2009年9月 7日

脱落派の道つき進む塩川派 労働者と農民の分断を狙う

週刊『前進』08頁(2406号5面3)(2009/09/07)

脱落派の道つき進む塩川派
 動労千葉への敵意をあおり労働者と農民の分断を狙う

 革共同から脱落・逃亡した塩川一派は、今日ますます反革命的純化を遂げている。中でも三里塚闘争に対する態度はまったく許せない。そもそも「党派」として三里塚闘争の全体に責任をとるという姿勢もなしに、人の足を引っ張ることに専念する者のことを、闘争破壊者と言うのだ。
 彼らの三里塚闘争に関する主張の底に流れる思想は、83年3・8分裂の時の脱落派とまったく同じものに転落している。三里塚闘争から階級性を抜き去ることによって条件派化する。それは三里塚闘争が43年間、断固として対決し拒絶してきた敗北路線である。

 原則を否定する「農地守れ」とは

 第一に、「農地死守・実力闘争、一切の話し合い拒否」の原則の重大さを強調していることに真っ向から敵対していることである。これは、83年の脱落派の連中が「原則より営農」「反対のための反対」と、反対同盟を攻撃してきたこととまったく同じだ。
 「三里塚闘争の目的は、国家権力の農地強奪に対して、農民が自らの農地を守ることである。ここに絶対にゆるがせにできない正義がある。『空港絶対反対』などの原則や労農連帯も、国家権力による農地強奪を許さないという大義の上に成り立つ原則であり地平なのだ」(塩川通信「未来」39号)
 「農地を守る」ことを「『空港絶対反対、農地死守・実力闘争、一切の話し合い拒否』の原則と、労農同盟の地平」に対置して押し出しているところに、まやかしがある。要するに塩川派は、革共同が「『原則』や『地平』を守ることが第一で、現に市東さんの営農している農地を守ることは『二の次』と考えている」(同)とねじ曲げたいために、こんなことを言っているのだ。しかし、「原則」に対置して「農地を守る」と強調することは、「原則より大事なものがある」ということである。原則を一切値引きせず貫徹することが問われている時に、”原則原則と言うけど農地が取られてもいいのか”と「反論」すること自体がまやかしで、すでに条件闘争の一歩なのだ。「農地を守る」と言っても、代替地でもいいということではないのだ。それは国家権力との真っ向からの死闘としての「農地死守」なのであり、原則の貫徹としてのみあるのだ。
 敵が「150年分の耕作料」だと言って「1億8000万円」を提示してきたのに対して、市東さんは真っ向から拒否して闘っているのだ。国家意志を拒否して、非和解的に闘っているのだ。それを貫くことが原則の貫徹ではないか。反対同盟が勝利し続けてきたのは、まさに原則を原則として貫いてきたからだ。「原則を守ることが第一ではない」というのは、反対同盟の不屈の闘いに対する敵対である。
 かつて戸村委員長は、「あくなき農民の不屈な不服従性と、その土性骨の強靱(きょうじん)性を完璧(かんぺき)に引き出し、どこまでも階級的に物質化することが、三里塚闘争の不可欠な目的使命である。そして、この目的意識性に生きるか生きないかによって、三里塚闘争の勝敗は決着する」(破防法研究17号)と明らかにしている。塩川派の言う「目的」は、戸村委員長と反対同盟の目的とは百八十度違うものである。塩川派は、革命の思想を喪失しているから「原則」をこのように踏みにじるのだ。
 第二に、反対同盟と動労千葉との間に対立と分断のくさびを打ち込もうとする薄汚い策動である。3・8分裂に向かう過程で、一部青年行動隊が、動労千葉のジェット闘争にケチ付けをしていたことと本質的に同じことがやられているのである。
 彼らは、マルクス主義を否定し、労働者階級に対する不信をあおり、労働者と農民・漁民の間にくさびを打ち込み、対立を持ち込もうとしている。

