争開戦直後の03年の8・6大行動からの撤退だった。彼らは今や8・6当日の官制研修に一言の異議も唱えない。2月に広島で開催された日教組全国教研では、誓約書や機動隊を使って倉澤さんら闘う現場組合員を排除、そして民主党・連合政権と一体化し、闘いの圧殺者、道州制・教育民営化攻撃の担い手になろうとしている。
 処分撤回への総反撃を組織し、広教組本部打倒—日教組本部打倒の闘いに火をつけ、闘う広教組・日教組を現場組合員の手に取り戻そう。渦巻く怒りと結びつき、職場と組合に階級的団結を取り戻し、11・1集会へ教育労働者の大結集を実現しよう。
 (広島 H)