2009年9月 7日

高山弁護士に聞く 制度廃止は改憲阻止 10・2全国集会

週刊『前進』08頁(2406号6面1)(2009/09/07)

裁判員制度やめろ!秋の闘いへ
 憲法と人権の日弁連をめざす会代表 高山俊吉弁護士に聞く
 制度廃止は改憲阻止に直結 10・2全国集会に集まろう

 8月から裁判員裁判が始まった。東京地裁とさいたま地裁で行われた二つの裁判だけでも、さまざまな問題点が浮き彫りになった。秋から各地で続々と裁判員裁判が始まり、闘いは重要な段階を迎える。どのように闘うべきか? 「裁判員制度はいらない!大運動」の呼びかけ人の一人であり、「憲法と人権の日弁連をめざす会」代表の高山俊吉弁護士にお話をうかがった。(編集局)

 ワイドショー化した裁判

 ——8月3日から東京地裁で、10日からさいたま地裁で最初の裁判員裁判が行われました。どのような問題が明らかになったのでしょうか。
 高山 東京地裁の裁判は、近所の中年の女性を独居老人がナイフで刺し殺したという事件でした。この国の司法の歴史の中で初めて「民衆が民衆を裁く」裁判が登場しました。
 求刑16年で判決は15年。私たちの「相場感覚」で言うと、16年の求刑も重いし、15年の実刑判決も非常に重い。
 情状の認定は、ほぼ完全に検察官の主張どおりでした。「被害者に『やれるもんならやってみろ』と言われた」と被告は主張しましたが、裁判所はその言い分をまったく受け入れなかった。また被告は、「自分は追いかけてはいない」と言いましたが、裁判所は検察の主張どおり、「ナイフをもって追いかけた」と認定しました。
 ことさらに「市民参加」が演出されました。裁判長が裁判員に質問してくれと求めた様子がありありとうかがわれました。そして裁判員の質問のほとんどは被告を厳しく糾問するものでした。
 殺人事件の裁判がわずか4日で判決、実際の審理は2日半、超粗雑な判決でした。論点は、ナイフの刺し方とか、追いかけたかどうかとか、なぜ助けなかったのかというような皮相的なことばかり。どうして殺すことになったのかとか、被告が負うべき責任はいかなる内容かというような、丁寧な検討はほとんど行われませんでした。
 被告は、被害者から「生活保護を受けているんだろう」とさげすむ言葉を吐かれ、「お前だって受けていたじゃないか」と言い返したという。貧困と差別、孤独と疎外——。この事件には、厳しい社会情勢の中での不毛な向かい合いという側面があった。でも、そんな議論は全部シャットアウト。
 「分かりやすさ」がマスコミから高く評価されました。しかし、真実って、案外分かりにくいものですよ。「分かりやすい」というのは、時には怖いものです。
 現出したのは、審理の内容を単純化しビジュアルにする、一種のプレゼンテーション合戦でした。刑事裁判がワイドショーになったのですね。
 検察はスタッフもいれば予算もあるが、弁護人にはスタッフも予算もない。弁護人にあったのはただひとつ、時間という武器です。その武器を奪ってしまえば、もう優劣の差は誰の目にも明らかです。 
 公判前整理手続きですべてがお膳立てされ、決められた時間割りにしたがって審理を進め、3〜4日で終わらせるために徹底的に論点を絞り込んだ。「多数の証人を調べてくれ」など、とても言えない空気をつくった。重要な証人が調べられていないと感じましたし、弁護人の反対尋問もおそらく厳しく時間制限されたのではないか。評議室の中で何が話されたかも一切秘密のままです。
 でも破綻の兆しは早くも現れています。初日の3日には大量の反対ビラが地裁前でまかれ、裁判所を包囲するデモが450人で闘われました。裁判員候補者も100人のうち47人しか出頭しなかった。裁判の途中で来なくなってしまった裁判員もいました。
 全国初の裁判員裁判は被告人の控訴で終わりました。被告人は「話を聞いてくれないのは納得できない」と言ったという。裁判員裁判の否定、拒絶です。これほど裁判員裁判の本質と危機を示す事実はありません。

