2009年8月31日

迎賓館・横田爆取弾圧差し戻し審 無実の弁護側立証へ

週刊『前進』06頁(2405号6面2)(2009/08/31)

迎賓館・横田爆取弾圧差し戻し審
 無実の弁護側立証へ
 早期結審・有罪策動粉砕を

 9月17日、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判(須賀武敏・十亀弘史・板垣宏の3被告)差し戻し審第17回公判が行われます。
 東京地裁刑事第20部(林正彦裁判長)は、この日と10月15日の2回の裁判で、被告・弁護側立証を終了するように通告してきています。デッチあげ弾圧と真っ向から闘い続けて22年。いよいよ最終的決着をつける重大局面に突入しました。東京地裁による早期結審・有罪策動を全力で粉砕し、再度の無罪判決をかちとるために、裁判の傍聴に万難を排して駆けつけてください。
 私たちは、16年もの長期裁判の死闘を制して、一審では無罪判決をかちとりました。ところが控訴審では、一度も事実審理をすることなく、「無罪破棄、差し戻し」の判決が強行されました。東京高裁の中川武隆裁判長は、検察官が請求した「証拠」の目録だけ見て、「それらを審理してみれば有罪になると推定される」とする、とんでもない予断・偏見・矛盾に満ちた判決を下したのです。
 しかし、差し戻し審で検察側立証は全面的に破綻しました。控訴審判決で「審理不尽」だとした、①橿原、②関之沢林道、③金沢関係の証拠調べを強行しましたが、被告・弁護団の闘いによって、私たちと何の関係もない事実が暴かれました。とりわけ、検察官がデッチあげの最大の「証拠」としてきた、金沢借家で「発見押収」されたと言う金属くずとその鑑定に関する「証拠」を、ほぼ全面的に撤回させたことは、決定的な勝利です。
 ところが、林裁判長は、検察官請求証拠のすべてを採用しました。いかに検察側立証が破綻しようと、控訴審判決に込められた国家意思を体現して、有罪判決を狙っていることは明白です。
 私たちは無実です。こんなデタラメで許しがたい国家権力によるデッチあげ裁判を粉砕するために、17日から開始される弁護側立証を全力で闘います。
 第一に、橿原借家関係「証拠」とは、大阪府警が1989年に奈良県橿原市の借家から押収したとされる「メモ」です。これらが時間的にも場所的にも無関係であることは明らかです。第二に、関之沢林道関係の「証拠」も、本件とまったく関係ありません。その上さらに、検察官が主張する「メモ(地形絵図)」と現地の地形などが異なっていることが、現地調査によって明らかになっています。第三に、検察官は、私たち3人が1985年に金沢市内の借家で「ロケット弾」を製造したとデッチあげていますが、まったく事実無根です。根拠のない虚構ストーリーを事実をもって暴いていきます。第四に、検察官により意図的に隠されていた、岩手借家から押収された「メモ」の開示をかちとりました。これらによって、私たちの無実を証明します。第五に、一審無罪判決を破棄した控訴審判決の誤りを明らかにする刑訴法学者の意見書を提出します。
 私たちへの弾圧は、中曽根政権による国鉄分割・民営化を軸とする〈軍事大国化・改憲、民営化・労組破壊〉の新自由主義攻撃と非妥協に対決して、この攻撃を粉砕した動労千葉の決死のストライキと、中核派・革命軍による迎賓館・横田基地などへの連続的な砲弾ゲリラ戦闘が爆発したことに対する国家権力の報復としてかけられたものでした。
 1987年にデッチあげ逮捕されてから22年間、16年間の超長期の未決勾留にも屈せず、国家権力と完黙・非転向で闘い勝利してきました。
 今日、日米欧の新自由主義攻撃は29年大恐慌をこえる世界大恐慌を引き起こし、大失業と戦争の攻撃を激化させています。労働者階級の怒りは自民党支配を崩壊させ、未曽有の激動情勢に突入しました。
 私たち被告団は、労働者階級の怒りの決起と結びつき、不撓不屈(ふとうふくつ)にデッチあげ攻撃と闘い、必ずや勝利します。9月17日の差し戻し審に大結集してください。11月1万人結集をともに闘いましょう。
 (迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧被告団)