2009年9月21日

レーニン主義を解体し権力と闘わないと宣言した塩川一派 仲山良介

週刊『前進』06頁(2408号5面1)(2009/09/21)

レーニン主義を解体し権力と闘わないと宣言した塩川一派
 「9月政治集会」が示した動揺と分裂
 仲山良介

 塩川派は、9月6日、尼崎市で開催した反革命政治集会(「革共同再建協議会」と「革共同関西地方委員会」の共催)において、マルクス主義とレーニン主義をまとめて否定し、放棄する宣言を発した。大恐慌情勢の激しい展開と8・30情勢のドラスティックな展開に度肝を抜かれた塩川派は、これまでの強がり発言をすべて引っ込め、あっさりと「命綱」を投げ捨てたのである。彼らの内部では今や、動揺、混乱、懐疑と分裂が深まっている。このままでは空中分解しかない状態だ。彼らは、ますます動労千葉破壊と三里塚反対同盟解体の策動にのめりこむしかないが、何の展望もない。彼らは反革命策動のためにだけにつぎはぎの理論をデッチあげ、デマゴギーをばらまく。そしてそれを「革命的共産主義運動の再生」のためとして押し出している。実際にどういうことが言われたのか。具体的に暴き出そう。

 民主党政権に政策実現求める体制内改良運動

 9・6塩川派政治集会では二つの基本報告がなされた。報告Ⅰは「21世紀現代革命の綱領のために——革命的共産主義運動の再生をめざして——」、報告Ⅱは「改憲阻止・日米軍事同盟粉砕、戦闘的大衆闘争の復権を」となっている。
 報告Ⅰは、この間、塩川自身が彼らの機関誌『展望』などで打ち出してきたものを、もっと露骨に反マルクス主義・反レーニン主義的に煮詰めたもの。報告Ⅱは、8・30情勢の直撃でグラグラになってしまったが、とにかく政治的基調を提起するために、なんとか急ごしらえでやっつけたものである。

 8・30は「民主主義革命」なのか

 最初に、報告Ⅱで現在の8・30情勢について言及している部分を見ておきたい。衝撃的なことが抜けぬけとわかりやすく書いてあるからだ。
 まず冒頭、民主党の菅直人が「総選挙の結果を『民主主義革命』といった」ことを肯定的に紹介して、「民主党を軸とする連立政権は『革命政権』ではない。しかし、戦後政治の重大な転換点となることは間違いない」と述べている。
 8・30における民主党の大勝利が「重大な転換点」であることだけはわかっているが、これを何と規定すべきか、ことの大きさにすっかり参ってしまっているのが塩川派だ。“オバマの次は、日本で民主党政権の勝利、これこそ革命でなくて何なのか”という調子でものを言っている。
 しかも、菅直人の「革命」という言辞を肯定的に押し出し、菅直人と同じ気分で、起きた事態を「民主主義革命」として賛美しているのだ。これは単なる言葉のアヤで、大した意味はないのか?とんでもない。報告Ⅱでは、そのことが驚くべき内容で展開されている。
 「民主党政権下でのたたかいについて。普通選挙は、エンゲルスが指摘したとおり『労働者階級の政治的成熟度を測るバロメーター』である。しかしそれは単なるバロメーターにとどまるものではない」
 「民主党を中心とする連立政権に対して、『所詮はブルジョア政権にすぎない』などというような冷笑的あるいは悲観的な態度をとって、政治的な不作為を決め込むことは大きな誤りである」
 「また今日の労働者人民の生活苦や経済全体の危機的状況についても、『資本主義を打倒しないかぎり、改善の余地はない』などとする立場も同様に誤りである。『障害者自立支援法』や『後期高齢者医療制度』、『介護保険制度』、さらには『製造業への労働者派遣の解禁』などは、“資本主義であるかぎり不可避な政策”であったのか? 断じてそうではない。これらの撤廃を民主党政権に実行するように強力に要求する大衆運動を推進しなければならない。このようにして労働者階級人民がその闘争をとおして政府に政策の転換を強制するというプロセスをぬきにして、先進資本主義国における社会革命を実現することはできない」
 引用が長くなったが、これを読めば、彼らがどこまで転落し、変質しきってしまったのかということが実によくわかる。塩川派は8・30総選挙結果に大きなショックを受けて、“このように、選挙をとおしてこそ真の社会変革は実現される” “これまでのプロレタリア革命論は、レーニン以来(いやマルクス以来)全面的に間違っていた”という立場に一挙に転換したのだ。
 その主張の核心は、“議会や選挙で世の中が変わるはずはないというのは間違いだ。現に大きく変わったではないか。資本主義の枠内でもいろいろな変革は成立するのだ。革命しかないと言ってきた革共同は自己批判せよ。われわれはすっきりと民主党応援団になる”という叫びなのだ。
 これは、日本共産党前議長の不破哲三が「マルクスは晩年、議会制民主主義を肯定し、暴力革命を否定した」「資本主義の枠内での変革は可能だ」と叫んでいるのとウリ二つだ。
 塩川派は日本共産党との違いを出すためか、“ローザ・ルクセンブルグも普通選挙と議会を肯定的に扱った”とも主張しているが、それで塩川派の名誉が救われるわけではない。麗々しくローザを持ち出すことによって、反レーニン主義に移行したことがよりはっきりするだけだ。
 “民主党政権に政策実行を迫る大衆運動を推進することこそ、先進資本主義国における社会革命の基本路線だ”と言い切っていることは重大である。日本共産党すら一応は、自分らは民主党政権にチェックをかける存在だと主張している。しかし、塩川派にはそうした「歯止め」すらまったくない。ただただ民主党政権万々歳という賛歌のみが満ちあふれている。
 以上を見るだけで、塩川派はもはやその存在理由を喪失したと言ってよいだろう。とにかく、これ以上はありえないほどはっきりと“俺たちはプロレタリア革命派ではないぞ”という「宣言」を発したのだから。もはや「革共同再建派」などと名乗るのは無理である。