 「市民参加」とは名ばかり

 ——さいたま地裁の裁判員裁判はどうだったでしょうか。
 高山 これは殺人未遂事件で、被告人が自首した事件でした。実刑か執行猶予かを争う事件になりました。3日間の裁判で、実際の審理時間はたった6時間20分だった。調べた証人は被害者1人だけ。
 この裁判もプレゼン合戦でした。検察官も弁護人も、職業裁判官が作った過去の量刑の分布図をみて、この分布図によるべきだとか、あの分布図によるべきだとか言い合ったという。いったい、このどこに「市民参加」があるのか。
 この裁判でも途中で長い休憩をとり、その後、みんなが被告人に厳しい質問を浴びせた。「凶行を思いとどまれなかったか」「なぜ助けなかったか」などと。思いとどまれなかったから凶行に走ったのです。また、人を殺した人はふつう被害者を助けませんよ。
 「自首で減軽を期待したのか」という質問もありましたね。「自首した場合、刑を減軽できる」という刑法の原則の適用にあたっては、過去のいろいろなケースをふまえないと判断はとても難しい。それこそプロの仕事です。結局、減軽ルールは適用しませんでしたね。
 裁判員の感想。「考える間もなかった」「非常に重くて苦しい制度」「苦労を強いられる」「夜も眠れないぐらい考えた」「精神的にきつい」「もう1日いたら倒れていたかも」「疲れた、もういい」「今後秘密を抱えて生きていくのは大変」「守れる自信はない」——このどこに市民参加を寿(ことほ)ぐ感動があったでしょうか。
 けれども、つらくてつらくて嫌だなあと思いながら、いざ尋ねる側になると、そういう人たちも被告人に厳しい姿勢をとり、「糾問官」になる。
 作家の嵐山光三郎さんが、「自分は一日警察署長をやらせてもらった経験があるが、そのとき思ったことを正直に言うと、せっかくだから誰かを逮捕してみたいということだった。少し張り切ると人は怖いことを考える生き物だ」と書いている(講談社+α文庫『裁判員制度はいらない』138㌻)。人の心には〈権力の思想〉が忍び込むきっかけがある。裁判員制度はそれを期待している。
 裁判が終わって、さいたま地裁所長が裁判員一人ひとりに手渡した感謝状には次のように書かれていました。「皆さまが示された姿勢、意見が裁判を支え、ひいては日本の社会を支えていくと思います」。裁判員制度の性格を実に的確に表現していますね。