 マルクス主義を完全に放棄した

 塩川派は、動労千葉の中野前委員長を敵視し、攻撃している。
 「労働者が社会の主人公であることに誇りを持つことだ。つまり、労働者がこの世の中をすべて動かしている」(新版『甦る労働組合』)と、ごく真っ当にマルクス主義のイロハを説いているのに対して、こともあろうに「農民、漁民の姿が眼中にない」などと言いがかりをつけている。
 では、中野さんの文章の何が「初歩的な間違い」だと塩川派は言うのか。
 「彼ら(農民や漁民)の存在なくして労働者は、一日たりとも生きていくことはできない。だから、『労働者はこの世の中をすべて動かしている』などというのは、思い上がりもいいところだ。農民も漁民も、労働者とならんで社会の主人公であり、労働者とならんで社会を動かしている。
 ところが、中野氏には農民や漁民の姿はその眼中にはない。彼らが労働者に食物を提供するのは『当たり前』のことだと思っているようだ。
 ここに浮かび上がるのは農村や漁村の苦境の上にあぐらをかく尊大な都市住民の姿ではなかろうか。とんだ『マルクス主義者』もいたものである」
 「労働者が社会の主人公」ということに対して、「農民も漁民も主人公だ」と対立的に持ち出して非難するのは、文字どおりマルクス主義とプロレタリア革命に敵意を持ったものに初めて言いうることである。それでは聞くが、マルクス主義や「プロレタリア独裁」というのは、「思い上がり」「尊大な都市住民」の「偏狭な階級的立場」なのか。「プロ独」の概念そのものに反対でなくて、労働者と農民・漁民を対立させるような、これほどひどい議論が出てくるはずはない。
 「農村や漁村の苦境の上にあぐらをかく尊大な都市住民」などと言うが、「農村や漁村の苦境」は、ブルジョアジーとその国家によってもたらされているのだ。その階級的本質を見ないで怒りの矛先を労働者に向けようとする塩川派は、小ブルジョア的反革命であり、完全に資本の差別分断攻撃の手先である。彼らはブルジョア的な「生産者と消費者」の対立にすり替え、階級的視点を消し去るのだ。
 プロレタリア革命は、労働者階級が権力を握ることによって階級社会を終わらせる目的で実現される。それ以外に一階級が他の階級を搾取し抑圧する関係を終わらせることはできない。その革命にとって、農民の決起とその合流が死活的に重要なことは言うまでもない。だから「労農民主独裁」ではなく「プロレタリア独裁とその階級的基礎としての労農同盟」としてかちとっていくのである。
 塩川派が「農民や漁民」を労働者に対立的に押し出すのは帝国主義打倒の闘いへの敵対である。プロレタリア革命の原則に立って初めて諸階級・諸階層の解放は実現できるのだ。
 動労千葉が成田空港へのジェット燃料貨車輸送阻止闘争を、首をかけ組織をかけて闘ったことこそが、労農連帯の原型であり、動労千葉こそ労農同盟を最先端で切り開いているのだ。
 塩川派にあるのは、労働者階級の階級的力に対する憎悪と敵意である。かつて脱落派諸党派がすべてマルクス主義を放棄していったように、今また塩川派はその後を追っているのだ。

 「自己批判」で投降路線に転落

 第三に、塩川派は脱落派・第4インターに対する「自己批判」という形で、すでに転向を表明していることである(1月20日付塩川通信25号「1984年の第四インターに対する軍事的せん滅戦にかんする自己批判」)。塩川派は、83年3・8分裂の最も悪質な扇動者であった第4インターに頭を下げることで、自ら権力に対して屈服の意思表示をしたのだ。
 われわれはただ少しだけ意見が違ったから、第4インターに対する制裁の行動に訴えたのではない。完全にバリケードの向こう側に転落し、権力と一体となって三里塚闘争と反対同盟に襲いかかってきた反革命に対して、実力で反撃するのはあまりにも当然ではないか。ところが、塩川派は、あたかも革命の側に問題があった、相手は反革命ではないなどと言うのだ。これは、もはや三里塚闘争と反対同盟の側に立つものの言葉ではない。三里塚闘争と反対同盟を否定する言動である。
 脱落派の「一坪再共有化」運動は、敷地内を裏切るものだった。そのために北原事務局長の解任を叫び、分裂を強行した。「敷地内はいなくてもよい」と襲いかかってきたのが脱落派と第4インターだ。これと反対同盟が非妥協的に闘いぬいてきたからこそ今日の反対同盟はある。これに屈していたら、三里塚闘争は終わっていたのだ。
 第4インターに対する闘いは、中核派の「私闘」ではない。三里塚闘争を守り抜くための正義の戦争だった。それは反対同盟の農民の意志そのものだった。塩川派に勝手に否定されてたまるか。「反対同盟を始めすべての人々に謝罪する」だと。ふざけるな。これほど反対同盟をないがしろにした話があるか。当時の文字どおり生きるか死ぬかの正念場での三里塚闘争の不可欠の闘いとして第4インターに対するやむにやまれぬ戦闘があったのであり、そのことを記憶しているすべての人は、塩川派の言動を絶対に許せない。
 そもそも、78年のA滑走路暫定開港以後、83年3・8に至る過程で、国家を挙げた反対同盟総条件派化の攻撃が進行した。その先兵となって同盟を分裂させたのが第4インターだ。「一坪再共有化」を真っ先に触れ回ったのも第4インターだ。
 転向し、破産し、崩壊してしまっている第4インターに向かって、どうして今ごろ「自己批判」して頭を下げるのか。自分たちも第4インターに続いて、反革命の側に身を預けますと権力に誓約したことを意味する。
 したがって、この態度表明は、塩川派とは何であるのかということを一瞬にして誰にも分かるようにした決定的なメルクマールである。この問題をあいまいにしてはならない。すでに塩川派には、この一点で三里塚闘争に関する一切の発言権はないことがはっきりしたのだ。

 階級闘争を拒否する日和見主義

 結局、塩川派は、帝国主義権力と絶対非和解、帝国主義を打倒しないかぎり労働者は生きていけないということを否定したいのだ。07年の全国連・中田書記長の「略式起訴受け入れ=司法取引」という対権力屈服方針を指導した塩川派幹部は、「完黙・非転向はケース・バイ・ケース」(権力に屈服することもあるという意味)と開き直り、党の革命で打倒された旧与田派残党がデッチあげた「広島差別事件」に唱和し、すべてを革共同中央に対する敵意と憎悪に転化して、反革命的に純化してきたのだ。
 塩川派には、一路反革命的転落の道しかないことは自明である。だから実際に「政治闘争」と称してやっていることは、ずぶずぶの市民主義である。「広範な統一戦線」の美名の実態は、民主党・社民党べったり路線である。
 小ブル反革命に転落し、革命への敵対を唯一の存在意義とするに至った塩川一派を今こそ打倒し追放しよう。