 「レーニンにスターリン主義化の責任を追及」?!

 次に、レーニン主義の否定・解体を公然と宣言した報告Ⅰを見ることにしよう。まず、次の言辞を見てほしい。
 「われわれは故・本多書記長以来、レーニンの党と革命論に徹して半世紀の実践をやりぬいてきた。世界でもっとも愚直にレーニン主義を実践したのである。その限界までやりぬいたからこそ、レーニンにも問題があることが見えてきた。レーニンをも相対化し、スターリン主義化の責任を追及することは重要である。そのためにもレーニンの中にスターリン主義化の要因を見つけるだけの安易な立場は通用しない。ロシア革命が逢着(ほうちゃく)した困難や壁、それにたいするレーニンの取った態度や諸政策の問題を具体的に分析することが大事である」
 塩川派のこのような言辞は、まやかしに満ち満ちている。ここでいう「われわれ」とは誰のことか? “革共同は、本多書記長以来半世紀の実践を経て、やっとレーニンにも問題があることに気付いた”というのがそもそもおかしいのだ。
 革共同はそもそも、反帝・反スターリン主義の立場からレーニン主義革命論を継承し、深化してきた。レーニンをどのように継承するかということは、それ自体が決定的な理論的・思想的な問題であり、実践的な死活性を持っていたのだ。
 もともと革共同の出発点に〈レーニン主義の愚直な実践>があって、そこから反帝国主義・反スターリン主義が生まれてきたわけではない。革共同にとって、レーニン主義の継承と発展はきわめて緊張と党派性をはらんだものとして、自覚的に闘いとられたものなのだ。本多延嘉書記長(当時)の「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」(本多延嘉著作選第1巻所収、1972年執筆)は、まさにそういうものである。
 ところが、塩川らは、「レーニン主義の愚直な実践」がまずあって、それを限界までやってきた結果として、最近、レーニンの問題性(スターリン主義化の「要因」はレーニンにある)に気付いたと言うのである。
 これが完全におかしい。革共同はまさにレーニン主義の今日的な継承と貫徹の闘いをこそやりぬいてきた。その中には、レーニンがやりきれなかったことをわれわれ自身がやり抜くということも含まれている。反スターリン主義を実践的に考えてみれば、それは当然ではないか。われわれに今問われているのは、百年前のレーニンをもまさにのりこえるということなのだ。
 塩川らは「レーニン主義を愚直に限界までやりぬいてその問題性が見えた」というが、まず、「限界までやりぬいた」ということ自身にウソがある。レーニン主義を本当に限界までやりぬいたのか? そうではなく、レーニン的オーソドキシーに徹することができず、非レーニン的実践を極限的にやろうとして破産したのが塩川派ではないか。「レーニン主義を限界までやった」ということは、そう安易に語れる言葉ではないのだ。
 もう一つインチキなのは、“限界までやったからレーニン主義を投げ捨てる権利が生じた”と言っていることだ。こんなレトリックを振り回すなら、“自分は限界までやったのだから、転向する権利がある”と正直に言ったらどうなのだ。
 実際に、塩川らが言いたいこと、言っていることはこれなのだ。レーニン主義を投げ捨て、解体し、転向して、黒田=カクマルの道を歩むという宣言、革命家廃業宣言をしたのだ。
 塩川は“「91年5月テーゼ」に本当は反対だった”と言っている。レーニン的オーソドキシーに断じて反対だったわけだ。さらに塩川派は、「07年7月テーゼ」に猛然と反対して、07年末に革共同から脱落・逃亡した。もともと動労千葉に敵対し、階級的労働運動路線に反対して革共同を分裂させようと策謀していたのだが、直接のきっかけになったのは、7月テーゼ反対なのである。7月テーゼの核心内容は、レーニン主義の核心内容そのものである。塩川派と塩川らはもともと“レーニン主義の愚直な実践”に徹したことなどないのだ。それが本当に問われた時には、逃亡してしまった集団なのだから。