 〈同意と強制〉で戦争動員

 ——あらためて裁判員制度の本質と狙いについてお話しください。
 高山 二つの裁判の中に、裁判員制度の本質と狙いがはっきりと示されていると思います。「体感治安」の不安と言いますが、世の中なんとなく落ち着かないという不安感を背景に、「現代の赤紙」で市民を動員し、「公」のために市民に市民を監視させ取り締まらせる。「豆を煮るにまめがらをたく」という言葉がありますが、兄弟同士がお互いに傷つけ合う。「現代の隣組」であり、相互監視制度です。心の中に権力が踏み込んで、最基底部から「国を守る気概」をつくりだす。そのための権力的司法の公民教育なのです。「苦しみつつ権力化する市民」がそこから生まれる。
 「簡易・迅速・重罰」は戦争に臨む司法の最大の特徴です。”兵隊さんが前線で闘っているときに、銃後で人権だの民主主義だのと言っているわけにはいかない。彼も闘いなら我も闘い。兵隊さんに前線で心おきなく闘ってもらおう”ということです。
 ナチス・ヒトラーも「市民の司法参加」を言いました。ロバート・ジェラテリーが書いた『ヒトラーを支持したドイツ国民』によると、ナチスはユダヤ人差別を断行するために、「ユダヤ人とドイツ人が一緒に暮らしていたらゲシュタポや警察に申告してくれ」と言った。それが「市民の司法参加」の第一歩とされたのです。「これこそ国民主権。この国を守るのは自分たちだ」とみんなが「参加」した。
 このようにヒトラーの政策はけっして強制だけで進んだのではない。市民の「同意」と市民に対する「強制」が絡み合いながら進められた。本質は国民動員なのだが、だからこそ「市民の司法参加」という装いをつくろった。裁判員制度もそれとまったく同じです。
 戦前の日本でも、弁護士会が関東軍に感謝状を贈り、戦闘機まで贈呈しました。最大の人権侵害である戦争政策に命をかけても抵抗すべき弁護士が、人を殺す道具・大量殺戮(さつりく)の武器を軍隊に提供するところまで落ち込んでいった。それこそ究極の「同意」です。労働組合が戦争政策の担い手になったことも忘れてはいけません。
 でも、当時と今とで決定的に違うことがあります。ナチス・ドイツも、戦前の日本も、徹底的な国家統制のもとで反対勢力の存在が許されなかったというところです。今は違う。闘う労働運動があり、闘う弁護士の力もある。国会が全政党一致で裁判員制度を成立させても、国民の85%が背を向けている。それがすでに闘いです。

 反発・批判は一層広がる

 ——秋の闘いが極めて重要だと思います。展望と具体的方針についてお話し下さい。
 高山 いったん制度が始まると、往々にして反対運動は退潮します。消費税や自衛艦のインド洋派遣など、反対運動があってもいったん制度・政策が動き出せば、やめさせるのはなかなか難しいことになる。しかし、裁判員制度はそのような運命をたどらない。ここが私たちの勝機です。制度発足後、反発・批判は、いよいよ強く、いよいよ高く、いよいよ広範になった。5月の制度開始後の世論調査で80%を超える国民が制度に背を向けている。宗教界でも、日本カトリック司教協議会(※)は「聖職者は、たとえ過料を払っても出頭すべきでない」と発表しました。(※司教ら聖職者7600人、信徒約45万人)
 この運動の決定的特徴は、一人ひとりが反対することが大きな力になるということです。裁判員が法廷に行かなければ制度が破綻する。どこまで行ってもこの制度は危機をはらんだままです。
 彼らだって本当はそんなに進んでやりたくはなかった。でも、国民一人ひとりを裁判所に動員して「人格改造」しないとこの国が持たない、革命になってしまうぞという危機意識と焦燥感を背景に、最後のカードを切ってしまったのですね。つまり、彼らも危ない橋を渡っているわけだ。
 われわれにとっては、制度が始まっても何もひるむことはない。”ようし、やってやろう!”と言える闘いです。
 「法廷に市民の清風が吹く」なんて冗談じゃない。「市民の司法参加」なるものがどれほど悲惨なものか、これからいよいよ明らかになります。
 最高裁は「心のケア」を発表しました。目をそむけたくなる死体写真、心ならずも他人の生死や自由剥奪(はくだつ)にかかわらされた苦しみ、自分の判断はあれでよかったのかという悩み……。心が深く傷つくことを最高裁はよく承知している。だから「24時間体制でケアをします」と言う。「ケアをするからどうぞ傷ついてください」と言う。だが、「救急車を用意したから、がけから飛び降りてください」と言われて、「はい、分かりました」と応える人がどれだけいるでしょう。狼狽(ろうばい)する権力はいろいろと考えるけれど、奈落に落ちていくしかない。
 翼賛勢力も動揺しています。共産党や国民救援会などにも動揺と混乱が広がっている。マスコミのあいだでも、これでいいのかという声が出ています。

