2009年9月28日

暴処法弾圧と大学 鈴木達夫弁護士の講演から(抜粋)

週刊『前進』06頁(2409号4面2)(2009/09/28)

暴処法弾圧と大学
 鈴木達夫弁護士の講演から(抜粋)
 学生自治を圧殺する悪法 社会変革の主力は青年だ

 法大闘争にかけられた暴処法弾圧と4・24法大集会弾圧の二つの裁判が、いよいよ10月5日と7日から始まる(アピールと公判日程は6面)。獄中8学生の闘いは百パーセント正義であり、弾圧は絶対に許せない。暴処法弾圧と大学自治の問題について、二つの法大裁判の弁護団長、鈴木達夫弁護士が9月11日の全学連第70回定期全国大会2日目に行った記念講演から抜粋して紹介します。(編集局)

 東大ポポロ座事件では1、2審で無罪判決

 暴処法(暴力行為等処罰に関する法律)は、私自身にとって非常に縁のある法律です。NHK日放労長崎分会の委員長として、組合つぶしの不当配転攻撃と闘っていた時に、その法律で逮捕・起訴され、1968年から82年の15年間、最高裁まで闘いました。
 暴処法は、時代が激動している時に、労働運動、大衆運動に適用される。制定されたのは1926年(大正末年)です。前年に治安維持法が制定されました。17年にロシア革命、18年には米騒動が起きた。その後、労働争議、小作争議、部落解放闘争などが一気に起こってきたのがこの時代です。
 この時に治安維持法が組織的弾圧、主に共産党弾圧に使われた。そして大衆運動への弾圧に使われたのが、この暴処法です。
 暴処法は戦後も生き延びました。戦後、暴処法が適用された有名な事件が東大ポポロ座事件です。ポポロ座というのは東大の劇団の名前です。1952年朝鮮戦争のさなか、松川事件を扱った劇を東大構内で演じました。この会場に公安私服刑事3人が潜り込んでいました。学生たちが2時間あまり、彼らの警察手帳を取り上げるなどして、摘発・糾弾した事件です。
 最高裁で逆転しましたが、一、二審は無罪でした。それだけのことをやっていながら無罪です。
 一審の判決はこんなことを言っています。「大学の自治が侵害されている学内情勢や学問的研究を認めることは、学問の自由を保障した憲法の条項の意図するところを忘却してしまうことであり、許されない」と。さらに「学問の自由は、思想・言論・集会等の自由とともに、単なる個人的な価値にとどまらず、社会的・国家的にも最大の尊重を払わなければならない貴重な価値なのである」
 「学問の研究ならびに研究の場としての大学は、警察権力ないし政治勢力の干渉・抑圧を受けてはならないという意味で自由でなければならないし、学生や教員の教育活動一般は自由でなければならない。そしてこの活動が自由であるためには、これを確保するための制度的ないし状況的保障がなければならない。それが大学の自治である」と。こう言って、一、二審は無罪にしました。
 この弾圧が起こった1952年とは、朝鮮戦争の最中、日本が独立し占領が解かれる、安保条約が発効する、「血のメーデー事件」で警官の発砲で労働者が射殺される、破防法の制定に対して350万人の労働者がゼネストに決起する——そういう時代でした。まさに動と反動が入り乱れる激動の中で、学生運動に暴処法が適用されました。

 「営業権」叫ぶ法大の現実に外国記者驚く

 私は法大弾圧について、外国特派員協会で記者会見をやりました。外国の記者たちはみんなびっくりしました。これが今の日本で現実に起こっていることかと。そして「新自由主義大学粉砕」というスローガンについて、その意味を聞いてきました。そこで私は、大学当局が「営業権」を振りかざして仮処分を求めた話をした。”大学の200㍍以内で佇立(ちょりつ)してはいけない、ビラをまいてはいけない、演説してはいけない”と、異様な措置を裁判所に求めた話をしました。
 記者からどよめきが起きました。”どんなに落ちぶれたといっても、「営業権」などというものを振りかざして、社会的権利を抑えつけることなど、あり得ない。いったい日本の大学とは何なのか。理解できない”と。
 日本の帝国主義支配階級は権力を自分の手で戦い取ったことがない。フランス革命にあたるものがない。本来、科学とか真理は資本家階級が旧勢力から覇権を奪っていく武器だった。そのことによって、封建制にはない巨大な生産力を手にしていきました。ところが日本では、自分たちの手で権力を奪い取った歴史をもたない連中が支配階級になったものだから、それがどんなに大事なものか理解できないのです。
 三浦朱門(教育課程審議会会長、作家、元文化庁長官)などという人は、「一部のエリートには高い学問を与え、一般の労働者は実直であればいい」などと言い放っている。腹の底から学問の意味など分かろうとしない。そんな中から、大学の「営業権」なんていう、笑うべき考え方が出てきてしまう。
 法大の増田総長がいう「新しい自由と進歩」も似たようなものです。あの暴力と抑圧の大学で、何が「自由と進歩」か。大学人がいい加減なことを言ってはいけない!
 ポポロ座事件の判決でも、「大学の自治は大事だから、大学人たる者、特に管理責任者、学長や総長は徹底的に対権力の姿勢を保っていなければならない」と言っています。総長には、この厳しい姿勢があるのか。公安警察と一体化しているではないか。
 増田総長の言う「自由と進歩」の概念は、道州制を先取りしています。金に換算されていかに役立つか、ということです。今や金にならない学問は相手にされない。かつては「産学共同体」と言って、大学が企業から金をもらうことは恥ずべきことだったのに、今は企業からいかに金を引っ張ってくるかが学者の評価基準になっている。そうなったら哲学や文学はどうなるのか。獄中に捕らわれている文化連盟の恩田君は哲学科です。哲学はとても大切です。

 8学生奪還の全国声明運動で社会変革を

 最後に8学生奪還の全国声明運動について申し上げたい。日本の戦後学生運動は、独特の位置を占めています。全人民の「心の灯台」みたいな位置を占めている。それは、学生運動が命がけで反戦闘争などを闘ってきたからです。1960年代、70年代も、学生運動に対する労働者の期待はものすごかった。
 だから支配階級は、強烈にこの数十年、「学生は政治だけはやってはいけない」「近づいてもいけない」と学生を誘導しようとしてきた。何をやってもいいが、政治だけはやってはいかんと。ところが、法政大学で政治的決起が起こった。だから国家権力は恐怖しているのです。
 社会変革の主力は青年です。労働者と学生が力を合わせて闘う時代が来ている。そういう社会的広がりをもったところに、皆さんの全学連運動が来ています。そこにぜひ自信をもっていただきたい。
 8・30総選挙で自民党政権が打倒されました。この歴史的な情勢において、全学連などの闘う勢力が、社会的・政治的勢力としてもっともっと登場していくことが求められています。民主党なんてひどい政党です。だれも民主党なんか信じちゃいない。
 激動・動乱の時代は加速していく。この中でひとつの社会的政治勢力として鮮烈に登場していく。これが11・1全国労働者総決起集会です。1万人の闘う労働者がデモで登場した時、「この人たちが新しい社会を用意している。労働者が主人公の社会をつくろうとしている」ということがすべての人びとの前に明らかになり、一気に時代が塗り替えられる。11・1集会の大爆発に向けて、ともに闘いましょう。