 動労千葉三里塚反対同盟の連帯破壊を策す

 塩川派が今、恥も外聞もなく、レーニン主義の解体に激しく突進しているのはなぜなのか。
 塩川派は今、三里塚闘争破壊に焦点を絞り、労働者階級との連帯・結合をもって闘いぬいてきた反対同盟農民にありとあらゆるデマをふりまき、革共同と動労千葉への絶望(つまりは労働者階級への絶望)を組織し、三里塚闘争そのものを帝国主義権力に屈服させようと策謀している。
 塩川派にとっては、革共同と動労千葉破壊こそが一切であり、三里塚闘争や反対同盟農民の闘争、その階級的地平や歴史などはそのために利用するだけ利用して、用が済めば投げ出すという対象でしかない。なんの責任も取ろうとしていないし、できもしない。ただただ三里塚闘争史上最悪の闘争破壊者として登場しているのだ。
 だから塩川派は、すべてを投げ打ってレーニン主義革命論解体に突進し始めたのだ。レーニン主義革命論を肯定するような態度をとる限り、レーニンの労農同盟論をも肯定しなければならない。レーニンの労農同盟論を肯定している限りは、動労千葉の存在の大きさを否定することはできない。それでは塩川派の策謀はどうしてもうまくいかないため、レーニンの労農同盟論そのものを公然と否定し始めたのだ。