 「絶対反対」を貫けば勝てる

 これから闘っていく上で最も重要なことは、「裁判員制度絶対反対」の立場を一歩も引かないことです。
 裁判員法には、問題は直していくということが書かれています。私たちが批判すれば、彼らは「分かっています。修正方針の中で考えましょう」と言います。そういう受け皿が用意されているのです。
 私たちは、「修正ではない。〈やめろ!〉だ」というところから一歩も下がらない。なぜなら、裁判員制度は本質的に改憲であり、一人ひとりの国民を戦争政策の担い手にする制度だからです。戦争政策に手直しはない。”重火器をやめてピストルで殺そう”という反戦運動はないでしょう。
 反裁判員闘争の勝利は、改憲阻止闘争の勝利に直結しています。国民がこの戦時国策を粉砕すれば、改憲をめぐってしのぎを削る白兵戦で全面的に前進する。反裁判員闘争ほど仲間の多い闘いはありません。
 9月以降、各地裁で裁判員裁判が一斉に始まります。1年間で2000件以上、1カ月に150件以上もやります。11月からは、無罪を争う裁判や死刑求刑を争う超重大裁判が始まります。比較的「軽い」事件の裁判でもこれだけ悲鳴が上がっているのです。11月になったら途方もない状況が始まります。制度のもっともっと深刻な問題性が突き出され、「裁判員は嫌だ」の思いが厚く積み重なっていく。
 一層仲間が増えるときです。だから、「全国民規模の反撃態勢を整えよ」です。10月2日には東京・四谷区民ホールで全国規模の決起集会が開かれます。何としてもここに集まりましょう。この間、裁判員制度闘争を闘ってきた皆さんが一堂に会して、これからの闘いの方針と展望を共通のものにしたいと思いますね。これを大きなステップにして、11月の全国労働者集会に向かっていきたいと思います。

 自民党崩壊は権力の危機

 ——さて、総選挙では自民党が歴史的大敗を喫しました。これをどのようにご覧になりますか。
 高山 自民の壊滅の始まりであり、この国の支配層の画歴史的な敗北です。「09年体制時代に突入」とか「2大政党制の幕開け」などとはやすマスコミ論調がありますが、それはウソです。「民主党政権になってもそんなに変わらない」と冷めた目で見る人もいる。それも違うと思います。
 自民党が力を蓄えて戻ってくることはあり得ない。「行きつ戻りつ」を期待する人たちを中心に、今回の事態をできるだけ平静を装ってみようとしている勢力があります。それほどに彼らにとってこの危機が深刻なのであり、私たちにとってはまさに革命的な前進の契機なのです。
 自民党が大半の国民から絶縁状を突きつけられている状況と、裁判員制度が嫌だという人が八十数%いる状況は、けっして無関係ではありません。雪崩を打つような基底部からの情勢変化がここに見えます。
 民主党政権に期待を示すのはとんでもない話ですが、「どうせあまり変わらないよ」と冷めた目で評論するのも間違いですね。「一億総評論家」からは変革の力は生まれません。自民党を中心とする保守政権がついに崩壊したこの時を、私たち一人ひとりが主体的に立ち上がる歴史的なきっかけにしたい。
 裁判員制度ほど権力の危機をリアルに示すものはありません。反裁判員闘争は、貧困、格差、”生きさせろ”の時代の反道州制闘争、国鉄1047名闘争、法大闘争など、この社会を変えていこうとするあらゆる闘いと深く結びついている。このことをしっかり確認し、9条改憲阻止闘争の柱にしていきたい。
 憲法をめぐるわれわれの闘いは、すべて戦争に向かう勢力との根底的な闘いです。困難な課題ももちろんありますが、最も基本的なところで「情勢われに利あり」です。私たちの闘いは確実に勝利の展望を持っている。
 私もがんばります。皆さん方には、それこそ闘いの最前線の担い手となっていただき、ともに闘っていきたいと思います。がんばりましょう!