 レーニンの労農同盟論の核心は

 レーニンの労農同盟論とは、労働者階級が農民と連帯・結合してプロレタリア革命を実現し、農民との連帯・協力関係を維持しながら世界革命と社会主義建設の道を切り開くということだ。このことなしには、プロレタリアートの勝利もプロレタリアート独裁権力の維持もありえない。
 また農民にとっても、このような労農連帯の強化をとおして、労働者階級の勝利と結合して前進する中に自分たちの解放の展望がある。
 レーニンはロシア革命の現実の経験をとおして、その点を徹底的にはっきりさせた。農民自身が労働者階級の支援と協力を得ながら、協同組合的な農業の形態などをつくり出していく形で、プロレタリア革命=社会主義建設の積極的担い手となり、「生産手段と土地(本源的生産手段)の社会的共有」(マルクス)への歴史的前進が切り開かれていく。マルクス主義が基本的に明確にしていたことが、このようにロシア革命の経験をとおして具体的な現実的実践的形態としてつかみ取られたのである。
 それを裏切ったのがスターリンであり、スターリンの一国社会主義論とそれをテコとした党および国家の官僚制的変質(プロレタリアート独裁の破壊)であった。1920年代後半から30年代にかけての農民の強制集団化(それと一体で進行した諸民族の虐殺および反革命的な血の粛清)は、レーニン主義革命論に基づくものではなく、レーニン主義の破壊として強行された。
 その前提には、労働者権力を樹立したロシアの労働者階級が国際的な団結を形成・強化し、世界革命に向かって進むという基本原理の解体があった。この原則を否定し投げ捨てたスターリンの一国社会主義論は、農民を徹底的に収奪するために強制集団化を合理化し、それどころか、“社会主義・共産主義とは本来そういうものなのだ”と主張するところにまで突き進んだのである。したがって、レーニン主義とスターリン主義の関係を明確にとらえることは決定的に大事なことなのだ。
 このような理解と考え方は、革共同第3回大会(1966年)以来、わが革共同の中では基本的に確立された前提である。こうした思想(革命論)が根底にあるからこそ、われわれは三里塚闘争を反戦と革命の砦(とりで)として、農民とともに、農地死守・実力闘争を掲げてとことん闘い抜くことができたのだ。そして動労千葉は労農連帯の血盟のもと、どんな困難をも恐れず、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争に決起したのだ。
 塩川派は今、“革共同はもともと農民の土地を強制的に取り上げる思想を持っていた”と主張し始めている。浅はかにも、革共同=レーニン主義=スターリン主義と描き出せば、彼らのデマによる反革命策動がうまくいくと考えているのだ。
 レーニンの労農同盟論とは何かを理論的にも実践的にもまったくつかめないで、このようなデマをもって、血と汗で築かれてきた動労千葉三里塚反対同盟農民の血盟を解体しようとすることなど、絶対に許すことはできない。

 「革命の主体=労働者」を解体

 塩川派は、次のような〈現代革命の主体>論を綱領的に定式化しようとしている。報告Ⅰから引用しておこう。
 「現代の帝国主義、とくに新自由主義の階級支配の転換に踏まえた、革命の主体を明らかにする必要がある。その点では、打倒対象であるごく一握りの資本家階級とその階級支配を護持するために存在している官僚組織、政治組織、治安・警察組織に属する以外の膨大な階級・階層はすべて革命の主体または獲得すべき対象となりうる。その意味で、他人の労働を搾取しないすべての働く人民と家族・地域・共同体を通じてそれと一体であるすべての人々が現代革命の主体であり、革命的共産主義運動の組織者・被組織者となるべき存在である」
 要するに、〈一握りの支配階級以外のすべての人民、すべての人びとが現代革命の主体である>ということを、綱領的に断言したのだ。
 これは、マルクス主義とレーニン主義の解体という点では、極め付きである。階級的労働運動への敵対という次元をも超えている。階級闘争あるいは階級の概念そのものを抹殺するものだ。帝国主義ブルジョアジーと労働者階級の関係にこそ現代社会の基礎があるという基本認識、社会科学的認識の基本をも投げ捨てている。労働者階級こそが唯一の「真の革命的階級」であるという、マルクス『共産党宣言』のプロレタリア革命論の基本を何がなんでも絶対的に否定したいのだ。プロレタリアート独裁を否定するためにレーニン主義を解体する試みは、結局はマルクス主義の全面放棄にいたるのである。
 塩川派は、今や「安田派との対決を避けたり、安田派に依拠して革共同の再建を目論(もくろ)む傾向が発生している」(報告Ⅰ)と嘆いている。要するに、彼らの内部で大きな動揺と混乱と分裂が起きていることを表明しているのだ。
 ここまで激しく転落した塩川派の存在は、闘う労働者階級人民の存在、そして今死活的に求められているマルクス主義の革命的復権やプロレタリア革命勝利の闘いとはまったく相いれない。今こそ解体・打倒あるのみである。